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「な……どうしてここに!?」
「ほら、昼間にも言ったじゃないですか。ここに魔法の杭を打ってるから、来るのは一瞬だって」
 そう、確かアーリャは、自分は瞬間移動の魔法が使えると言っていた。瞬間移動など、距離は限定されている上に、才能に拠る部分が大半を占める高難易度の魔法だ。それが使えるだなんて半信半疑だったが、どうやら本当に事実のようだ。
「ところで、どういった状況なのでしょうか? 私にはちょっと、飲み込めないのですが」
 そう問われ、俺は今の閃光でマカールを離してしまった事に気付いた。今の正気を失っているマカールを、自由にさせる訳にはいかない。いや、それどころか、まだここにいるのか? そんな事を頭に過ぎらせながら周囲を見ると、意外にもマカールはすぐ傍で大人しく突っ立っていた。
「あの……これは一体……?」
 そして、困惑しきった様子で恐る恐る訊ねて来る。手は未だ後ろ手に縛られたままで、明らかに状況が分かっていないようだった。その姿に俺は驚いた。マカールがいつの間にか正気を取り戻しているからだ。
「私にもよくは。とりあえず、レナートに説明して頂きましょう。おっと、怪我をされているようですね」
 そう言ってアーリャは、マカールの額をそっと撫でる。すると、未だ新しい血が滲み出ていたそこは、まるでそっくりそのまま入れ替えてしまったかのように元の状態へ戻ってしまった。
 何をされたのか良く分かっていないマカールは、きょとんとした表情で立ち尽くしている。アーリャはいつものようににこにこしながら、マカールの縛られた腕を解き始めた。
 アーリャは、傷を治す事が出来るらしい。けれどこれは治すというよりも、丸きり元に戻しているように見える。そう、まるでこの世の常識を無視しているかのような所業だ。
「あの……一体何がどうなっているのやら。私は何故ここに居るのでしょうか?」
「とにかく、まずは戻りましょう。話は道すがらにでも」
 夜になると何人も死傷者が出るという、そんな建物の前で夜中に立ち話するほど酔狂ではない。俺は一旦戻ることを促し、そのまま連れ立って歩き始めた。
「まずお訊ねしますが。マカールさん、あなたは今の出来事は覚えておいででしょうか?」
「今の、と申されましても……。私には、何が何だかさっぱりで」
「では、どこまで思い出せますか?」
「ええ、お二人を部屋へ御案内した後、書斎へ入りました。寝る前に、そこで少々読書をするのが習慣ですので。それで、いつからか眠気がやってきて、うとうとしていたと思います。思い出せるのは、そこまでです」
「これまでに、似たような事は?」
「さて、書斎でうたた寝をし、使用人に運ばれて、翌朝ベッドで目が覚めるのはたまにありましたから。私からは何とも……」
 うたた寝をし、目が覚めたら別の場所にいる。そんな事は珍しくはなかったのだろう。もっとも、寝室のベッドではなく件の廃墟で目が覚めるなんて事は、これまでに無かっただろうが。
「私は、就寝前に水を戴こうと、キッチンへ降りました。丁度その時に、あなたが勝手口から出て行ったのを見つけたのです。何やら様子がおかしかったので後を付けてみた所、ここへやってきた次第です」
「様子が? それは一体どのような?」
「その、何と言って良いやら……。とにかく、心ここにあらずといった表情で、ぼんやりと宙を見つめながら、真っ直ぐここへ歩いてきたという感じです」
 最も異様なのは、明らかに俺を殺そうとして襲い掛かって来た事だ。そして今のマカールを見る限りでは、襲った事を全く憶えていないばかりか、知らぬ間に一人で夜中に出歩いていた事すら信じ難いという様子だ。今は伏せておくが、これは原因を突き止めておかなければならない、危険な状態だ。もしも居合わせたのが俺でなければ、最悪殺されていたかも知れないのだから。
 そこでふと、マカールが話していた件の怪談話を思い出す。夜にあそこを訪れた者が、皆一様に怪我をしたり死んだりするそうだが、その犯人はあの時のマカールなのではないだろうか。そして、それこそが親友グレープがかけた呪いなのではないか。
 やがてマカールの自宅に戻ると、話の詳細は明日にして今夜はもう休む事にした。特にマカールは、自覚はないものの疲労は激しいからだ。それに、この出来事をマカールに、今すぐ合理的な説明が出来る自信も無い。
 俺達も客室へ戻り、そしてベッドへ腰を下ろした。俺もまた酷く疲れていた。特にあの建物に入ってから、緊張の連続だったせいだろう。体力より気疲れの方が大きい。
「それで、結局の所は何があったのですか?」
 アーリャは、いつもの暢気な口調でそう訊ねて来る。
「大筋は既に話した通りだが……実は、あの建物の二階の所で、マカールさんに手斧で襲われた。多分殺すつもりだっただろうな」
「マカールさんは、そういった事は憶えていないようですね」
「ああ、そうだな。もしかすると、お前の言っていた例の呪いは、これの事なんじゃないのか? こうやって人を襲う呪いだ」
 俺は確信を持ってそう断言する。マカールのような善良な老人が、明らかに異常な状態になって人を襲うなど、他に理由が考えられないのだ。
 しかし、アーリャの反応は思っていたよりも鈍かった。
「うーん、そうかも知れませんけど。やっぱり、ちょっと違うかも知れないかな、と思います」
「何だ、今更。呪術と言い出したのは、お前の方だろう」
「僕は、呪術とは言っていません。そういった類の、歪みのようなものがあると言っただけです。ただ、呪いには違いありませんけど」
 その歪みが、まさに呪いではなかったのだろうか。
 ともかく、その分野においてはアーリャの方が専門で詳しいのだから、今は見解を聞くしかない。
「で、何故そう思うんだ?」
「自分が術者だと仮定してみて下さい。マカールさんへ明確な恨みがあるなら、もっと本人へ力を向けると思いませんか? それこそ、本人を病気などでじわじわ苦しめたり、若しくはもっとストレートに命を奪ったり」
 その指摘に、俺もハッと息を飲んだ。確かにそう言われてみれば、これが呪いによるものなら、少し不自然である。
「見ず知らずの他人を、わざわざあの場所に行ってまで害させる理由が無いという事か」
「そういう事です。まあ、社会的な立場を失う事もあるでしょうけど、恨みを晴らすのにわざわざ無関係の人を巻き込もうとするのは考え難いですし。ですから、この不条理さから鑑みるに、一つ別の可能性も出て来ました」
「可能性?」
「怨念ですよ。御友人であるグレープさんの怨念の仕業なら、目的性が見えてくるのです」
 したり顔でそう話すアーリャ。少し前の俺なら、そんな意見など一蹴していただろう。しかし今は、アーリャの意見に不思議な説得力を感じている。
「要するにそれは、悪霊に取り憑かれている、という類の話か?」
「有り体に言えば、そうですね。もっとも、悪霊自身がマカールさんに恨みを持っているかも知れないし、ただ間借りしているだけかも知れませんし、そもそも明確な目的を持つほど強いかも分かりませんけれど」
 とにかく、たちの悪い何かにマカールは取り憑かれ、夜な夜なああいった凶行に及んでいるというなら、これまでの辻褄は合う。それこそ、怪談には良くあるシチュエーションだ。
「で、どうする? 俺は、悪霊なんて信じてすらいなかったんだが」
「そうですね……取り敢えず、憑き物を落とす方法から考えましょうか」