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 一夜明けて、食堂に現れたマカールは、いささかやつれた様子だった。昨夜はあまり眠れなかったのか、体が酷く重そうで目つきもぼんやりとしている。ただ、昨夜の異変の時のような意識の欠落さは感じられないため、取り敢えずは昨夜のような所業に及ぶ事はなさそうである。
「おはようございます、マカールさん」
「ああ、おはようございます。よくお休みになられましたか?」
「ええ、それはもう。マカールさんは、少々お疲れのようですね」
「いやはや、何ともお恥ずかしい。眠ろうにも、あまり眠れませんで」
 そう微苦笑を浮かべるマカール。単に考え過ぎでの不眠だろうが、年を取ってからの憔悴は健康にも良くない。やはり、いち早く原因を解明してやらなければいけないだろう。
 三人での朝食を始める。もう一人、マカールが雇っているという使用人は、普段は食事も一緒にする事は無いそうだ。普通使用人というものは、何処でもそんなものだが、この寂れた人気の無い集落でもそうなのは、いささか物寂しさを感じる。
「マカールさん、昨日の件なのですが。実は私達、原因に心当たりと言いますか、見当が付きそうなのです」
 不意にアーリャがそんな事を言い始めた。もちろん、そんな打ち合わせなど俺はしていない。
「ほ、本当ですか? それで、心当たりとは一体どのような?」
「確定ではありませんが、マカールさんは誰かに恨みを買うような心当たりはありませんか?」
「え……? う、恨みですか?」
 あまりに唐突で、率直過ぎるアーリャの言い草に、マカールはにわかに狼狽える。
「おい……! 失礼だぞ、お前」
「ですが、現状最も正解に辿り着ける可能性があるのは、そういう切り口だと思いますが。レナートだって、納得していたじゃないですか」
 だからと言って、もっと言い方があるはずだ。
 そんな事を言い返そうとした時だった。マカールはおもむろに顔を両手で覆うと、ぽつぽつと小さく呻き声を漏らし始めた。ほら言った通りだ、とでも言わんばかりに、アーリャは得意気な表情を俺に向ける。俺が言いたいのはそういう事ではないのだが、溜め息しか口から出て来なかった。
「やはり、お気付きだったのですね……。ええ、その通りです。きっとグレープは、私の事を恨んでいるのでしょう」
 嗚咽混じりに、どうにか声を振り絞るマカール。
 俺はむしろ、あっさりと認めた事に対して狼狽えた。普通、親友だと紹介した人に恨まれているなどと、指摘されても簡単には認めなどしないものだ。
 マカールは、グレープに恨まれる自覚か心当たりがあったという事になる。なら、何とかその詳細を聞き出したいが、流石にこれ以上追及するのは心が痛む。そう思い次の言葉を躊躇っていると、
「それは、どのような恨みなのでしょうか?」
 アーリャはあっさりとそれを口にする。流石に無神経過ぎる。俺はすぐさまアーリャに詰め寄った。
「おい、幾ら何でもその言い方は―――」
 しかし、
「今、きちんと状況と経緯を把握しないと、何も解決しませんよ?」
 そう強く正論で断言され、俺は言葉が詰まる。アーリャの言葉は正しい。それは理解出来る俺は、それ以上の言葉は発せなくなった。
 野盗は根絶しなければならない、あの時もそうだった。情け容赦のないアーリャの手段は、目的が明確で、一片の迷いもない。時折、アーリャは苛烈になる。考え方が合理的なのか、人の感情をものの数に数えないからか。そこに、常識離れした魔法の知識が加わるからか、同じ人間とは思えない時がある。もしかすると、アーリャを胡散臭いと評するのは、かなりの過小評価なのかも知れない。
「私がグレープと幼なじみで、子供の頃から仲が良かったのは事実です。そして、お互い家業が多忙になり、何となく疎遠になった事も。ただ、実はお話していない事があります。グレープの奥さんの、本当の死因です」
「本当の死因?」
「実は、白桃のシロップ煮の瓶詰め、これにあたったせいなんです」
「あたったとは、もしかして食中毒か何かですか?」
「正確な原因は分かりませんが、とにかく、偶然にも消毒の不十分な不良品を食べてしまい、それがあたってしまったのです」
 死因が食中毒だった?
 確かに、食中毒は甘く見る事は出来ない。物によっては、本当に命を奪うような事も十分有り得るのだ。それに軽い中毒でも、たまたま体力が衰えている時だったとしたら、それだけで死に至る事すらある。だから冒険者は生物を絶対に口にしないし、特に神経質な人間は、他人が管理した物すら食べない事もある。
「食中毒なら、何故それでマカールさんが恨まれる事になるのですか?」
「実は、それを贈ったのが私だからです。たまたま良い物が手に入ったから、残暑見舞いを兼ねて。私も知らなかったのです。まさか不良品が混じっていたなんて……」
 グレープから見れば、マカールの過失ではあるかも知れない。けれど、一体誰がそこまで予見出来るというのか。マカールは、あくまで好意で贈っただけなのだ。その結果で起きた事を、単に過失とするのは惨いだろう。
 この事を長く恨まれていたのだろう。やるせない話である。そう同情する一方で、この事態はどうすれば収拾がつくのか、そんな疑問に今更辿り着いた。生きている人間が相手なら説得のしようもあるだろうが、死んだ人間に道理は通用するのか。いや、そもそも幽霊の存在を肯定しているのが前提で話が進んでいる。例えマカールにはこれが事実であっても、俺には対応法など尚更思い浮かばない。
「おい、どうするんだ?」
 声を潜めアーリャに問い掛ける。するとアーリャは、あっさりと解決策を提示した。
「では、グレープさんと対話して貰いましょう。それで、お互い気持ちが晴れるはずですよ」
 幽霊と対話、また馬鹿な事を言い出したかと思ったが、それが真実であると信じているマカールには有効なのかも知れない。
 大方、何かそれらしい演出のできる魔法でもあるのだろう。なら、後はアーリャに任せてしまってもいいのかも知れない。不安なのか安堵なのか良く分からない、妙な溜め息が口から出た。