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 翌日の昼前頃、俺はあらかじめ用意しておいた正装に着替え、ホテルのロビーへと向かった。今日はいよいよ、入札会前のレセプションパーティーである。入札には直接関わらない俺達は、ある意味今日が本番という事になる。大使代理である以上、アーリンは顔を出した後にクワストラ政府関係者と挨拶をする程度で良いのだが、おそらく何か企んでいるだろう。その手綱をしっかりと取るのが、今回の俺に与えられた一番重要な仕事だ。
「おはようございます、サイファーさん」
 ロビーでは、同じく正装姿のニコライとミハイルが待っていた。ニコライは普段通りの気さくな雰囲気だったが、若年のミハイルはいささか緊張の色が顔に出ていた。
「おはようございます。本日はお世話になります」
「いえいえ、こちらこそ。大使には御無理を言って、わざわざ代役まで立てて頂いた訳ですから。これでクワストラ政府には、ばっちり北方系企業やセディアランドの印象付けも出来ますよ」
 そう嬉しそうに笑うニコライ。
 他国も大使や高官を都合して挨拶回りをするだろうが、これまで縁遠かった北方系企業だけでなく、セディアランドほどの大国がクワストラを重要視していると印象付けるのは、今後の不透明な展開も含めて、非常に有利となる影響を及ぼせる。入札会は資本力が物を言う場所ではあるが、存在感をアピールする事は国際社会において重要な事だ。
「迎えは既に用意してあります。アーリン様がいらっしゃいましたら、参りましょう。まあ、急ぐ事はありませんよ。どうせ、乗船時のチェックで港は混雑していますから」
「やはり、警備態勢はかなり厳しいようですね」
「ええ。この国の保守派層にとって、外国資本が入る事は喜ばれていませんから。犯行予告も再三繰り返されていますし、クワストラ政府もかなりナーバスになっています。我々も、事業参入後は積極的に現地人を雇用していかないとなりませんね。あくまで共同で開発しているのだという印象を持たせて懐柔していかないと、何時何処で爆発するか分かりませんから」
 そんなニコライの言葉に、昨日の船大工達に追われていたあの男の事を思い出す。彼ら保守派の人間は外国人を嫌っているが、その理由は流動的だったり、立場によって変わったりする。だが大抵過激派に共通する行動理由は、宗教か経済の問題だ。今回は鉱脈の開発が切っ掛けである以上は、まず後者だろう。外国人によって、自分達が理不尽に搾取されるのではないかという不安感がそうさせるのだ。レイモンド社に限らず、そうではないという企業アピールをする事は、クワストラ国民の理解を得るためにも重要なのだ。現地人の雇用は、問題解決として最も手っ取り早くスタンダードな手法だ。最低限食べる事に困らなければ、大半の人間は現状へ不満を抱き難くなるからだ。
「皆さん、お待たせいたしました」
 やがて、二階へ続く大階段から、着替えを終えたアーリンが現れた。クワストラの国旗を意識したらしい、同じ明るいオレンジ色の生地のパーティードレスは、厳粛な場でも通用するほど質素ながら、はっと目を引かれる程の華があった。アクセサリーの類も最小限に留め、目につくのはエメラルドのイヤリングのみ。それも決して嫌味にならない程度で、実に良くドレスと馴染んでいる。何とも驚くべき変わり様、着こなしの技術だと、俺は感心した。
「どうでしょうか? 派手過ぎにはなりませんか?」
「いいえ、アーリン様。充分華やかでいらっしゃいます。ああ、これはパーティーではきっと引く手数多でしょうね。各国の紳士達が放ってはおきませんよ」
「ふふっ、ニコライさんはお上手ですね」
 そう控え目に微笑むアーリンの振る舞いは、まさに夜会の淑女そのものだった。出自が出自だけに、こういった場での振る舞いや作法は、幼少の時より仕込まれている。だが、普段が年相応の無邪気な振る舞いであるだけに、そのギャップにはただただ驚きと感心するばかりである。
「では、サイファーさん。エスコート役はお願いしますね」
「俺は、そんな作法は知らないぞ」
「私の手を引いて、先導すれば良いんですよ。足元などに注意を促しながら」
 そういうものか、と自信のない返答をし、アーリンに腕の構えの形を作らされる。アーリンは俺の半歩後ろへつき、構えた俺の腕にそっと手を置いた。
 たまの休日にルイと出掛ける時もまた腕を組んで歩くのだけれど、ルイはべったりとくっ付いて来る事が多い。単にルイが甘えたがりな事もあるが、アーリンのさり気なさには、置かれた手を妙に意識してしまう。
「では、参りましょう」
 いつになく、気品や余裕のようなものが感じられる立ち居振る舞いである。例え演技でも、ここまで出来れば大したものだがら、その反面、ニコライも言っていたように、近寄ってくる男の心配も生まれてくる。集まる客は、あくまで明日の入札会が目的である。が、何処にでも無作法な者はいるものだ。アーリンには、そういった輩をかわす話法などはあるのだろうか。
 我ながら、まるで父親になったかのような心配ぶりである。紺碧の都では、フェルナン大使も似たような心境で帰りを待っているのだろう。もしも今この場に来ていたなら、もっとあれこれ口出ししていたかも知れない。その姿が、容易に想像が出来る。