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 力一杯怒鳴りつけながら、間近で見たアーリャの表情。それは驚くほど平素のもので、まるで街中で呼び止められたのと同じような様子でこちらを見るばかりだった。怒りも驚きも、何一つ感じられない平素の表情。それは、とてもこれだけの惨状を繰り広げた人間のものとは、到底思えなかった。
「何故って、彼らが悪人だからですよ?」
「だからって、これはやり過ぎだ!」
「やり過ぎ? レナートは、こういった悪党が蔓延る事が良いのですか?」
「そうは言ってない、ただ程度の問題だ!」
「程度も何も、悪は有るか無いか、そのどちらかでしょう。有ってはならないなら、無くすしかない。それだけのことだと思いますが」
 あまりに平然と答えるアーリャの様子に、俺は戦慄すら覚えた。彼はどこか決定的に、善悪の考え方や命の重さが異なっている。理由さえあれば、人を人とも思わない。そんな価値観だ。
「お前は世間知らずのようだから、仕方がないのかも知れない。だがな、人間は簡単に人を殺しちゃ駄目なんだ」
「法律に則って殺せということですか? しかしギルドの法律では、こういった重犯罪者の生死は特に問わないとありますが」
「そういう意味じゃない、もっと人命の尊さを考えろという事だ。合法だから殺していいなんて、短絡的過ぎる」
「法律でも死刑があるじゃないですか。あれは短絡的ではないのですか?」
「少なくとも彼らは、仕事に対する誇りと、受刑者の命に対する敬意を払っている。だから、刑の作法があるんだ」
 そこでアーリャは、何かに驚いたらしく、おおと感嘆の声を漏らした。いや、驚くと言うよりも感心したのかも知れない。まるで、初めて耳にしたかのように。
 とにかく、こんな言い争いを悠長にしている場合ではない。早く、此処から退散しなくては。
 周囲を見渡すと、既にまともにこちらに立ち向かおうという気概の残る者は残っていなかった。自力で立ち上がれない、もしくは逃げ出そうにも逃げられない、そんな状態である。
「行くぞ、もうあのゴーレムはしまえ」
「まだ残っていますが」
「いいからしまえ! 子供達を放っておけないだろ!」
 するとアーリャは、納得したのか渋々なのか、ともかくゴーレムに向かって何事か指で描き、それを終えた直後にゴーレムは一瞬で粉々に崩れ去ってしまった。
「急ぐぞ、こっちだ」
 アーリャの腕を掴み、無理やりに連れて走り出す。
 子供達を逃がした方向は、既に下見を終えている場所だ。大体何処に何があるのか地形も把握しているから、今から走ってもすぐに子供達には追い付ける。
 そう思ったのも束の間、
「ちょ……待……」
 アーリャが俺の袖を後ろへ引いてくる。振り返って見ると、アーリャは肩で息をしながら、今にも倒れそうな顔でこちらを見ていた。
「もう無理……走……ない」
「まだ少ししか走ってないぞ? もっと頑張れないのか?」
「無理……限界」
 弱々しく頭を振り、辛うじてそれだけの言葉を絞り出すアーリャは、心底苦しそうで表情は苦悶に満ちている。まだ何分も走った訳ではないというのに、もう限界だなんて。本当に冒険者なのかと疑ってしまうほど、体力が無い。
「分かった。仕方がない、俺は先に行って子供達を探しておくから、後から自分のペースで来い。真っ直ぐ来るんだぞ」
 そう言うと、アーリャは息を切らせながら弱々しく頷いた。本当に理解したかはともかく、これだけ消耗しているなら無茶も出来ないだろう。俺は走れないアーリャをこの場へ置くと、先を急ぎ始めた。
 子供達を向かわせた方向は、藪や茂みが多いものの比較的背は低く、子供でもさほど進むのには苦労のない道である。そこを抜ければ、すぐに街道へと出る。大きな街道まで来れば辿るだけで街まで行けるし、人通りもそれなりにあるため、少なくとも昼間の内は安全である。
 それにしても、困った状況だ。そう俺は、走りながら内心溜め息をつきたかった。一応ギルドからの依頼はこなせそうだが、問題はアーリャの件だ。あそこまで派手な事をしたら、後日聴取を受ける事になるかも知れない。アーリャが本当にギルドからの依頼で動いていたのであればいいが、そうではなかったり、もしくは他に何か後ろ暗い
事でもあると、とばっちりで処分を受ける事もある。収入をギルドに頼っている身としては、それはあまりに致命的だ。
 やはりあの時、下手に関わらずに放っておくべきだったのか。そうでなければ、この後は子供達と合流して真っ直ぐ街へ帰るだけだというのに。
 そんな事を考えていると、やがて街道が眼下の傾斜の先に見え始めてきた。もう少し先に行けば、街道との合流点に入る。だが先を急ぎたかった俺は、近道のつもりで傾斜を駆け降りた。間もなく街道に出る、そう思って減速しようとした、まさにその時だった。
「死ねッ!」
 突然、前方の木の影から、先程の野盗の一味の一人と思しい男が姿を表すと、同時に構えていた短剣ごと俺に体当たりを繰り出して来た。まったくの無警戒だった事と、傾斜を駆け下りていた勢いのせいで、それを正面からまともに受けてしまう。
 しまった、待ち伏せられていたのか。
 そう思った時は、既に遅かった。男の肩口が胸に、そして短剣の切っ先は腹の真ん中に届いていた。衝撃が腹を突き抜けて、背骨まで達する。途端に体が自分のものではなくなったように硬直し、男ともつれ合うように傾斜の残りを転がり落ちる。そして、街道に胸から着地し、それからは急激に音や光が分からなくなっていった。
 地面に当たる頬から、僅かに地面が震えるのが伝わってきた。おそらく、俺を仕留めた事でこの場から立ち去っているのだろう。
 失敗した。連中は逃げるばかりで精一杯だからと、こういった反撃の事などまるで考えていなかった。それに、普段ならこんな不意打ちなんて絶対に気付いていたはずなのに。やはり、この理解を超える状況の連続が、注意力を散漫にしていたようだ。
 音と光が無くなると、急激に意識が薄れ、思考が萎んでいくのが分かった。そんな中で最後に頭に浮かんだのは、昔神学校で習った、魂の重さを量る神の秤の話だった。