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 日が暮れると危険になる? その言葉に引っかかりを覚える。
「危険になる、とは一体?」
「よくある話じゃよ。夜にここに来るとな、誰彼構わず祟るんじゃ。もう、何人もやられたでな。じゃから、あまり長居はせん方がいい」
 からかっているのか、そう思ったが、良く見れば彼は店のすぐ外から話しており、一歩たりとも踏み入っていない。あまりに不自然な話し方である。事実はともかく、少なくとも彼は嘘を言ってはいないようだ。
「祟り、つまり悪霊の類になってしまったと?」
「悲しい事にのう……」
 彼は如何にも物悲しげに顔を俯ける。
 悪霊という存在は、確認されていることは確認されている。ただし、それは物理的な実体を持たない妖物の類をカテゴライズするための表現であって、実際に死んだ人間が悪霊となる訳ではない。少なくともレト教では、死後の魂が現世に留まる事を認めていない。死んだ人間の魂は直ちに主神の使いによって天界へと招かれる。そこで生前の罪を裁かれ、その軽重によって、天界で幸福に暮らすか、または現世で虫などの生物に生まれ変わらされるのだ。
 この老人の言うことには、自分の親友だった存在が悪霊と化して、この建物に棲み着いているという。教義を鵜呑みにしている訳ではないが、これまで自分が見て来た悪霊には人間が変化して生まれた物は無かっただけ、俄には信じ難い話だ。
「それは、さぞ御心痛の極みでしょう。ならばこれも何かの縁、是非我々に手助けさせて下さい」
 その時だった。突然とアーリャは老人の元へ寄るなり、神妙な面持ちでそんな事を言い出した。
「おい、ちょっと待て。俺達って―――」
 その反論に、アーリャは更に言葉を被せる。
「我々は、ギルドに所属する歴とした冒険者です。こういった事は、むしろ専門なのですよ」
「おお、それは頼もしい事です。ありがたい、ありがたい……」
 アーリャの言葉に、老人はまるで拝むように深々と頭を下げて感謝の意を示す。
 これでは、今更断り難いではないか。
 俺はそれ以上口を開けなくなった。
「では、一度ワシの家に来て下され。すぐ近くにありますので。そこで、詳しいお話をさせて頂きましょう。さあ、さあ、どうぞこちらへ」
 老人に連れられ、俺達はこの店を後にする。
 時刻はまだ昼下がりで、太陽も十分高い位置にある。それでも、この集落には俺達以外の人影が無く、まるで世界から取り残されたような気分にさせられる光景だった。老人は小路を抜けて大通りへ出ると、そこから少し歩いた所に建っている建物を俺達に示した。それは、この集落でも最も大きいであろう、実に立派な建物だった。
「こちらが、ワシの家になります」
「随分と大きいですね」
「かつては、雑貨商を営んでおりました。この集落でも一番の豪商などと謳われた事もありましたが、やはり世の流れ、栄枯盛衰にはかないませんでのう」
 表口には大きな雨戸、そして鉄の格子が下ろされている。そこが丁度、雑談屋として広く取った出入り口だったのだろう。その大きさからして、売り場や品揃えの数も、相当なものだったに違いない。
 俺達は老人の案内で建物の裏側へ回り、勝手口から中へと入った。中は思っていたよりも明るく小綺麗で、広さの割に良く手入れが行き届いているようだった。広い廊下を抜けて、応接間へと通される。そこは豪華な調度品や美術品などが惜しげもなく並べられ、お世辞にも趣味の良い部屋とは言い難かった。如何にも一代で成り上がった成金趣味のように、俺には見える。
「こちらで少々お待ち下され。今、お茶を用意させますよって」
 そう言って老人は、奥の方へと引っ込んで行った。
 部屋に残されたのが俺達二人だけである事を確認すると、俺は早速アーリャを問い質した。
「どういうつもりだ? 勝手に首を突っ込んだりして。いや、そもそも俺を巻き込むなよ」
「彼が困っていたから、では理由になりませんか?」
「ならないな。そうしたら、俺は行く先々でただ働きをしなくちゃいけない」
 やはり、ただのお節介で首を突っ込んだのか。案の定の返答に、俺はまたしてもうんざりした気持ちにさせられる。
 だが、
「何も、私は悪霊とやらが気になるだけではありませんよ」
 アーリャは前回とは違うとばかりに、補足を始める。
「どういう意味だ?」
「あの老人、呪われてますよ? 呪われているという事は、過去に相応の何かをした可能性があるという事です」
「相応の何か、ね。今度は賞罰歴でも照会するつもりか? 一般人のものは、ギルドでは扱っていないぞ」
 皮肉を込めて、そう当て付けがましく答えてやる。それに対しアーリャは、平素と同じ表情のまま淡々と語り始めた。
「賞罰歴とは、主の定めた法ではなく人の定めたもの。更に加えれば、その内容は時勢によって幾らでも変わるものです。そんな基準に沿ったものなど、何の意味もありません。重要なのは、もっと普遍的なもの。人間には悪意という原罪があります。その発露が罪であり、罰の対象となるのです。よって、悪意を持って攻撃するのも罪であり、そうさせた本人にもその可能性が大いにある訳です」
「話が長い。もっと単刀直入に言ってくれ」
「つまり、二人とも罰するべき、そういう事です」
 こいつはいよいよおかしくなったか。
 あまりに真剣に話すアーリャに、俺は呆れの表情も出て来なかった。法律よりも原罪を基準にするなど、レト教の教皇でも否定する蛮行だ。アーリャは敬虔な信者かと思っていたが、もしかするとかなり異端寄りなのかも知れない。