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 老人は、彼よりも一回り程度年下の使用人を一人雇っていて、その彼にお茶と軽食の準備をさせる。お茶もそうだが、食事も意外と手の込んだもので、この寂れた集落からは連想し難い内容だった。経営時代の仕入れルートが未だ健在なのか、普段の生活や物資にはあまり困っていない様子だった。
「自己紹介が遅れてしもうたが、ワシはマカールと申します。元々、この集落で雑貨商をしておりましたが、今ではこの通り。店先を開けなくなって随分経ちます。まあ、御覧になってお分かりでしょうが」
「私はアーリャ、そしてこちらが相方のレナートです。どうぞ宜しくお願いします」
 しれっと相方として紹介されてしまったが、今更もうあれこれと反論する気にもなれなかった。とりあえず今は、このマカールという老人の身の上話が気になる所だ。
「ワシには、グレープという幼なじみで一番の親友がおりました。お互いこの集落で生まれ育ち、良いことも悪いことも、いつも一緒にやっていた仲です。とは言っても、お互い生家には家業があり、歳と共に家業をやらねばならなくなり、一時は顔も合わせなくなったもんでした。その頃は、丁度この一帯の開発が始まって人が賑やいでいたので、まあ朝から遅くまで、とにかく働き詰めです。うちは商家、グレープは酒家、客が途絶えるような日は一日たりとも無かったもんです」
 おそらく、当時のこの地方の領主が街道の整備を行ったのだろう。街道の整備には、おそろしく時間と労力がかかる。そこにやってきた作業者と、それを相手にした商売が盛り上がったのだろう。典型的なにわか景気だ。
「まあ、そんなで何年も働き詰めだったのも、段々と落ち着いて来まして。丁度その頃でした、唐突にグレープに結婚の話が上がりましてね」
「結婚ですか? 唐突という事は、あなたも知らなかったのですか?」
「前々から話はあったそうですがね。何せ、その当時のワシは仕事仕事で、朝から晩まで手一杯。聞き逃したか、忘れてしまったか。まあ何にせよ、親友の一世一代の晴れ舞台を欠席するなんて不義理はしなくて済んだ訳で」
 そう懐かしむように語り、合いの手を入れるアーリャ。しかし俺は、いつになったら本題に入るのか、そういささか苛ついていた。他人の思い出話というのは、本人は得意げに話すが、周囲には退屈な内容だ。そして、加齢と共にその傾向はどんどん強まっていく。
「結婚相手ってのが、また美人でね。まあ、ちょっとした昔馴染みって奴でね、お互いそんなに知らぬ仲じゃないんだ。だからかね、そりも合う訳だから、仲良くやっていたんだよ。しばらくの間は」
「しばらくの間?」
「死んじゃったんだよ、その奥さんがさ。まあそれも、ある日急にってんだから。みんな最初は唖然としちゃってねえ」
 急死した。我ながら不謹慎とは思ったが、人の死がかかわっているとなると、途端に興味がより強くなっていく。
「それからすぐだよ。グレープの奴が、なんかおかしいって噂が立ったのは」
「どういう噂だったのですか?」
「何でもさ、夜中に部屋の中で一人で話してるそうなんだが、それが独り言じゃなくて、どうも奥さんと話してるらしいんだ。いやもちろん、奥さんの声を聞いた人は誰もいやしない。なんせ、もう亡くなっているんだから。ただね、話の内容が、どうにもそんな風に聞こえるって事なんだよ」
 何だか、ありふれた怪談話になってきた。そう思った途端に、興味が急速に失せていった。何か事件性があって、あの廃屋には入ってはならないのかと思っていたのだが。どうやら、ただの怪談話の延長だったようである。
 俺が密かに興味を無くす一方で、アーリャは変わらず熱心に聞いていた。そんなに珍しいものなのだろうか、と、やや冷ややかに思った。
「そんな事があって、グレープの親族達はどうしたものかと四苦八苦したよ。何せ、あの店の跡取り息子な訳だ、焦っただろうさ。ワシも、親友として心配だったけれど、長い付き合いだからね、周りがどうこう出来る問題じゃないって、何となく分かっちまうんだ。それだけに、辛かったね。親友なのに、何も力になれないんだ。で、それから丁度一年後、奥さんの命日に後を追っちまってさ。本当に馬鹿な事をしたよ、あいつはさ」
 そうマカールは、寂しさと苛立ちの混ざり合った眼差しで、親友の最後を語った。過ぎし日を思い返す彼の表情を見た俺は、下世話な興味しか抱かなかった自分を深く恥じた。幽霊やら怨念やらが単なる勘違いだとしても、それに囚われて苦しむ人を嘲笑うものではない。
「御心痛、お察しします。それでは、夜にあの建物に入ると危険だというのは、そこを境にするものなのでしょうか?」
「まあ、そうなるんじゃろうかのう。あいつが居なくなって、店もすぐに畳んじまってさ、一月もしない内に今みたいな廃屋になっちまったんだ。最初はただの噂かと思いきや、実際に恐ろしい目に遭った奴は何人もおる」
「そのグレープさんの、他の親族の方々はどうされたのですか?」
「葬儀が終わったら、余所へ引っ越しちまったよ。まあ、仕方ないだろうさ。人が寝泊まりする同じ屋根の下で、自殺があったってんだから。客はみんな気味悪がって、近付きやしないよ。中には、度胸試しやら興味本位で入る者もいたが、どれも散々な目に遭わされてさ。翌朝も待たずに、逃げるようにいなくなったよ」
 幽霊というものは、そんなにすぐ現れるものなのだろうか? 存在そのものを信じてはいないが、いささか性急過ぎるようにも感じる。俺自身も観劇などに影響されているから、そう思うのか。
「では、興味本位などで覗きに行った彼らは、具体的にはどのようになったのですか?」
「それがのう……」
 マカールは、一層声のトーンを落として言葉を続ける。