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 事態収拾のため、俺達はクワストラ兵によって退場を促された。アーリンが未だショックから立ち直れていない事もあり、俺達はそれに従って会場を後にする。そこへ丁度、同じように会場を後にするヤーディアー大使が声を掛けてきた。
「やあ、大丈夫かね? 大変な事になったねえ」
「ええ。まさかこんな事になるとは」
「取り敢えず、私の客室へ来ないかね? こういう時は、信頼出来る者同士で集まっていた方が良いよ。セディアランド人同士、助け合おうじゃないか。それに、サーブラウ君が何か話したい事があるそうだから」
 そんな軽い口調とは裏腹に、真剣味を帯びたヤーディアー大使の眼差し。裏の意図を持っている目である。つまり、セディアランド人にしか話せない事柄があるという事なのだろう。
 ヤーディアー大使とサーブラウの後に続き、彼の客室へと向かう。ファルス号の船内は、クワストラ兵や政務官達が慌ただしく行き来し、また逃げるように自室へ向かう者や、この惨状についてヒステリックに詰め寄る者などが見受けられた。当初の和やかな雰囲気とはすっかり一変し、誰もが余裕のない様子になっている。
 ヤーディアー大使の客室は、俺達と同じ作りのものだった。一人では持て余す広さではあるが、此処に四人も入ると、いささか窮屈さを感じる。
「失礼します!」
 俺達が席に着くのと同時に、また新たに二名が部屋の中へ入って来た。レイモンド商会のニコライとミハイルだ。
「やあ、お二人とも。無事で何より」
「閣下も御無事で幸いです。アーリン様も」
 そう話し掛けようとし、アーリンの落ち込んだ様子から察したのか、ニコライは普段の明るい声のトーンを抑えた。
「取り敢えず、今分かっている事を整理しよう。その前に、軽く気付けにどうかね?」
 ヤーディアー大使は、酒のボトルとグラスをテーブルへ並べた。酒は、俺が普段飲むセディアランドの蒸留酒だった。こんな非常時に酒など飲めるかと思ったが、飲み慣れたボトルのラベルと未だに動揺している心境から、そうなる事も仕方がないと言い訳をしてしまった。
 グラスに注がれた酒を舐めながら、まずは自分の気持ちを冷静に戻すことに努める。慣れ親しんだ日常の味は、動揺を鎮めるのに抜群の効果があった。ただ、先行きの見えない事への不安だけは、どうしても拭えなかった。
「殺害されたのは、ゾハル政務官。体中滅多刺しで、失血によるショック死だったそうです」
「滅多刺しという事は、本職の仕業ではないという事かね?」
「実際に対峙してみた印象では、確かにそう思います。自己主張も激しいようでしたし。ただ、やはり気になる事が一つ」
「何かね?」
「大して恵まれた体格でもなかったのに、ああも簡単にクワストラの兵士達を蹴散らせた事です」
 サーブラウの表情が俄かに鋭さを増す。これが、セディアランド人にしか話せないという件の事なのだろう。
「君の見立てはどうかね」
「おそらく、クワストラ兵の中に共犯者が居たと思われます。共犯者が協力する事で、逃亡の手助けをしたのでしょう。そうでもなければ、素手の私を無視し、わざわざ兵士達の居る方の出入り口など目指しませんから」
 確かに、あの時の行動には不自然さを感じた。出入り口は会場の両側にある。どちらも抑えられたとして、もし強行するならばどう考えても素手で単独のサーブラウを狙う。咄嗟の状況ならば尚更だ。
 しかし、あれがやらせなのだとしたら、少なくともあの場に集まっていたクワストラ兵は全て共犯者だったと言う事になる。それほどの数が共犯者なら、更にファルス号に乗船していてもおかしくはない。
 これは非常に危険な状況である。こちらを警護する筈のクワストラ兵が、殺しもよしとする排斥派に協力している事になるからだ。少なくともファルス号に乗船している間は、我が身は自身で守らなければいけない事になる。
「クワストラ兵が共犯者だとすると、彼らの目的が気になるね。もしも、我々参加者達を人質にクワストラ政府へ要求を突き付ける、というものなら問題だが」
「ゾハル政務官を殺害した後に、これは復讐だという意図を宣言していました。もしかすると、今回の開発事業に対する政府への抗議ではないでしょうか」
「犯人は、例の過激派連中か。やれやれ、参ったな。他国の政治情勢には首を突っ込みたくないんだが」
「排斥派にして見れば、我々も対象ですからね。いつ矛先が向くかと思うと、気が気ではありません。いや、向けるつもりだから、これだけ多くの共犯者が居るのやも」
 クワストラ国には、今回のクワストラ政府の開発事業に対して反対する勢力がある。それは、過激派や排斥派等の表現で括られる保守派団体だ。外資系企業の流入を食い止め自国民を保護する事が目的であるため、同じクワストラ人が事業促進をしていれば、確かにそれは彼らにとっての裏切り行為である。ただし、
「何故、此処で殺害したのでしょうか?」
 丁度俺が抱いた疑問を、不意にアーリンがぽつりと口にした。
「殺す事が目的なら、ファルス号のような明らかに警備の厳しい場所で実行する必要はありませんよ。しかも、あんな目立つ場所で、捕まるかも知れないリスクまで負って。そもそもこれだけの人数を動員出来るなら、もっと楽な計画が立てられますよ」
「うーん、多分それは我々外国人への警告の意味もあるからかなあ。マフィアの見せしめや、政府指示の懲罰みたいに」
「入札したら殺す、という事でしょうか。では、明日の入札会は中止になりますか?」
「いいえ、それはありません」
 そうきっぱりと断言したのは、ニコライだった。
「サハン外務相に確認して参りましたが、幸いにも入札会の予定に変更はありません。これは間違い無いそうです」
 幸いにも、という言葉が引っかかった。こちらはクワストラ兵が信用出来ず、命を狙われるやも知れない状況下にあるというのに、彼らにとっては入札会の方が重要なのだ。企業人の考え方である。
「では、ファルス号の帰港は入札後、という訳になりますか。まったく、参ったな……」
 ヤーディアー大使は心底うんざりした表情で溜め息をつき、グラスに残る酒を一気に飲み干す。俺もそれに続きそうになったが、アーリンの護衛がある手前、舐めるだけに留める。
「あの、一つ考えた事があるのですが」
 再びアーリンが口を開く。もう気を取り戻したのか、声のトーンは普段のものと変わらないくらいになっていた。
「クワストラ兵の共犯者の方から、今回の趣旨を訊いてみては如何でしょうか?」
「共犯者を捜し、尋問する訳ですか。しかし、何の為に? 彼らの目的は、開発事業の阻止と分かっているでしょう」
「事情を聞くのです。どうしてここまでの事をするのか」
 その安穏とした発言に、俺は呆れるよりも先に眉をひそめてしまった。