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 外相との挨拶も終わり、俺達は一度アーリンの部屋へ集まった。今後のスケジュールの確認もだが、このクワストラ国内の情勢を受けて、今一度認識合わせをしておかなければならないと思ったからだ。
「本日はこのまま御滞在して頂いて、明日はいよいよレセプションパーティーとなります。会場へは、こちらで迎えを御用意いたしますので」
「分かりました。パーティーの参加者はどれくらいになるのでしょうか?」
「話に聞いた限りですと、おおよそ百名前後かと思われます」
「凄い数ですね。それだけの人数が、船に収容出来るのでしょうか?」
「ええ、それはもちろん。何せ、世界一の大型客船ですから」
 ファルス号は、クワストラが世界に誇る大型豪華客船である。仮にも世界一を名乗るのだから、それくらいの人数は収容出来て当然なのだろう。
「それで、我々はこれからスタインベック社との会合へ行って参りますので、申し訳ありませんが再び留守にいたします」
「スタインベック社と言えば、南西地方の大企業でしたね。敵情視察ですか?」
「そういったところです。懇親会を申し込まれましてね。受けて立たないとなりません。そういった事情で、一日空けてしまいます。夜には戻りますので」
「分かりました。それでは今日は、ファルスの街の観光でもしましょうか。サイファーさんも居る事ですし。今日はファルス号が入港するといいですね」
 件の排斥派の事が頭を過ぎったが、現状は外相に脅迫状を送りつけるだけに留まっている。外国人の観光客を襲う事は、まだ可能性としては薄いだろう。一日くらいならば、問題は無いはずである。
「どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。我々は、これからスタインベック社との約束ですので」
「随分と早くからですのね。お仕事頑張って下さい」
「お心遣い、痛み入ります。では、我々はこれで」
 恭しく一礼した後、ニコライとミハイルは退室して行った。あまり企業間の懇親会というものは詳しくないが、お互い今回の入札を重視しているのだから、少しでも情報が必要という事だろう。それこそ、競合する相手とも辞さない程に。
「ふふっ、幾ら何でも露骨ですね」
 二人が去った後、おもむろにアーリンはそんな含み笑いを見せた。
「露骨? 懇親会にしては、確かに随分と時間をかけるようだが」
「懇親会なんて方便ですよ。あれはきっと、談合の打ち合わせです」
「談合?」
 競争入札の際に、あらかじめ競争相手と入札額を知らしめておき、出来るだけ高値で入札する行為。もちろん、これは違法な行為である。
「しかし、今回の入札会には多くの企業が参加すると聞いている。スタインベック社だけと談合しても意味は無いんじゃないのか?」
「まさか。そのままの意味に捉える訳はありませんよ。あれは他にも参加する企業があるに決まってます。だから、こんな朝早くから出掛けて行くんです。多ければ多いほど、調整には時間がかかる。しかし、入札会より前にクワストラ以外の場所で集まったりすれば、流石に不自然に思われる。書簡でのやり取りなど論外ですし、やるならば直前、今日しか無いんですよ」
 なるほど、とアーリンの晴眼ぶりに感心する。昨夜のバーでもデリングが、クワストラ政府の足元を見る、といった事を話していたが、まさにそれに直結している事だろう。
 あっさりと看破したアーリンだが、専門外とは言え俺にはそこまで洞察する力は無い。こういった能力はやはり、生まれ育った環境に拠るものなのだろう。
「談合、か。クワストラにとっては、あまり良い事ではないだろうが」
「まあ、私達は気付かなかった振りをしていればいいんです。商人達には商人達のルールがありますし、下手に関わってもろくな事にはなりませんから。それとも、元監察官として気になりますか?」
「俺の相手は、官吏だけだ。民間企業を取り締まるのは、他の機関だ」
 正直なところ、不正の疑いがある事をクワストラ政府へ伝えたいという気持ちはある。だが、仮にそれをしたところで、入札会の参加者達からは不興を買い、クワストラ政府は新規事業計画が軌道に乗せられなくなり、フェルナン大使にも不本意な噂が付いてしまう。そう、正義感を振りかざしたところで誰も得をしないのだ。
 もっと若い頃の俺なら、きっと後先考えずに是正を求めただろう。だが、今の俺は単なる大使代理の付き人にしか過ぎない。求められてもいない事に首を突っ込むほど、視野は狭くないのだ。
「それじゃあ、もう少ししたら私達も出掛けましょう。今日は天気が良いですし、出歩くには絶好の日和ですよ」
「ああ、そうだな。だが、日中はアクアリアとは比べ物にならないほど日射しが強くなるそうだ。くれぐれも対策は忘れずに」
「そういう事は、女性の方が詳しいですよ。これでも肌には気遣っているんですから」
「そういう意味じゃない。日射病で倒れる事がある、と言っているんだ」
 クワストラはセディアランドよりも熱帯の気候である。今の季節でも日射しは強く、慣れない外国人が日長当たっていれば、あっという間に卒倒するだろう。ただでさえ、俺達は寒帯のアクアリアから来ているのだ。日射量をその感覚でいると、間違いなく昼過ぎには病院行きだ。
「何と言いますか……サイファーさんはかなり細かくて口うるさいですね」
「分かっていて、俺を同行させたんだろう」
「あの父の相手が出来る人だから、もっと気楽な事を考えていました。やはり、四六時中付き合うのとは違うものなのですね」
 要は、顔見知りで一番扱い易い男だと思っていたのだろう。自分で言う事ではないが、本国では変人と呼ばれているフェルナン大使に気に入られている時点で、どう考えても俺が扱い易い人物とは思えない。政府や企業の思惑は簡単に看破するくせにこんな簡単な人選を見誤るのは、人生経験の少なさからだろう。
「とにかく、君の行動は公務から逸脱しない限りは、特に口は挟まない。けれど、自重は忘れないように」
「大丈夫です、任せて下さい」
 そうにっこりと微笑むアーリン。今日までの立ち回りを見せた上で、こうも臆面もなく笑顔を見せられるというのは、ある意味才能なのかも知れない。そう俺は溜め息をつきそうになる。
「では、日が高くなる前に出掛けましょう。十分後にロビーで待ち合わせで」
「ああ、分かった。観光客らしく、あまり目立たない格好でな」
 分かっています、と不満げに口をとがらせるアーリン。ならばいいと憮然と答え、俺は部屋を後にした。まるで、将来自分の子供が大きくなった時の予行練習をしているような心境だった。いずれは日常的にこんな事をする日が来るのだろうが、正直なところ捌き切れる自信は無い。