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 ほぼ夜を徹した移動により、翌日の朝方には目的の保養地へと到着した。そこは静養を目的として拓かれた町で、町への入り口からして近代的で景観を重視した派手なデザインになっている。そんな所へ俺達の乗っている農耕用の馬車は非常に目立つため、俺達は一旦町の外に降り、ドミニカの馬車だけが町の中へ入っていった。
 今朝は霧が深く、遠くの視界はほとんど利かなかった。そのため、町の入り口には警備らしき人間が何人か立っていたものの、俺達にはまるで気が付いていないようだった。あの連中も同じ領主の手先と考えて当然だろうし、彼らに目立たないこの天気は本当に好都合である。
 指示通りしばらくこの場で待機していると、程なく一人の男がどこからともなく現れた。如何にも農夫らしい姿の男は、同行していた代表者の一人の村の者で、俺達を隠れ家へと案内する。霧の中を足音を潜めながら町の外周を回るようにして向かった先は、町外れにある空き家だった。おそらく誰か金持ちの別荘なのだろうが、手入れの行き届いていない雰囲気から察するに今はもう使われていないのだろう。
 中へ入ると、ドミニカやニーナの姿と共に、驚くほど大勢の男達が待機していた。ざっと見て三十人程だろうか。いずれも表情は硬く、如何にも思い詰めた様相である。今なら簡単に人を殺す、そんな印象だ。仕事柄、そんな人間は何人も見て来ているが、望まずにそうせざるを得ないような人の顔は、いつ見ても身につまされる思いになる。今後、更に同じ顔が増える事を思えば、尚更やり切れない。
 人の間を潜り抜けながら、ドミニカの所へと移動する。ドミニカは狭い中で小さな机に向かい、そこに一枚の大きな紙を広げて睨み合っていた。その傍らでも、ニーナが同じ様に見ている。
「何をされているのですか?」
「これは、ハリトーンの屋敷の見取り図です。実はハリトーンの所に潜入していた者がおりまして、屋敷の構造を調べ上げていたのです」
「突入の段取りを立てている訳ですか」
「はい。私では素人考えになってしまうので、ほとんどニーナさんに手伝って頂いてですが」
 屋敷を襲撃する際の効果的な段取りを、今の内から決めておく。それは非常に大事な事である。例え完全な奇襲が成功したとしても、本番は必ず想定外の何かが起こるものだ。その際に指揮者が慌てふためいては、みすみす目標を捕り逃しかねない。
 せっかく見取り図が手には入ったのだから、こうして作戦を練るのは当然の準備である。そう思う一方で、俺は少しばかりこの事が引っ掛かった。襲撃する以上、見取り図は必要だし、それを入手させるのは当然である。けれど、こうしてまんまと入手出来たこと自体が、どうにも事がうまく運び過ぎているような気がしてならないのだ。単に下男まで厳格に管理していないだけ、とも考えられるのだが、我々の事を知っていながらそこまでの余裕を見せるものだろうか。特に人の出入りには、最大限警戒していてもおかしくは無いはずなのだが。
「あの、初動の際はアーリャさんにもお手伝い願えないでしょうか? 以前に使って下さったような、人を無理やりおとなしくさせるような、何か特殊な魔法があれば、無関係な人を傷付けずに済むと思いますので」
「なるほど、あくまで悪の中枢のみ叩くという訳ですね。分かりました、私に出来る事があれば、全力でお手伝いいたしましょう」
 珍しく人から頼られたせいか、アーリャはさも自信満々にそう答える。
 考えてみれば、こちらにはアーリャという何でもありの切り札がある。いざとなれば、禁呪やら失伝魔法といった防ぎようのない魔法を駆使する事で、どうにでも打開出来るのだ。仮にこの見取り図が罠だったとしても、何ら恐れる事はない。
「では、正面から堂々と行きましょう。向かってくる敵は私達でどうかしますから、ドミニカさんは敵の首魁を引っ張り出して下さい。あ、何でしたら、建物を半分ほど壊してみましょうか? それに驚いて飛び出してきた所を押さえれば、かなり手間も省略されますし安全ですよ」
「は、はあ……それは後ほど検討させて頂きます」
 本気か冗談か分かり難いアーリャの弁に、ドミニカは困惑の笑みを浮かべる。屋敷を軽く壊すなど言われた所で、普通の人間には冗談を言っているようにしか聞こえないだろう。
「まあ、陽動作戦も一つの手と考えておいて下さい。こういった状況では、有効な手ですから。我々なら経験もありますので」
 そうさり気なくフォローを入れる。けれど、ドミニカのアーリャに対する印象は変わっていないだろう、そう俺は思った。
「確かに、陽動作戦は有効だと思いますよ。ただ、人数がもう少しいないと陽動の担当は危険ですけど。元々少ない頭数を割る訳ですから」
 傍らからニーナが同調の意見を入れる。するとドミニカは納得したように頷いた。
「どれだけ人が集まるかは、今日一日の動き次第になります。それでも、陽動作戦が一番確実そうですね。そうなりますと、レナートさんには危険な役割を押し付ける形になりますが……」
「構いませんよ。元より、そのつもりで提案させて頂いた訳ですし」
「申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
 ニーナの意見はあっさりと聞き入れる辺り、信頼度が随分違う。内心、この差には苦笑いが込み上げて来た。やはり同性同士の方が信用し易いのか、もしくは俺が、言動に戸惑わされがちなアーリャと同一視されているのか。
 何にせよ、今回の一件についての俺の舞台はこれで決まった。後は、華々しく活躍を見せるだけである。そう思うと、これまで夢に見るだけだった自分の飛躍が現実のものになろうとしている実感が一層強まり、胸が高鳴ってくるのが分かった。
 そう言えば、俺はどうして名を売りたがるようになったのだろうか。
 その最中、ふと俺の脳裏にそんな疑問が浮かんだ。元々、世界的な冒険者として有名になろうと志すようになった、そのきっかけは何だったのか。そんなに昔からの事だったのだろうか、何故だか幾ら思い出そうとしても思い出せなかった。