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 依頼を受けたのは、丁度昨日の昼前。それから急いで準備を整え、宿を後にしたのが昼下がり。街道を外れた山中を入り間もなく夕刻となったから、夜の行動は危険と考えてそのまま野宿。そして今朝、日の出と共に再び行動を始めた。
 野宿にはもう慣れっこで、特に疲れや妙な寝違えはない。ただ、夜明け前の寒さだけが未だ苦手で、どうしても早くに目が覚めてしまう。
 そんな思いをしながら、丁度昼前に目的の場所を見つけた。切り立った崖の中腹から、生い茂った藪に紛れて眼下のそれを良く観察する。原生林を切り開いた野原と、そこに建つ丸太の小屋。小屋と言っても、軽く十人くらいは収まるだろうか。木こりが住むにしては明らかに大き過ぎる建物だ。
 じっと身を潜めながら、その丸太小屋を隈無く観察する。しばらく経って、おもむろに建物のなかから一人の男が現れた。男は身なりこそ普通のものではあったが、その腰には明らかに日常生活には不必要な大きな短剣を携えている。男は今まで寝ていたのか、大きなあくびをしながら、体をいっぱいに伸ばした。
 俺は慎重に人相書きを取り出し、男の顔と照合させる。特徴的な眉の形と、量が多く固そうな髪型、そしてひょろっとした細長い手足、いずれも描かれている特徴と当てはまる。ここで間違いない、そう俺は確信する。
 場所の特定が出来た事で、今度は付近の地理を隈無く探索し把握する作業へ移った。いざ作戦を実行した際、最後には逃走ルートが非常に重要になる。特に帰りは、自分のように速く走る事の出来ない共連れがいる。単に最短ルートを辿るのではなく、出来る限り見つかり難く安全な道が必要なのだ。
 連中に見つからぬよう慎重に付近を探索しながら、俺は今回受けた依頼内容を今一度頭の中で反芻する。
 今回の目的は、大規模な人買い組織の下部組織、おそらくはただの山賊崩れだが、その連中に連れ去られた子供達の奪還である。詳細によれば、ここ数日の間に連中に連れ去られた子供の数は三人、上部組織がその身柄を引き受けに来るのが隔週であるため、その三人は未だ連中のアジトに拘束されていると思われる。俺はそこへ潜入し、子供達を連れて街まで逃げ果たすのだ。
 この辺りの地域は、古い魔術信仰や蛮族の習慣の名残りが些か残っているため、こういった血生臭い事件が相次いでいる。要は、生贄には手っ取り早く無力な女子供を、という考え方だ。
 その習慣自体はどうでも良い。問題は、それを供給する連中の頭数と、この作戦自体に参加しているのが俺一人という現状だ。
 普通に考えて、陽動役や囮役がいて、それから強行班が突入する、そんな作戦を立てて実行するものだ。俺も当初はそのつもりだったし、冒険者ギルドなどで協力してくれる仲間を募った。にも関わらずこうして一人で来ているのは、誰一人として受けてはくれなかったからだ。その理由は、報酬額の折り合いである。
 金持ちの子供はそもそも誘拐されるような事態にはならないし、山賊も後々の報復が恐ろしいので避ける。反面、貧しい家庭なら誘拐も容易い上に報復も怖くない。そして、ギルドにも満足な依頼額を払えないため、追っ手がかかるリスクも低い。つまり、誘拐された子供の奪還というのは、リスクに対してリターンの少ない、割に合わない仕事だから、誰も受けたがらないのだ。
 そうしている内に、周囲の探索も終盤を迎えた。逃走ルートはさほど多くはないが、身を隠すには十分な茂みが多い。これならさほど逃走には困らないだろう。
 近くから枯れ枝を集め、まとめて束ねておく。決行のタイミングでの風向きにも寄るが、こうして目立つように火を焚いて、連中の注意を此処へ引き寄せるのである。流石の連中も火だけは恐れるし、山火事でアジトにまで延焼する危険もある。当然、本当に山火事を起こすつもりはないし、自分の退路を潰さぬよう火の手が広がり過ぎない工夫も凝らすつもりだ。
 大方の準備も整ったところで、後は日が落ちるのを待つばかりだ。決行の時刻は、連中が酒を飲み始める頃合いが良いだろう。注意力が一方にしか向かなくなり、さらわれた子供達への監視の目が緩む。
 それまで自分も一時休憩し、今の内に食事も取っておこう。そんな事を考えながら、街道へと戻っていった、丁度その時だった。
「ん?」
 街道のすぐ傍まで来たところで、ふと何者かが言い争う声が聞こえてきた。丘の上から眼下の街道を見下ろすと、そこには数名の人影が寄り集まっているのが見えた。藪に身を隠しながら静かに下り、聞こえてくる声に良く耳を澄ます。すると、しきりに声を荒げているのは粗暴な雰囲気の男達で、どうやら一人に対し何人かが一方的に恫喝しているようだった。
 取り囲まれているのは、やけに育ちの良さそうな一人の青年。表情はここからではよく分からないが、少なくとも狼狽えていたり恐慌状態に陥っているようではない。そして、それを取り囲んでいるのは、どうやら先程のアジトに属しているらしい山賊のような風体の男達だ。
 きっと、通行料などを一方的に巻き上げるつもりなのだろう。山賊の常套手段である。
 ここは、このまま見過ごすのが賢い選択だろう。大事の前の小事とも言われているくらいだ、下手にトラブルに首を突っ込むべきではない。
 ではないのだが。
 俺は元来、こういうものは見過ごせない性質なのだ。
 腰に下げた剣の存在を確かめて、俺は残りの道を街道まで一気に駆け降りた。