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 建物から外へ出ると、途端に鼻を突くような焦げ臭さに見舞われ、思わず顔をしかめた。
「なんだ、これ……」
 眼前に広がった光景に、俺は周囲を見渡すまでもなく愕然とする。町中の至る所から火の手が上がり、黒煙がもうもうと立ちこめている。付近に人の気配は無いが、道端には幾つかの死体が転がったままになっている。煤で汚れてはっきりとは分からないが、少なくとも武装蜂起のために集まった人間とは違う、単なる町の住人である事は明白だった。
「アーリャ達の仕業よ。あいつら、外に飛び出すや否や、あちこちに火を点け回って。抵抗した人は、みんな袋叩きにされてあの様よ。略奪も起きてるんじゃないかしらね。憲兵達も予め詰めていたけど、この様子からどうなったかは分かるでしょ」
 まるで戦火に巻き込まれたかのような惨状である。ドミニカには、どこか目的と手段を取り違えているのではないかという印象はあった。けれど、これほどの行為にアーリャまでもが加担したとは俄かに信じ難い。アーリャは、異常な程に自身の善悪観に厳しい。悪人は世のためにならないから殺す、それを平然と行えるのだ。けれど、この目の前の光景に、一体どこにそうなるだけの悪行があるのか、まるで理解が出来なかった。仮に農民の一部が暴走したとしても、アーリャならここまでになる前に止めていたはずである。
「言ったでしょ。こんな事に関わったってロクな事にならないわ。さ、連中に見付かる前にさっさと逃げるわよ」
 そうニーナに手を引かれ、俺は唖然としたまま走り始めた。
 一旦建物の裏手へ回り、そこから隣の建物の裏手へ向かう。裏から裏を伝って通りを南下し、この街の最も大きな出入り口を目指す。平時なら十数分もあれば辿り着けそうなものだが、今はあちこちに火の手が上がり、火の勢いや煙の量のせいで何度も回り道を余儀なくされる。そして、そのたびに無惨な遺体を目にする事になった。
「何でこんなに死体ばっかりあるんだよ……。元々、領主だけを襲撃するって話じゃなかったのか?」
「自分達が苦しんでいるのに、ぬくぬくと楽な生活をしている連中が許せない。そんな事を言ってたわよ。そのせいで、ターゲットが無駄に拡大したみたいね。もっとも、それを煽ったドミニカの奴が爵位持ちの癖に。笑えないわね」
 そう、初めこそドミニカは、政争に敗れはしたものの、父の無念を晴らし農民達の生活を守るべく立ち上がった義人だと、俺は思っていた。しかし、今のこの惨状を煽ったのであれば、もはやそこには正義も何もあったものではない。無関係な人間を殺して回らせるなど、彼女自身が非難していた領主と大して変わらない行為だ。
 迂回を幾度となく繰り返し、やがて俺達は街の入り口へ到着する。以前はそこに見張りの憲兵がいたはずだが、この惨状のせいか無防備にも無人となっている。逃げ出すならばまさに今だ。
「ここから街道はすぐよ。あの港町まで戻るには時間がかかるけど、国外に出るにはそれが一番の近道ね。どうする? 私はそれでも国外に出るのが一番安全だと思うけど」
「俺は……」
 突然と額の奥に鋭い痛みが走る。思わず頭を抱えてその場に固まる。その痛みは正体を探るより早く消えてしまい、代わりにふつふつと怒りが込み上げて来た。
「レナート?」
「いや、大丈夫だ」
 此処に辿り着くまで、幾人もの遺体を見て来た。それまではただ痛ましいとか酷いとか、そんな在り来たりな感想しか無かったのだが。よく考えてみると、これを後押ししたのは、あれほどしつこく善悪にこだわって俺を煩わしたアーリャなのだ。それなのに、こんな誰の目にも分かるほどの悪行を平気で行うなんて。野盗連中を殺した事は、百歩譲ってまだ理解は出来る。だが、今殺されたのは何の落ち度も無い人達だ。一体これのどこに正義などあるのか。
 そして、俺は決断する。
「街道にはお前一人で行け。俺は、アーリャを探す」
「え? 急に何を言い出すの?」
「こんなふざけた真似をしたアーリャを、一発でもぶん殴らなきゃ気が済まない」
 その言葉に困惑を露わにするニーナ。
「馬鹿なこと言わないでよ。殺されちゃうわ。今のあいつらは、とにかく周りに当たり散らす事しか考えてないんだから」
「別に真っ向から挑む訳じゃない。ひっそりとしずかに潜伏しながら、油断した所を不意に」
「その後はどうするの? まさか、そのまま逃げられると思ってる? 第一、どうしてそんな危ない橋を渡る必要があるのよ。一つも得な事なんて無いじゃない」
「損得じゃない。気概の問題だ」
「ただの感情論でしょ。本当に、あんたもおかしいわ。前のあんたなら、絶対にそんな事は言い出さなかった」
「人柄が良く変わったんだろ」
「アーリャの都合の良いようにね。自覚が無いようだけど、今のあんたもまともじゃないわ」
「前の俺はまともだったのか? 人間を使い捨ての駒扱いする大悪党ってのが」
「どっちも異常よ。やっぱり、初めから関わるべきじゃなかった」
 そう吐き捨てるように言い残し、ニーナは踵を返して颯爽とこの場から立ち去った。咄嗟に呼び止めようとするものの、一瞬それを躊躇い、そうしている内にニーナの姿は見えなくなってしまった。
 言いたい放題言われたが、別に俺は間違った事などしているつもりはない。いや、していない。この騒ぎの元凶とも呼べるアーリャを倒すのに、一体何の間違いがあるというのか。間違った行いをしている者に罰を与える。それは至極当然の事だ。