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 まだ、辛うじて姿が見える。
 歩きながらそっと後ろを振り返った俺は、人の多く行き交う街道の中、雑踏に何とか耐えながらしきりにこちらの後を付けてくるアーリャの姿を見た。
 次の街に行くからと、アーリャの体力を見越した上で、このまま強引に振り切ってしまうつもりだったのだが。驚く程の粘りを見せ、未だアーリャの姿は俺の視界にある。一体何がそこまで俺にこだわらせているのだろうか、むしろ恐ろしさすら感じる。人柄が気に入ったなどと言っていたが、本当にそれだけの理由なのだろうか。
 朝から街道を北上し続け、やがて時刻も昼時になった。目の前には、やや高めの山々が見え始め、街道はその横を迂回するように延びている。麓には、宿泊施設や飲食店などが集まって小さな集落を形成している。おそらく、かつては舗装された街道は無く、人々は険しい山道を突っ切っていたのだろう。そんな人達を対象にした施設に違いない。
 一旦迷ったが、昼時という事もあって、俺は食事休憩を取ることにした。集落に入ってみると、やはりあまり人気がなく、寂れた印象がかなり強かった。昔はともかく、今は便利な街道があるから、みんな先を急いでしまって利用する事がないのだろう。大きく古い建物が目立つだけに、なおさら時代の趨勢と悲哀を感じる。
 食事が出来る所を探してざっと見回すが、どこも看板もなければ営業自体しているかも分からず、どうにも二の足を踏んでしまう。この集落は人が立ち寄るどころか、もう人そのものが住んでいないのではないだろうか。そんな疑問すら思ってしまう。
 仕方がないから、とりあえず片っ端から中を覗いてみるか。そんな事を考えた、その時だった。
「レナート、こちらですよ」
 唐突に、目前の建物の一つから姿を表し、俺の方に向かって手招きする男。俺はその姿に驚愕した。何故ならそれは、辛うじて俺の遙か後ろを歩いていたはずのアーリャだったからだ。
 反射的にアーリャの下へ駆け寄ると、その勢いのまま詰め寄った。
「おい、何故お前がここにいる」
「何故って、以前にもここに来たことがありますから」
「来たことがある? そんなの、理由にならないだろ」
「ああ、ほら。ここ、見えますか? 呪術的な杭を打ってるんですけど」
 アーリャが建物と建物の間の路地を指差す。だが、そこには雑草が少し生えているだけで、アーリャの言う杭など見当たらない。
「こうやっておくと、後から一瞬で移動出来るんですよ」
「移動? まさか、魔法か?」
「ええ、そうです」
 移動魔法。それは決して珍しいものではない。しかし、これほど遠距離を一瞬で正確に移動するなど聞いたことがない。移動に関する魔法は非常に難易度が高く、才能のある人間が長年修行してようやく安定して使えるようになる代物だ。そんなものを、こんな安穏としたアーリャが使えるとは思えないが。とは疑っても、事実アーリャは俺を追い抜いて、今ここに居るのだ。
「さあ、食事にしましょう。客は我々だけですから、話もし易いですよ」
 そう言ってアーリャは、俺を強引に今出て来た建物の中へと連れ込む。未だ現実味はないが、もはや自分がアーリャに付きまとわれていることを意識せざるを得なかった。この人懐っこさと、得体の知れない行動が、どうにも俺の緊張感を煽ってくる。
 建物の中は、古き良き酒場といった風体の内装だった。左奥には二階へと続く階段があり、その先は宿泊用の部屋が並んでいるようだった。そして、やはりアーリャの言う通り他に客の姿は無いばかりか、人の気配すらも感じられない。
「さあ、そこに座りましょう。食事をしながら、今後について話し合うのです」
「話し合う事なんか、何もない」
「そう言わずに。すいません、注文お願いします」
 相変わらずアーリャは自分の勝手なペースで話を進めてくる。話し合う事はないが、釘を刺す必要はありそうだ。そう思った俺は、仕方なしにアーリャと同じ席に着いた。
「あれ? 変だなあ。すいませーん、どなたかお願いしまーす」
 奥の方へ声を掛けるアーリャだったが、一向に誰も姿を現さなかった。そもそも、外から見ても営業自体しているかどうかも怪しい外観だったのだ。誰か居るのかどうかすら疑わしい所だ。
「休み、若しくは廃業したんじゃないか?」
「変ですねえ、前に来た時はもっと混雑して賑わっていたのですが」
 そんな景気のいい頃なんて、一体何十年前の話なのだか。どうせ、何処かからの聞きかじりだろう。そう思い、俺はあまり真に受けなかった。
「あんたら、ここで何をしていなさる」
 唐突に声が聞こえて来て、反射的に右手が剣の柄に触れ、席を飛び上がるように立つ。
 声の主は開けっ放しの入り口にいて、俺の反応に驚きいささか戸惑っていた。それは大分歳を取った老人で、警戒混じりに俺達の様子を窺っている。ここに居るのが珍しいか、または怪しげに見えるのだろう。
 俺はすぐに柄から手を離し、うやうやしく一礼する。
「大変失礼しました。もしかして、ここの主人ですか?」
「いや、その幼馴染みじゃ」
「幼馴染み?」
「ここの主人は、もう二十年近く前に亡くなったぞい。だから、早いところ出なされ。日が暮れると、ここは危険になるでな」