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 喉の奥が詰まるような窒息感。そこから解放されたのは、検問所が遥か背中の彼方まで過ぎ去ってからだった。
 明らかな敵陣を、少人数かつ何の策も無いままで突破しようなど、自殺行為もいいところである。それが無事に成功しただけでも俄かに信じ難いが、憲兵達が未だ俺達を追跡してくる気配すら見せないのは、完全に俺の理解を越えていた。
「おい、もういいだろ。何があったのか、説明してくれ。どうなっているんだ?」
 ようやく声を出すや、すかさず馬上のアーリャへ訊ねる。しかし、
「後にして下さい……」
 アーリャは前へ突っ伏すような姿勢で、気怠げな口調で答える。
「おい、ふざけてるのか?」
「眠いんですよ。今日は色々ありましたから……」
 今日も何も、まだ一日は終わっていないのだが。
 こんな訳の分からない状況で放っておかれて、落ち着いて次の目的地を目指せるはずもない。俺は無理にでも説明させようと、馬上のアーリャへ手を伸ばす。
「あの、そのまま寝かせてあげて下さい……」
 馬車の窓から依頼主が僅かに顔を覗かせ、そう俺を制止する。
「大丈夫です、この辺りは街と街の境界線なので、憲兵も互いの領分に踏み入らぬようにしなければなりませんから、非常に行動がし難いのです。その方のおかげで、無事に検問所を通り抜けられたのですから、そのまま休ませてあげて下さい」
 重要な護衛中に寝るなど、俺にとっては気に入らない行動なのだが。依頼主がよしとする以上は、俺も口を挟む事は出来ない。
「あの、所で次はどちらに向かったら宜しいでしょうか?」
 折を見ていたのか、そこで御者が伺いを立てる。
「このまま北進して下さい。程なく、小さな村がありますから、今日はそこで休みましょう」
 今から北進するとなると、目的地には大分遠回りになる。だが、あのように検問所を設けられる以上、相手もこちらの行動は察知しているのだろう。迂回も仕方のない判断と言える。
「迂回は構いませんが、村は大丈夫でしょうか? 特に小さな村だと、我々部外者はかえって目立ちます。通報される恐れも」
「大丈夫です。そこは、私の懇意の村ですから。みんな、事情は知っています」
「要するに……全員が味方と考えて良いのですか?」
「ええ、そうです」
 懇意というのがどの程度かはともかく、これだけの目に遭っても信頼出来ると断言するのだから、その辺りは確かなものなのだろう。それに、どの道長居はするつもりはなく、一晩泊まればすぐに出発する。流石に密告者が居ても、そう簡単にどうにかなることは無いだろう。
 依頼主である彼女の指示に従って、目的地とは異なる方角の道を進んでいく。その内、遂に日が傾き始め、地面に落とす影がどんどん長くなっていった。影が見えなくなるか否かという頃、ようやく道の先に一つの小さな村が見え始めた。それは想像していたよりもずっと小さく、あまり裕福には見えないものだった。港町で購入した地図にもそれらしき村は掲載されていなかったから、よほど小さな村なのだろう。
「俺が先に行って様子を見て来る。外で待機していてくれ」
 そうニーナへ伝え、俺は一人先行して村へと入った。
 その村は、栽培や酪農といった一次産業を中心に生計を立てているらしく、そこかしこに牛舎や畑が見られた。だが、それなりに規模も大きく事業をしているように見えるのだが、どういう訳か村そのものに寂れた雰囲気が漂っている。しかも、表には全く人通りが無い。仕事柄、朝が早いので日暮れには寝てしまうのかとも思ったが、一人もいないというのはいささか不自然だ。何か他に理由があるのだろうか。
「うーん、警戒されてるのでしょうか」
 唐突にすぐ隣から、そんなのん気な声が聞こえて来る。最初はいちいち驚いていたこのパターンも、今ではすっかり慣れてしまった。俺はただ小さく溜め息を一つ漏らす。
「起きたのか。で、どう思う?」
「どうも何も、私は何も事情は知らない訳ですし。こういう時は、村の代表者に訊くのが一番手っ取り早いですよ」
 そう言ったアーリャは、周囲をぐるりと見渡すと、中でも一番立派な佇まいに見える屋敷を指差した。
「あれにしましょう」
「それは構わないんだがな。先に依頼主に報告してからでいいんじゃないか?」
「まあ、それでも構いませんけど。彼女も、私達の事を警戒していますよ?」
「だろうさ。今はきっと、誰もが敵に見えているはずだ」
「もっと私達を信用して貰いませんと。護衛するのに、信頼関係が築けていないのでは、何かと不便にもなります」
「少なくとも、お前は頼りにされているだろうさ」
 一旦依頼主の元へ戻るべく、俺達は来た道を引き返し始めた。村は、確かにアーリャの言う通り、俺達に対して露骨に警戒しているようである。その状況を伝え確認するのと、もう一つ。依頼主の素性と目的、そろそろこれを確認しなければならない事態だろう。既に当初の案件から内容が逸脱し始めている。継続するか否かに関わらず、見当の材料は必要な段階だ。