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 ヘルメットに胸当てと槍を装備した正規兵二人、普通ならば一度に相手にしようなど自殺行為に他ならない。けれど、今は正にその普通ではない状況である。
 玄関の戸口が強く叩かれる。今にも突き破って来そうな勢いで、戸が叩かれる度にぎしぎしと番が軋んでいるのが分かる。
 戸口の幅は、この狭い家に合わせて大人一人通れる程度しかないため、必然的に出会い頭で一対一の状況を作り出す事が出来る。そうすれば、数の上では対等になるのだ。
 相手は、此方が既に身構えている事を知らない。最初の一撃は、此方から一方的に加える事が可能だ。その優位を最大限に生かさなければならない。
「おい、大人しく出て来ないならば、このまま踏み込むぞ!」
 その警告と同時に、更に強く叩かれた戸が大きくひしゃげ、番の上半分が引き千切られる。恐らくノブの辺りを蹴り込んだのだろう。
 俺は戸口脇の壁に位置を取り、側にあった椅子を手に取る。狙う箇所はヘルメットに守られた頭部。卒倒はするだろうが、まず死にはしない部位だ。
「最終警告だ! 次で終わりだぞ!」
 戸を蹴る兵士の恫喝が、破れた戸の隙間からはっきりと聞こえてくる。声の調子からして、まだ年若い兵士に思う。血気盛んな相手の方が、こういう状況ではありがたい。
「行くぞ!」
 その掛け声の直後、遂に戸は完全に蹴り破られる。すぐさま家の中へ一人の兵士が勢い良く踏み込んで来た。俺はすかさずその後頭部目掛けて、振り上げていた椅子を思い切り叩き付けた。
「がっ!?」
 兵士は咽せたような声を上げ、此方を振り向く間もなく前のめりに倒れた。振り下ろした椅子は、手にした足の一本を残してバラバラに砕け散る。元から腐りかかっていたのに、丁度とどめを差す形になった。
 まずは一人。
 残った椅子の足をぎゅっと握り締め、外に居るもう一人の兵士の様子を窺う。
 その直後だった。
「ヤァッ!」
 先程の恫喝以上に気迫の籠もった叫び声、それと共に槍の穂先が戸口の対角線上から斜めに突き込まれてきた。戸口で待ち伏せに遭ったと見るや、すぐさま此方の居場所を予測して反撃に転じたのだろう。咄嗟に身を転じてかわすものの、右腕を鈍い衝撃が掠めていったのを感じた。傷を確認している暇は無いが、どうやら完全にはかわし切れなかったようである。
「そこか!」
 続いて二人目の兵士が槍を構えながら家の中へ踏み込んで来る。
 これで不意打ちは出来なくなった。真っ向勝負する他無い。
 上着には暗殺剣を忍ばせている。それを抜いて、足を切りつけ戦意を奪うか。そう考えるものの、脛当ての上からでは厳しい。無力化するならば、防具の無い喉や腋の下を抉るのが一番確実だが、今後を考慮すれば殺人は出来るだけ犯したくない。此処はまだ、暗殺剣を抜くタイミングでは無い。
「貴様、此処で何をしていた!?」
 兵士は槍を腰溜めに構え、強く息を叩き付けるように恫喝する。俺は注意深く出方を見ながら、ゆっくりと立ち上がり半身に構える。
 静かに呼吸を続けながら、研修時代に受けた槍を相手にした場合の訓練を思い出す。基本的に素手で槍を相手にしてはならないが、希求の場合は半身に構えて相手への面積を減らす事。そして狙う技は、一つしかない。
「答えろ! チッ、言葉が通じないのか? やはり柵を超えてきたか」
 兵士の問答には一切応じず、俺はじっと間合いを詰める機会を窺う。しかし、あまり時間を長くはかけられる状況ではない。早急にこの場から立ち去るためにも、何か膠着した状況を変える切っ掛けを作らなければ。
 僅かばかり思考を巡らせ、そして思い付いた手段を実行すべく、俺は左手に持っていた椅子の足をそっと右手へ持ち替える。そこから間髪入れず、椅子の足を兵士の顔へ目掛けて投げつけた。
「むっ!?」
 兵士は槍を持ったまま、反射的に顔だけを逸らしてそれをかわす。同時に、俺は真っ向から兵士に向かってやや外側へ踏み込んだ。
 椅子の足をかわした動作の分、槍の繰り出しが遅れる。斜め前への踏み込みに合わせ、向かって来た槍の穂先を脇腹のすぐ横へ逸らしながら一気に間合い詰める。そして繰り出した槍を手元へ引くよりも先に兵士へ飛び付いた。飛び掛った勢いのまま両手で首を取り、体を振るようにして背後へ回る。ぴったりと張り付いていれば槍で突くことは出来ない。案の定兵士は、槍を持ったまま硬直している。その逡巡に付け入り、背後から無防備な首へ腕を回すと、そのまま一気に喉から頸動脈にかけてを絞め上げた。
「ぐっ……!」
 兵士はすぐ槍を捨て、首に巻き付く俺の腕を引き剥がしにかかる。しかし首と腕の間に指を割り込ませるのは困難で、しかもそうする事で益々腕が首へ食い込む。この場合、普通は腕ではなく背後の敵自体を攻撃するのが正解なのだが、人間はよほど訓練されていない限り、どうしても首に回る腕を剥がしにかかってしまうのだ。
 俺は体術は得意では無いが、それでも絞め落とすのには十秒程度あればいい。程なく兵士の腕の力が弱まり、そしてがくりと体が崩れ落ちた。
「ふう……何とかなったか」
 額の汗を拭いながら、倒した二人の兵士を交互に見やる。どちらも完全に失神しており、そうすぐには目覚める様子は無い。
 何故こんな重装備の兵士が巡回していたのか。先程もそれらしい事を口走っていたようだったが、もしかすると彼らは国境警備兵で、この町は国境に近いのかも知れない。元々南北ラングリスは一つの町を半分に割る所から始まったそうだが、偶然その町に来ている可能性もある。
 何にせよ、先決は此処を離れる事である。俺は後ろの方へ下がらせたレイに向かって呼び掛けた。
「レイ、此処から離れるぞ」
「は、はい!」