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 翌日、コウタが来たのは日が西へ向かい始めた昼下がりの事だった。昨日はあんなに笑顔の輝いていたコウタだったが、今日は一転し見違えるように落ち着いていて、あまり元気が無さそうに見えた。顔色が悪い訳でもなく、表情も落ち込んでいるようには見えない。だけど昨日のような元気が感じられないのは、やはり私が昨日泣くところを見せてしまったせいだろうか。
「ごめん、今日はちょっと遅くなっちゃった」
「どうかしたの?」
「うん、ちょっと」
 そうぼんやり答えたコウタは、川縁の石の上に座り、小石を幾つか拾ってぽつぽつと川へ投げ込み始めた。
「実はさ、明日お葬式なんだ」
「お葬式?」
 知っている。死んだ人間を弔う儀式のことだ。実際に目にした事は無いけれど、出棺の列がこの橋の上を通るのは何度も見てきたし、その都度あの胸のざわめきが起こる。
「そう。あ、僕のお父さんじゃないよ。僕の親類の人。この町に住んでたんだって」
「コウタのお父さんの所にも行っていた人?」
「そうだろうね。顔もよく知らないけど、お父さんは親類をみんな嫌ってるようだから、同じ種類の人間だと思うよ。お父さんもそんな感じだったし」
「いつ死んだの?」
「昨日の夕方くらいに病院で。一昨日にお父さんが怒って、連中をみんな家から追い出した話は昨日したでしょ? その追い出された後、隣町へ向かう途中に事故を起こしたんだって。その人はこの町に家があるんだけど、車を持ってたから送り役をしたんだ。それで」
 おそらく、私が見た夜中の車の団体がそれに違いない。あの中の一台が事故を起こして一人が死んだ。時系列は合っていると思う。やはり私の役割とは、人間の死に関係する事なのだ。
「ねえ、やっぱりお葬式って泣かないといけないのかな?」
「どうしてそう思うの?」
「ぼんやりとしか覚えてないけど、お母さんの時はみんなそうだったから。でもさ、別に親しくもないし、お父さんの事もあって正直好きにもなれない人だから、別に悲しくともなんともないんだよね。泣こうにも泣ける訳がない。だから、どうしようかなあって思って」
 泣かなければいけない場所で、泣かないのは失礼な事なのか。でも私は人間の礼儀に関する答えなど持ち合わせていない。これまでも、そういったものとは無縁だったのだから。
「泣くのは泣きたい時で構わないと思うわ。理由も目的もないのに泣くのは可笑しなことだから」
「やっぱりそうだよね? 碧ならそう言ってくれると思った」
 自分で答えは持っていたのだろうか。私は思わず首を傾げてしまった。私の同意などあったところで何の安心にもならないと思うのだけれど。やはりコウタは、私を自分と同じ様なものとして捉えている。それはとても危うい事だから、私の決心を強めてくれる。
「碧は誰かのお葬式に行った事はあるの?」
「無いわ。どうして?」
「碧は悲しい時にちゃんと泣けるのかな、って思ってさ」
「私はそういう風に思った事が無いから、分からないわ」
「今までに、悲しいって思ったこと無いの?」
「多分そう。私が泣くのは、そういう時じゃないから」
「えっと、アレルギーじゃないし。いや、案外気付いてないだけで、悲しいと思う事はあるはずだよ。理由も無いのに泣くなんて事は出来ないんだから」
「いえ、理由はあるの」
「理由はあるって、何か分かったの?」
「ううん、違う。分かったんじゃなくて、気付いたのよ。昨日、突然に」
 そんな事は突然と気付くものではない。そう言いたげなコウタだったが、私の顔がよほど真剣味を帯びていた事に驚いたのだろう、まるで気圧されたかのように表情を強張らせる。
「気付いたって……どういうこと?」
「私はね、誰かが死にそうになると泣いてしまうのよ」
 更にコウタがもう一度、息を飲んで絶句するのが分かった。
「死にそうな人が分かるって……ああ、そうか。そういう話は聞いた事があるよ。前に本で読んだよ。怪奇全集って題名の」
「本の事は知らないわ。でも、死にそうな人が分かるというのは、あながち間違いじゃないの。私はただ、そういう気配を感じるだけだから」
「気配を感じるって言ったって、死にそうな人が居れば少なからず噂にはなるんだから、それを耳にしただけでしょ。碧はそれを思い込んでるだけじゃないかな」
「そうかも知れないし、違うかも知れない。ただ私は、そういう事をする役目があって生まれたものというだけの話よ」
「役目って、死にそうな人を知ったら、どうするの? 本人に伝えるの?」
「いいえ、ただ泣くだけ。誰かが死にそうになったら、自然と泣くの。悲しいとか、そういう事じゃないわ。コウタが眠い時にあくびをするのと同じよ」
「なんだか……よく分からないよ。からかわれてるみたいで」
 コウタは怪訝な表情を浮かべ私を見つめる。まだ私が冗談を言っているものだと半信半疑のようだった。コウタにそんな風に見られるのはあまりいい気分ではなかったけれど、ある程度は予想していた事でもあるから、私はコウタのそんな視線には気付かない振りをした。