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 約束の時間も迫り、そろそろ新たにやって来る者もいないだろうという頃合いになる。すると、どこからともなく、一目で分かる高級感を放っている黒い馬車が倉庫前にやってきた。黒い外装は十分な光沢があり、さり気なく縁取っている金色が重く見える。馬もたてがみまで黒い黒馬、御者にも頭から靴まで黒い服装を徹底している。目立たないようにしているつもりなのだろうが、夜ならともかく、こんな日中ではかえって異様な雰囲気を放ち目立ってしまう。早くも、依頼主との価値観に隔たりがある事を実感する。
 素早く降りた御者は、御丁寧に濃紺の敷物を広げた後に、馬車の扉を開けて畏まる。そして中からゆっくり姿を現したのは、膝下まであるゆったりとした黒いローブに身を包み、頭から首まで黒いベールを巻いて顔を隠した、如何にもな人物だった。
「皆さん、お集まり頂き、まことに恐縮です。このたびは私の依頼を受けて頂き、感謝の念に絶えません。諸事情により、こうして顔を隠さねばならない事は、どうか御了承下さい」
 衆目の集まる中、現れた人物は一般人離れした毅然とした態度でそう話し始めた。声の様子からして、まだ若い女性のようである。そしてこの堂々とした振る舞いや態度から察するに、ただの富豪ではなく、爵位持ちの家か何かの身分の高い女性だろう。周辺部の貴族かも知れない。そうなると、この高い報酬と訝しい仕事内容にも納得がいくものだ。
「依頼内容は、御存知の通り荷物を指定の場所へ送る事です。早速これから出発しますが、御質問等がありましたら、今此処で伺います」
 その言葉に、誰もが互いの顔色を窺うかのように、何言うことなく顔を見合わせる。報酬目当てで集まったのだから、さほど仕事の内容には興味が無かったのだろう。それを改めて問われると、まるで危険性の承知を再確認されているように聞こえる。俺もまた、皆がそれを知っていて来ているのか、どことなく不安になり、同じように皆の様子を窺ってしまった。
「まだ聞いてないんだけど。アタシらは、何を護衛すりゃいいのさ?」
 互いに顔色を窺う妙な沈黙の中、唐突に質問を切り出したのは、いつの間にか最前列に立っていたニーナだった。
「護衛して戴くのは、この馬車です」
「馬車って、アンタが乗ってきたそれの事?」
「はい。皆さんには、目的地まで私を守って戴く事になります」
 依頼主そのものの護衛、別段それは珍しい事ではない。けれど、これほど大人数を集める例はそう多くはない。基本的に大人数が要るのは、何かしらのパフォーマンスか、若しくは命を狙われている事が確定している時だ。
「報酬さえ払って貰えるなら、別に何を護衛するのも構わないけどね。アンタは、狙われる心当たりがあるのかい?」
「……残念ながら、その通りです」
「ま、何をしたのかは訊かないでおくよ。それで、相手は誰なんだい? 憲兵に訴えずアタシら冒険者を使う所から察するに、何か訳ありのようだけど」
「その……憲兵なのです」
 この彼女の言葉に、一斉にどよめきが走る。憲兵そのものに命を狙われるなど、普通は有り得ない事だ。大悪人ほど、大々的に処刑を喧伝するために、身柄を慎重に確保するものだ。そもそも憲兵には、処遇を決める権限はない。つまり憲兵に命を狙われているという事は、更に上の存在、憲兵を使う事が出来る存在から命を狙われているという事だ。
「冗談じゃない! 俺は、官吏にケンカを売るつもりは無いぞ!」
「俺もだ! ただの護衛と聞いて来たんだ、危ない橋を渡るつもりはねえ!」
 流石に、何人かが口々に不平不満をこぼす。報酬が高いという事は何か事情が有るから、その程度の事も分からずに引き受けた、浅慮な連中だろう。騒ぐ彼らを冷ややかに見るのは、俺だけではない。
「報酬なら、間違い無くお支払いいたします。ですから、どうかお力添えを」
 彼女の合図を受け、御者は自分の座っている席の席の板を外すと、そこから次々と皮袋を取り出し、これ見よがしに積み上げて見せた。皮袋同士がぶつかると、ちゃりちゃりと金属音が聞こえる。これが全てそうなのか、そんな周囲の期待を察したのか、御者は積み上げた袋の一つを開けて見せる。するとそこには、驚くほど輝く金貨が大量に詰まっていた。その光景に、俺も含めて感嘆の溜め息が自然と漏れる。
「別にいいんじゃねえの? 金さえ払ってくれるならさ」
「だな。憲兵にしたって、どんな理由があるにしても、大事にはしたくはないだろう。これだけ大勢いるなら、下手に手出しはして来ないだろうさ」
 先程とは真逆の意見が、何処からともなくあっさりと飛び出す。先程と別人とは言っても、随分と現金なものだと溜め息を付かずにはいられなかった。所詮、不満と言っても見せ金だけで簡単に覆す程度のものなのだろう。しかし、それでもまだ納得のいかない表情の者もおり、離れるタイミングを図っているだけの者も僅かではない。こちらはかなり賢明と言えるだろう。
「流石に憲兵はね……。さっきは、報酬さえ払ってくれればいいと言ったけど、やはり事情は聞きたいものね。下手したら、こちらも一生日陰者になる訳だから」
「そればかりは……。ですので、そういった事情を踏まえての報酬です。ギルドへの依頼した額以外にも、十分に用意をしております」
 更なる増額も視野に入れている。その言葉に、高額な報酬を目当てで集まった連中が一層色めき立つ。金欠で悩んでいる俺もまた、この申し出には思わず我先にと飛びつきたくなる心境だった。しかし、思っていたよりも覚悟しなければならないリスクが高過ぎる。
 伸るか反るか、この事態に俺はかつてないほど頭を悩ます。