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「皆様は、改正農地基本法というものを御存知でしょうか?」
「改正……すみません、この地方のニュースはまだあまり確認をしていなくて」
「去年に議会で可決された法案でしょう? 領主ハリトーンの肝煎りで始まった改正法で、確かそろそろ発効されると思ったけど」
 そうニーナが説明する。彼女は俺と違ってマメな所があるから、最近の情勢にも詳しいようだった。
「ええ、その通りです。これまで漫然と管理していた耕作量や閑農地を、議会が一括で管理し、農作物全体の適正化を図るというものですが……」
「一見、聞こえは良いようですね」
「ですがその実、この改正法は目的ありきの非常に悪意に満ちた悪法なのです。閑農地は議会に所有権が移り、他の農業者へ貸し出されます。ですが、この所有権の異動についての基準がおかしいのです」
「基準がおかしい?」
「異動については、農耕相の承認が必要となります。しかし逆に言えば、農耕相の承認さえあれば一方的に閑農地に認定する事が出来てしまうのです」
「つまり、議会が農地を個人から取り上げる事が出来るという訳ですか」
「それだけではありません。所有権の異動した農地は、所有権は議会のままに、別の農業者へ貸し付ける事が出来ます。これは一般的な小作農制度がそのまま適用され、議会が地主に当たります」
「となると、議会が個人の財産を没収した上に、議会の設定した条件で再び同じ農業者に就労させる事も出来るという訳ですか?」
「その通りです。これは実質的な農業者の奴隷化政策に他なりません。全体的な収穫量を増やすと言っておきながら、その実入りは全く農業者へ渡らないのですから」
 個人の農地を取り上げ、労働力を安く買い叩いて従事させる。それらを合法的に行う事の出来る法案となれば、確かに悪法に他ならない。だが、その一方で疑問もある。
「農耕相はどう考えているのでしょうか? この内容だと、閑農地の認定には、議会ではなく農耕相の承認が必要となりますが」
「今の農耕相は、ハリトーンの身内の人間です。協力しないはずがありません」
「なるほど……初めからグルになっているのですね」
 議会の情勢は分からないが、あらかたの人間は領主側についているという事だろう。よほどの理由か信念でも無い限り、鼻薬でも嗅がせれば簡単に取り込める。そして発効後は、更にその傾向は強まるだろう。賄賂には事欠かないほどの利益が得られるのだから。
「何とも悪逆卑劣な! やはり、これは正真正銘、まごうことなき義戦です!」
 そう力強く頷くアーリャ。俺もまた、面には現さなかったものの、ほぼ同じ意見だった。こんな悪法がまかり通ってはならない。そのためには、多少強引な方法もやむなしだろう。そして、こういう大事件こそが、俺が長年待ち望んでいたものだ。
「大筋は分かりました。つまり、この改正法を撤廃へ追い込むべく、あなたは農業者を集めて抗議しようと考えているのですね」
「いえ、そこは違います。既に撤廃へ追い込む事は事実上不可能であり、抗議で済む段階はとっくに越えています」
「えっ、越えているとは? じゃあ、何のために蜂起を?」
「武装蜂起、それで間違いはありません。私達は文字通り、力ずくで法案を有耶無耶にしてしまおうと画策しています。要するに、領主ハリトーンの屋敷を襲撃した後、ハリトーンを暗殺してしまう。そういう事です」
 領主の暗殺。その言葉には、流石に俺もたじろいだ。蜂起という言葉に剣呑なものを感じてはいたが、まさかそこまで直接的なものとは思ってもいなかった。当然だが、領主の暗殺など国を揺るがす重罪である。地方レベルではなく、国家機関そのものから目を付けられ、文字通り死ぬまで追い掛け回される事になるだろう。
「それだけの騒動を起こせば、必ず国王からの査察が入ります。そうすれば、この悪法の存在が国中に明らかになるでしょう。場合によっては、発効の保留もあるかも知れません」
「ですがね、少なくとも騒動の元凶、首謀者は間違い無く逮捕されますよ。動機がどうあれ、重罪は免れません」
「構いませんよ。私は、それだけの覚悟で動いているのですから」
 断言するドミニカの目には、深く揺るぎない覚悟の光があった。生半可な気持ちで挑んだのではない事は、はっきりと見て取れる。たとえ死ぬ事になっても構わないつもりだろう。
「どうしてそこまで? あなたは、農業者とは縁の無さそうに見えるのですが」
「私の父が、前農耕相だったからです。ハリトーンにこの謀を持ち掛けられ、それを断って間もなく変死しました。証拠は何も残っていませんが、暗殺されたに間違いありません。ですからこれは、私自身の復讐でもあるのです」
 怨恨、これほど厄介な動機はない。正論でこんこんと説得した所で、改心する事はまずないからだ。
「私は、あなた方にそこまで強要するつもりはありません。ですから、危険と思いましたら、いつでも去って戴いて構いません」
 だがその言い方は、可能な限り手伝って欲しいという意味にも聞こえる。そして、若い女性の悲痛な覚悟を聞かされ、それをあっさりと無碍に出来るようならば、そもそもニーナから愛想を尽かされる事もなかったのだ。