BACK

 真夜中になり、俺達もそれぞれの寝室へと戻ったが、俺は未だに眠れずにいた。イリーナとシードルの事は結局まだ何も決まらないままになってしまったが、それ意外にも考え事をしていたせいか、つい寝そびれてしまったのだ。
 明かりのない真っ暗な部屋でも、しばらくすると窓から入り込んでくる月明かりだけで、ぼんやりと見渡す事が出来る。この視界はまるで今の自分の頭の中そっくりだと俺は思った。
 なおもブランデーを傾けながら、何となしに夜空と月を眺める。風景を愛でるような趣味はなかったのだが、こうして喧騒と無縁な所にいると不思議とたまにはそんな事も良いかという気持ちになる。とにかく、どれくらいかぶりに落ち着いた心境だった。これだけ深酒したのも、明日を考えず夜更かしするのも、随分久し振りの事だ。今頃になってようやく、自分は休んでいるのだという実感を持てた。
 それだけに、今までずっと考えずにいた事と真剣に向き合う猶予が出来た。それは、今の自分がどんな人間なのか、だ。ニーナの話から推察するに、俺は一度死んだ後、アーリャに蘇生されている。その副作用で、それまでの打算的で冷酷だった性格は、今のようなお人好しで貧乏籤ばかりを引く人間となった。それはまるで、アーリャにとって都合の良い人物に思える。何より気にしている事は、俺を道具扱いするために本来の俺が消されアーリャの走狗になったのではないか、ということだ。
 別段、今の自分に嫌悪感や強い不満は持っていない。ただ、誰かに自分の意思とは無関係に利用されるのは御免だ、という事だ。アーリャに協力するのは多少は構わないとして、それが主従関係であるのは面白くない。
 その内アーリャに問い質そうと思っていたが、今のアーリャは俺を蘇生した時の記憶は持っていない。となると、俺を蘇生した意図は永遠に謎という事になる。ならば、仮に蘇生の理由が俺を従える事だったとしても、従える者がいなくなったのだから、もはや考えるだけどうでもいい事になったのかも知れない。そう思うと、途端に興味が薄れ頭の中からそれらの疑問が消え去っていった。同時に、何となくの勢いでグラスを空けてしまう。こんなに飲むのはどれぐらいぶりの事だろうか。そう思いながら、更にグラスへブランデーを注いだ。
 新たなブランデーに口を付けた、丁度その時だった。不意に部屋のドアがノックされ、俺はまだ呂律の回る舌でいつものような返事をする。入ってきたのはニーナだった。薄闇の中ではっきりとは見えないが、向こうも同じく多少酒が回っているように感じた。先程まで下で飲んでいた酒が残っているのだろう。
「夜更かしかしら?」
「何となく、寝付けなくてね」
 前もこんなシチュエーションがあったような気がする。そんな事を思っていると、ニーナは向かいの椅子に座り、テーブルのブランデーを自分で持ってきたグラスに注いだ。向こうも向こうで、久し振りに深酒しているのだろうか。動向を窺ってみたが、すぐに酔いで頭がぼんやりして面倒になってしまった。
「なんか、ここのところ災難続きね。アーリャのせいかしら?」
「あいつが、自ら首を突っ込んでる節もあるが。裏を返せば、アーリャにとっては幸運続きなんだろう」
「知識の神様の分身だっけ? 人間に災難を及ぼすって、ある意味教典と同じね」
 幾つかの宗派では、神若しくは神の使いにあたる存在が、人類に様々な知識を授けたと教えている。そしてそれを悪用し堕落したのがいわゆる悪人、その宗派では救済されない存在だ。今まで俺は、知識の悪用という表現は単なる足枷で、信者を信仰に縋らせるためのものだと思っていた。しかし、アーリャとの行動を辿ってみると、実際は災難を振りかけられてるだけというのが正しい気もしてくる。
「災難ついでだが。今の俺ってどう思う? こう、らしくないというか、不自然で恣意的だというか」
「蘇生して人格が変わったと言われたのを気にしてるの?」
「ああ、正直な。アーリャにとって都合良い人間に矯正されてるんじゃないかって、時々思うんだよ」
「あんたとの付き合いが始まる前の事は知らないから、本来のあんたがどういう人間なのかも知らないけれど。アーリャに都合良くというのは無いと思うわよ」
「どうしてそう思うんだ?」
「本当にそうするつもりなら、普通はそんな疑問も思えないんじゃない? それに、アーリャなんて自分の思った事は意地でもやるんだから、あんたが居ようが居まいがお構いなしでしょ。わざわざ奴隷作る理由も無いじゃない」
 確かにニーナの言う通り、良く考えてみればアーリャが俺を従えさせる理由は無い。現状を鑑みればむしろ、俺に邪魔されている事の方が多いくらいだ。アーリャにしてみれば、いちいち行動の妨げになるような奴隷など、欲しいとは思わないだろう。
「だったら、今の俺は何なのだろうな。お前と組んでた時とは、明らかに人格が違うんだろ? そして、アーリャに都合が良い奴でもない。これは単なる蘇生の副作用なのかな」
 その問いに、ニーナはしばし考えた後に答える。
「私が思うに、昔の記憶も無くなったんでしょ? だったら、今のあんたって生まれたままの素の状態なんじゃないかしら」
「お人好しで貧乏籤ばっかり引いてるのが、本来の俺なのか?」
「それが嫌で、どっかであんな風にねじ曲がったのかもね」
 他人からお人好しと呼ばれるのは好きじゃないが、そういう解釈もあると言えばあるだろう。蘇生は記憶が曖昧になったり、ある特定の事についてごっそり抜け落ちたりする。過去の俺に何か嫌な思い出があり、それが人柄を歪ませていたのだとしたら、それを忘れてしまった今の俺が本来の人柄に戻ったというのは決して的外れじゃない。
 そうか、そんなに難しく考え込む必要は無かったのか。
 ふと、胸の奥に支えていたものがスッと抜け落ちていくような気持ちになった。