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 矛先が、完全に俺の方へ向けられた。それは、たとえアーリャの様な自称専門家ではなくとも、明らかにそうと分かる状況だった。
 ぎょっとして伸びた背筋は、不自然なほど真っ直ぐになったまま固まる。顔も無表情のまま固まっている、そう思いたいが、苦笑いに綻びつつあるような気もする。そして、自分でも驚くほど大粒の汗が一つ、額を伝い落ちた。
「あ、いや……」
 自分に向けられる、怒りの形相。これまで自分が何の後ろめたさもない人生を送ってきたと言い切れはしないが、それでもここまで露骨で強烈な怒りを向けられたのは初めての事である。そのせいか、頭の中が全くの真っ白になっていた。普段なら怒った相手をなだめるくらいはさほどの苦労も無いが、ここまでの物になるとどうしたら良いのか分からなくなってしまうようだ。
 何を言うでもなく、瞬き一つする事も無く、ただひたすら怒りの形相だけを注ぎ続けるグレープ。俺は呆然としながらそれを受けていたが、やがて腹が据わって来たのか、少しずつ思考が回り始める。まず切り口となるのは、一体何がグレープに矛先を俺へ向けさせたか、そのきっかけだ。言うまでもなくそれは、俺がうっかりこぼした、マカールに取り憑いてまで何をしたいのか、という質問だ。きっとそこにグレープの思う所があり、そして伝えたい何かがあるのかも知れない。ひとまずは、そういう推察で良いだろう。
 俺は意を決し、ゆっくり唾を飲み込んで喉を整えると、出来るだけ毅然とした態度でグレープに話しかけた。アーリャが昨日、幽霊は気の弱った人に漬け込むと、そんな話をしていたのを思い出したからだ。
「あなたは、何が目的でマカール氏に取り憑いているのですか?」
 そう問うと、グレープはほんの僅かに目を左右に泳がせた。面と向かって問われるとは思っていなかったのだろうか、ほんの僅かだが人間らしい感情の起伏が見えた気がした。
「生半可な気持ちや理由で、此処に留まっている訳ではないでしょう。もしかしたら、何か力になれる事があるかも知れません。私に話してみては貰えませんか?」
『ウ……』
 またしても、僅かにだが反応を見せるグレープ。やはり、何か目的と伝えたい事があるようである。俺は更に問い詰める。
「今を逃したら、もう二度と言葉を交わす機会は訪れないかも知れませんよ? あなたも、現状のままで良いはずがないでしょう。ここはせっかくの機会を活かして、前向きな事をしましょうよ」
 グレープは輪郭をぶれさせながら、何事かを考えているように頭を左右にゆっくり動かす。幽霊の考え事をお目にかかれた人間など、そうはいないだろう。そんな事を思った。
 しばらくそんな様子を眺めていると、やがてグレープはおもむろにぴたりと動きを止め、再び俺の方をじろりと強く睨め付けた。しかしこれまでとは違い、そこには怒りの形相は無くなっていた。
『店……店……』
 口が動いているのか止まっているのか分からないが、枯れた声でその言葉だけを絞り出した。
「店? 店がどうしたのですか?」
『店……店……』
 グレープは何度も同じ言葉を繰り返すばかりで、こちらの問いには答えようとはしない。ただ、店というその一言にはやけに強い感情が込められているように感じた。
「店、店の事は分かりました。それで、その店が一体どういう―――」
『……マカール』
「え?」
 マカール、親友だった彼がその名を口にするのは当たり前の事のはずだが、このタイミングで口にした事に驚きを覚えた。店とマカール、これではまるで何か関係があるかのような言い方だ。
 とっさに俺はマカールの方へ視線を向ける。するとマカールは、膝をついたまま上体を起こし、こちらを唖然とした表情で見ていた。驚愕の表情、それは単にグレープが喋った事に対するものだけでは無いように俺の目には映った。
「これはどういう……えっ?」
 再び、俺は驚きの声を漏らす。視線を外したのはほんの僅かの事だったはずなのに、目の前にいたグレープの姿が忽然と消え去っていたからだ。
 せっかくマカールと対話する絶好の機会だったのに。何も進展しないまま、わざわざ呼び出したグレープの幽霊が居なくなってしまうとは。いや、元々幽霊はここに居て、それを見えるようにしただけだったか。ならば、もう一度同じ手順を踏めば、グレープの幽霊と今の続きが出来るのではないだろうか。
 まずはアーリャを探そう、そう思いついたその直後、
「ううん、もう大体は分かったようですね」
 すぐ背後から、これまで忽然と姿を消していたはずのアーリャの、間延びした緊張感のない声が聞こえてきた。
「お、おい!? 何だ、お前! 今まで何処に居た!」
「私が居ると、話が進みませんから。ちょっとだけ、席を外させて貰いました」
「話が進まないって、どういう……」
「とにかく、話をまとめましょう」
 そう言ってアーリャは、何事も無かったかのようにマカールの元へ歩み寄る。未だ唖然としているマカールだったが、アーリャはその前に屈み込み、あの笑顔を浮かべたまま話しかけた。
「マカールさん、あなた隠し事していますね?」
「え、いや……何の事だか……」
「とぼけても駄目ですよ。本当は心当たりがあったんでしょう? グレープさんに取り憑かれる理由に」