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 その晩、俺達はマカールに食堂へ来て貰い、事の次第を説明する。要するに、アーリャが作ったこの薬を飲んでグレープと対話しろ、という荒唐無稽な内容なのだが、マカールはあっさりと承諾してしまった。気が弱って判断力が鈍っているのか、アーリャに全幅の信頼を寄せているのか。どちらにせよ、説得する手間が省けるのは好都合ではあるものの、得体の知れないものを飲ませる事には罪悪感を感じてならなかった。
「さあ、早速始めましょう」
 そう言ってアーリャは、小皿の上に乗せた丸薬とコップの水をマカールの前へ差し出す。その丸薬はアーリャが精製したもので、俺自身もどういう効果があるのか想像もつかない、本当に無数の薬品が混ざっているものだ。脳の機能を一部コントロールするなどと不穏な事を言っていただけに、尚更これをこのまま飲ませて良いのか疑問だった。
「では、戴きます」
 そう言ってマカールは、目の前の小皿から丸薬を手に取ると、特に躊躇いもせず水と一緒に飲んでしまった。
「これでよろしいでしょうか?」
「はい、結構です。十分程で効果が現れるはずですから、このまましばらく待ちましょう」
 そして、三人でテーブルを囲みながら、ひたすらじっとその時を待つ。
 以前、降霊会という遊びを知ったことがある。それは、とある富豪の身辺警護を期間限定で受けた際、雇い主とその友人達が当時夢中になっていた遊びだ。要は、夜半過ぎに薄暗い部屋でテーブルを囲み、怪しげな呪文を唱え、不気味な紋様を描き、いかがわしい香を焚いて、おどろおどろしい雰囲気を楽しむものだ。実際のところ、本当に幽霊など出て来るはずもなく、ただ出てきそうな如何にもな雰囲気を味わえれば満足なのである。今回のこれも、結局のところはそれとあまり差はないのだろう。
「なあ、このまま現れたとして、俺は見えなくて良いのか?」
 ふと俺は、思い付いた疑問を口にする。すると、
「大丈夫ですよ。レナートは才能がありますから、きちんとした状況で落ち着いていれば、何もしなくとも分かります」
 俺には才能がある、俗に言う霊感があるという奴だろうか。それはつまり、適当に話を合わせろという事なのだろう。それ以上の事は特に気にもならず、俺は黙って経緯を見守る事にする。
 薬が効き目を現すまで、これと言ってする事もない。けれど、マカールはテーブルに両肘をついて顔を覆い、しきりに何かをぶつぶつと呟くのを繰り返しているため、気軽に声を掛ける事が出来ない。アーリャもまた、何を企んでいるのやら、いつもの呑気な表情でぼんやり構えているだけで、これもこれで声を掛け難い。何するでもなく、ただ経緯を見守るというのは、非常に居心地の悪いものだった。
 そして、マカールが薬を飲んでから十分が経過しようという頃合いに差し掛かった時だった。
「―――あっ!」
 突然、マカールは勢い良く顔を上げると、椅子から飛び出すように立ち上がった。半ば退屈しながらぼんやりとしていた俺は、急な出来事に面食らい、思わずその後に続いて席を立ってしまう。
「どうかしましたか?」
「分かる……分かります。今ここに、ぼんやりとですが、グレープが居るのが感じるのです」
 真剣な表情で答えるマカールは、しきりに何かを探すように食堂内を見回す。俺もまた同じように食堂内を見回し、最初から何か変わった所はあるかと探してみるが、それらしきものは見当たらない。
「おい、これは……」
「大丈夫、もう少しです」
 アーリャは依然として平素の表情のまま、そんなマカールの動向を見守っている。服用させた薬の効果は、想定通りなのだろう。けれど俺には、まるで何か幻覚でも見始めているようにしか思えなかった。まさか、対話とはそういう意味での事ではないだろうか?
「本当に大丈夫なのか? 何かを感じるとか言い出しているが」
「位相の違う存在と会話する、要は観測して認識出来るようになるという事ですから。視覚や聴覚よりも先に、原始的で鋭敏な触覚が反応を始めたという事ですよ」
「そもそも、本当に居るのか? 俺には何も感じないぞ」
「居ますよ。ほら、そこの席の横です。注意して見て下さい。レナートなら分かるはずです」
 そう言って、アーリャはマカールのすぐ近くの空席を指差す。言われた通り集中して見てはみるものの、俺には何も見えない。そもそも、アーリャは見えているのだろうか。そう考えると、この何もかもが茶番に思えて疑わしくなる。
「あっ……ああ! お前は……!」
 そして、食堂中をうろついていたマカールは、ふと足を止め、その視点がある一点に注がれる。それは奇しくも、アーリャが指摘したその場所だった。
「あの時のままで……うん、そうだ、そうだよなあ……」
 マカールが何も無い宙に向かって切々と語り掛ける。そこにはまるで、亡くなった彼の友人であるグレープがいるかのようだった。
「おい……あれ、本当に見えているのか?」
「ええ、確かに居ますよ」
「俺には見えないぞ。やはり、あの薬を飲んだせいじゃないのか?」
「集中しましょう。そして、頭から疑いを無くし、あるがままに状況を受け入れるよう努めるのです。それだけで大丈夫ですよ」
「そんな抽象的な事を言われてもな」
 見えないものは見えない。それを見えるのように振る舞うなど、正気の振る舞いではない。そんな躊躇いがあったが、俺は出来るだけ言われた通りの事に努めてみる。ほぼ半信半疑だが、信じられないと一蹴するだけではもったいないような気分にさせられるからだ。
「ん、うん……。何となくだが、居るような……?」
「そう思えばすぐですよ」
 とは言っても、果たしてこの感覚が正しいのか分からないのだが。
 そう思いながら、意識を集中させていたその時だった。突然マカールの目前に、何やら歪みのような物が見え始めて来た。
「お、おい。何か、ぐにゃぐにゃしたものがあったりするか?」
「ええ、そのままです。もう少しで形が見えてきますよ」
 そう言われ、とにかく従って意識の集中を続ける。するとアーリャの言う通り、その曖昧な何かは徐々に形を成してきた。それがやがて人間の形に見え始めると、そこから後はあっと言う間だった。白いもやがかった青年が、マカールの目の前に立ちはだかっている。しかも、背丈や年齢だけでなく、顔の表情までがはっきりと見て取れた。
 しかし、見えたことを喜んでもいられなかった。
 そのもやがかった青年は、明らかに怒りに歪んだ表情で、マカールを見下ろしていたからである。