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 アクアリアから船で出発し、クワストラ国の港へ到着したのは五日後の事だった。帰港したのは、クワストラ国では最北端の都市であるバラクーダ。そこはクワストラ国でも最大の港町でもあり、広大な港には何隻もの船舶が停泊していた。その内の何隻かは、我々と同じ入札会に参加する者達の船だろう。
「流石に西方となると、大分暑いですね」
 船から降りるなり、アーリンは空を見上げながら感嘆の声を上げた。港独特の潮の香りは紺碧の都と同じだが、風の温度や日差しがまるで異なっていた。特に吹き付ける風は生ぬるく、じんわりと肌を湿らせてくるような感覚がある。異国へ足を踏み入れた事を、文字通り肌で実感した。
「予定では、本日はこのまま此処に宿泊します。ホテルは予約済みですから、早速向かいましょう」
 使い込んだ表紙の大きな手帳を広げながら、本部長ニコライは早速予定を説明する。
「チェックインの後に、昼食にしましょう。この街の名物は何かあります?」
「それなら、カマスがお勧めですよ。何せ、この街の名前の由来になっているくらいですから」
「初めて聞きますけど、魚の名前ですよね? うん、楽しみです」
 そう期待に溢れた笑みを浮かべるアーリン。そうしている分には年相応なのだが、などと一人ごちる。
 港を出て、馬車でホテルへと移動する。そこは街の中心にある如何にも金の掛かっていそうな高級ホテルで、レイモンド商会が接待費を惜しみなく使っている事が窺える。大使の案件だから、財布の紐も緩いのだろう。
 そして昼食は、同じホテル内の最上階に位置するレストランへ案内された。そこもまた、店員の振る舞いや客層からして、一般とは違う人種が利用するような店であるのが明白だった。仕事で高級店に入る事は珍しくはないが、落ち着いてのんびりと土地土地の名物を味わうような心境にはどうしてもならなかった。アーリンは全く気にも留めていないが、それはやはり生まれ育った環境が違うからだろう。
「ところで、入札の会場はここから遠いのですか?」
「明日の朝に出発して、夕方には到着しますよ。今回は、なんでもクワストラ国が誇る世界一の大型客船ファルス号を会場にするそうです。私も実物を目にするのは初めてですから、今からもう期待し通しなんですよ」
 そう嬉しそうに語るニコライ。クワストラ国の大型客船ファルス号の事は、俺も噂ぐらいには聞いた事がある。建造したのは今から二十年も前なのだが、膨大な資金を費やす事で当時の最新鋭技術が幾つも盛り込まれており、未だにこれを超えるスペックの大型客船はどの国でも建造されていないそうだ。ファルス号に乗船出来るのは、クワストラ政府関係者と王族、そして極限られた賓客だけと言われているため、本来ならば俺の身分では一生縁のない代物である。
「でもそれって、クワストラ国もそれだけ余裕が無い事なんでしょうね」
 ふとアーリンがそんな事を口にする。
「ほら、最近のクワストラ情勢って少し焦臭いじゃないですか。政府と保守派組織の対立が少しずつ表面化していて。それに景気も長らく低迷していますでしょう? だから、いい加減そろそろ景気対策に本腰入れないといけなくなった。その足掛かりとしての鉱脈開発なんでしょう。新興国にも押され始めている現状、そうでもして人を集めたいのではないでしょうか」
「流石は、フェルナン大使の御息女。聡明でいらっしゃる。実は私共も、その辺りには着目しているのですよ」
「余裕の無いクワストラ政府からは、もう少し譲歩を引き出せる。有り体に言えば、足元を見れるという事ですよね?」
 笑顔で露骨な言い回しをするアーリンに、ニコライは思わずどもってしまう。
「私共も、あくまでビジネスですから。多少なりとも交渉や駆け引きをしますし、少しでも多くの利益を出したいのは、会社として当然の事でありますし」
「ええ、勿論分かっていますよ。ただ、具体的にどのような事をするのかなと、興味を持っただけですから。私、事業入札なんて未経験ですし」
 だから後学のために経験をしておきたい。そんな所だろう。
 アーリンは入念な予習をしていただけあって、クワストラ情勢には大人も舌を巻くほどの博識ぶりを披露する。都合の悪いことを濁して誤魔化せない、年齢なりの無知さや無教養が無いのは、大人としてはかなり扱い難い筈だ。かえって、親の威光を笠に着るだけの能無しであった方が、彼らも楽であったに違いない。クワストラ政府関係者や、他国の名士に経済人、そういった人物が多く集まる場所へこれから向かうのだが、現地でもこの調子で自ら食い込もうと振舞うのであれば、とても俺には彼女を御せる自信がない。彼女の才気が良い方向だけに働けば良いのだが、果たしてそんな妙案はあるだろうか。
「そう言えば、今度の鉱脈には貴金属も含まれているそうですね。せっかくだから、お土産も買いましょうか」
「それなら、私共の店へ御案内致しますよ。僅かですが、クワストラにも系列店は出していますから。バラクーダに支店が一つありますので、食事の後にでも」
 今回のレイモンド商会の狙いは、その小さな事業を一気に拡大する事だ。入札による開発事業への参加は、本社や銀行からの資金調達にも良い理由になる。
「是非お願いします。サイファーさんも、お土産を買って行きますよね?」
「いや、俺は宝石に興味はないから遠慮するよ」
「違いますよ。ルイさんにです。大丈夫ですか? そんなじゃ、いつか愛想尽かされますよ。ルイさんは引っ込み思案な人ですから、サイファーさんの方から気を使って動かないと」
 そう呆れ半分からかい半分の顔で、くすくすと笑うアーリン。そしてニコライとミハイルも、何やら似たような察した表情で口元に僅かに笑みを浮かべる。これは、俺とルイのラングリスでの顛末を知っているが、それを囃されるのは嫌がる事も知っているという表情だ。
「荷物になるから、帰りで良いという意味だ」
 憮然と答え、会話を打ち切るようにグラスの水をごくごくと飲み干す。だが三人の間に漂う、こちらを探るような気配までは断てなかった。