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 マカールの自宅で食事を振る舞われた後、俺とアーリャは再びあの廃屋へと向かった。
 改めて外観を見てみると、やはりとても今でも人が住んでいるようには思えない、酷くおどろおどろしい雰囲気である。壁には屋根から滴り落ちるように濃い緑のカビが生え、汚れた窓枠は所々が外れている有り様だ。おまけに、正面玄関を良く見てみると、出入り口のすぐ上の壁にはかつて看板があったらしい長方形の跡が僅かに残っている。どう贔屓目に見ても、現役で営業しているたたずまいではない。マカールの言う二十年でさえも記憶違いを疑ってしまいそうだ。
「本当に入るのか?」
「ええ、そうですけど。先に中を調べた方が良いでしょう?」
 念のために確認はしてみるものの、アーリャは相変わらずの調子で、何の警戒も無く中へ入っていった。俺もまたその後に続くが、とてもアーリャのように安穏とは構えられなかった。
 入ってすぐのホールは、主に酒場として運営されていた内装になっている。そして二階が宿として作られており、割と良くある営業携帯だ。ホールには幾つかのテーブルと椅子、数名が並べるほどのバーカウンターが配置されている。最初に此処へ来た時は意識していなかったが、ホール内の調度品などはほとんど片付けられてはおらず、そのまま放置されているようだった。流石に貴重品などは無いが、とにかく急いでここから飛び出していったような雰囲気がある。主人の自死のせいで店を畳むことになったのは仕方がないとして、こうも慌てて、まるで逃げ出すように後にしたのは何故だろうか。彼らもまた、この建物に潜む怪異とやらに気が付いたのだろうか。
「特にこれと言って、変わったところはありませんねえ」
「家具がそのまま残っているのは、何かおかしいんじゃないか?」
「家具は家具でしょう? それよりも、件の霊が出て来ないんですよ。やはり、昼間だからでしょうか?」
 アーリャは小首を傾げながら、そんな事を語った。ありもしないものがひょいと出て来てたまるか、などと思いつつ、俺は自分で自分なりに調査を続ける。
 ホールの奥は厨房と倉庫、後は事務や待機などに使う小部屋が幾つかある程度だった。いずれも、ほとんど当時のそのままらしく、帳簿の類は持って行ったようだったが、機材や家具などがそのまま残っている。空気の流れが無いため、あまり傷みはない。けれど、玄関が開けっ放しのせいか、埃は大分溜まっている。
 一階を一通り見て回ったところで、大した成果も無い事を確認する。何せ、少なくとも二十年も前の事だ。今でも何か手掛かりが残っているとは到底思えない。逆に言えば、新しい痕跡があれば、それが犯人である。
「アーリャ、何かあったか?」
「いいえ、全く。少し休憩しましょう、流石に疲れましたし」
 そう言ってアーリャは、ホールの席に腰を重そうに下ろした。まだ一時間かそこらしか経っていないというのに、もう疲れたというのか。相変わらずの体力の無さに、呆れの溜め息が漏れる。そんな体力で、一体これまでは何処をどう旅してきたというのだろうか。
 そんな事を思ったその時だった。ふと、先程のやり取りを思い出し、それを問うてみる。
「ところで、お前は前に箇々へ来たような事を言っていたが。それはいつの話だ?」
「さあ、何時でしたかねえ。もう大分前ですよ」
 疲れているせいか、やや面倒臭そうに答えるアーリャ。思い出そうという素振りも見られない。
 そう、アーリャの言っていた事は、些か不自然なのだ。前回来た時は営業していたと、確かにそう言っていた。だが、この酒家が営業していたというのは、少なくとも二十年は前の事なのである。アーリャの見た目は、どう見ても俺と大差ない程度だ。二十年前なんて、一人旅が出来るような歳であるはずがない。
 どうせ、適当な事を言っているのだろう。もしくは、良く似た別の集落と勘違いしているか。何にせよ、別段気に留める事でもないと思った俺は、それ以上は詮索しない事にした。
「さて、十分休憩もした事ですし、そろそろ二階を調査しましょうか」
 やがて、おもむろにアーリャは立ち上がりながら、そんな事を口にする。あんなに疲れやすいくせに、回復は随分と早いようである。いや、単に体力の底が浅いだけかも知れないが。
「まだ続けるのか」
「もちろん。状況は、何も分かってはいませんから」
 そうアーリャは断言する。どうやら、何としてでも何か手掛かりを掴みたいようだ。本当にあるかどうかも分からないというのに、そう断言するからには何か心当たりでもあるのだろうか。
「なあ、本当は何が目的なんだ?」
 アーリャのあまりの自信に当てられたか、俺はふとそんな事を口にしてしまった。
「どうかしましたか?」
「やはり、俺には幽霊なんてものは信じられない。此処で起こったという出来事も、何かの魔物の仕業か、悪意有る人間か、もしくはただの出任せじゃないかと考えている。いや、それが最も常識的な考えだ」
「常識的? 何をもって、常識なんて言うんです? そもそも、人間の言う常識とは、乏しい知識の範囲に収まるものの事じゃないですか」
 単に俺の知識が追い付いていないだけ。そうと言わんばかりに、きっぱりと断言するアーリャ。それは俺を言いくるめようというより、純粋にそう思っているから答えただけに過ぎない、そんなシンプルな返答に感じる。
 何だろう、アーリャのそれは確かに正論かも知れないが、どこか違和感がある。人間の常識とは、確かに存在するものではあるけれど、それを客観的に測れるものだろうか?
「お前、マカールは呪われていると言っていたよな。それに、そうなるだけの相応の何かをしていたとも。本当は何か掴んでるんじゃないのか? だから、調査をしようなんて言い出したんだろ」
「ほんの少しだけですよ」
「否定しないなら、やはり何かあるんだな」
 こちらは断言するだけの根拠は無いのだろう。だからこその調査であって、幽霊なんてものが存在する前提を掲げているのだ。
「呪いの元は多分、マカールの御友人でしょう。恐らく、生前か死後かのものです。そして彼らは、字面通りの親友という訳ではないのかも知れません」