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「ともかく、事態の動向くらいは把握しておくべきでしょう。こういった状況で一番危険なのは、何も情報を持っていない事ですから」
 そうサーブラウはもっともらしく語る。情報を得る事が目的となって危険を招いては元も子もない、と俺は思ったが、元警備部の人間の方がこういう状況では適切な判断が出来るのだろう。
「では、私が回りに行きましょう。何か進展が無いか、また手掛かりになるような情報が無いか、有用そうな情報を探してきます」
「私もお供いたします。他社の動向も気になりますから。ミハイル君、君は此処で待機していたまえ」
 サーブラウとニコライが、偵察という名目で部屋から出て行く。あれから幾らも経っていないのだから、何か進展動きがあるとは思えない。それはともかく、ニコライが未だに商売の事を気掛かりしているのには、呆れを通り越して賞賛すら覚える。北方レイモンド社が、今回の事業に力を入れている事は知っているが、これほどのモチベーションを発揮するとは思ってもみなかった。余程の報償が用意されているのか、はたまた帰属意識が高いのか。
 それから俺達は、何するまでもなく、ただ何となくという雰囲気で時間を過ごした。もっと寛げれば良いのだが、この状況ではそうもいかない。酒は舐めつつも、常に部屋の外や周囲に対して気を張り続けた。
 あれだけ凄惨な事件があった後とはいえ、以来ぱったりと音沙汰が無いせいか、どことなく皆は気が緩んでいる。本当は、あの襲撃犯は何を企んでいるのか、共犯者に襲われる事はないのか、などと考えを巡らせ警戒しておくべきなのだろうが、そんな危機感が今一つわきにくい静さである。本当は、もうとっくに問題など起こらない状況になっているのではないか、そんな思いすらある。
「サイファーさんって、典型的なセディアランド人ですよね」
 唐突に、アーリンはそんな事を言い放った。アーリンは、まだ僅かに中身の残るショットグラスを、指で傾けたりを繰り返しながら、視線はテーブルの方へ曖昧に向いている。
「どういう意味だ?」
「合理的で、現実主義って事です。知ってます? セディアランドは、これだけ国力があっても芸術関係の有名人は、歴史的に見てもとても少ないんですよ。合理的な考え方ばかりに偏ると、芸術家は育たないんでしょうね」
「別に、それが生きるために必須という訳ではないからな」
「でも、あった方が人生が潤いますよ」
 と、何やら期待に満ちた表情を向けてくる。その思惑はあまりに透けて見え、思わず溜め息を漏らしそうになる。
「リスクばかりの犯人捜しに潤いを見付けるのは、あまりに不合理だ。君は下船までこの部屋から一歩も出るな。力ずくでも言うことを聞かせるぞ」
「富める者は、そうでない者を養う義務がありますよ。こういう時こそ、解決に向けて奔走するべきです」
「今、危機にさらされているのは、富める者ばかりだ。君の出番はない」
 アーリンは不満げに口を尖らせるが、俺は一切耳を貸さない。自分もサーブラウ達のように外へ出て捜索でもしたいのだろうが、それは絶対に許可出来ない事だ。下らない稚気に逸って身を滅ぼされるより、恨まれた方が遥かにましというものである。
「いやあ、話には聞いていたけど。本当に頑固な人なのだね」
 感心したようにヤーディアー大使が頷く。彼もまた他人事のような言い草だ。フェルナン大使の後輩だけあり、何処か似ている言動である。
「彼女を無事にアクアリアまで送り届けるまでが、私の仕事ですから。そのために最善を尽くしているだけです」
「私の最善は、この機会を無駄にせずに交友の和を広げる事です。これもまた、外交の一つですよ」
「フェルナン閣下は、そういった事は望んでいない。君の功名心を、外交を結び付けるんじゃない」
「存在感を示す、って話。さっきしていましたけど、あれは私のためだけじゃありませんよ。セディアランドに対する、クワストラ政府の信用を得るのが一番の目的ですから。困った時にこそ頼りになる、そういう印象を持たせるのが一番の信頼に繋がるんです」
「ならば、尚更出ない方がいい。緊急時に、更に問題を作るような人間と思われるのは、あまりに大きな痛手だ」
 どういう意味ですか、とすぐさまアーリンは抗議の声を上げたが、俺は黙殺し受け流した。子供の出来る事など、所詮はたかが知れているのだ。それよりも、大怪我をしないよう見張る方が重要である。
「おや、それは何かな?」
 ヤーディアー大使が、何杯目になるのかも分からない酒をグラスへ注ぎながら、おもむろにミハイルへ話し掛けた。今までこれといって会話に加わることの無かった彼は、何か資料をテーブルへ広げ作業をしている。先程からずっと続けていたのだが、きっと入札会関係の事なのだろうと、俺は特に気に留めていなかった。
「この地域一帯についての、民俗学の本です。アクアリアでも取り寄せる事が出来たので、今回の入札会のために、ずっと勉強をしていました」
「へえ、それは熱心な事だ。つまり、入札が終わって実際に事業展開をする際、計画を立てる事や従業員の待遇などのためのものだね」
「ええ、そうなります。末端の人員管理は、基本的には若手の仕事ですから」
 何故、営業職がそんな本を読んでいるのかと、思ったが、確かにそれは必要な予備知識である。企業が海外で業務展開する際、最初にぶち当たるのは文化の壁である。そこで選択を誤れば、思わぬ痛手を被る事になる。これは、外交の席でも同じ事が言える。
 そこでふと、俺は昨日の船大工達に追われていたクワストラ人の事を思い出した。メンテ中のファルス号に悪戯書きをし、露骨に外国人へ敵意を向けていた彼、何となくその姿が壇上へ出没したあの襲撃者と重なる。そのせいか、無性にこの事が気になってきてしまった。
「あの、すみません。その本には、ファルス市の生い立ちについては書かれていますか?」
「ええ、もちろん。ご覧になりますか?」
 そう言ってミハイルは本をめくり、該当するらしいページを開いてから俺へ差し出してきた。俺は有り難く頂戴し、早速ページへ目を落とす。
「この本は、クワストラの言語で書かれたものではないのですね」
「ええ。作者は東部のシャルダーカ国の人です。外国人目線ですから、かなり中立なまとめになっていますよ」
 しかしシャルダーカ国と言えば、急進派と穏健派の対立が激しい事で有名な国でもある。作者の立ち位置によっても、それなりにフィルターは掛かっているだろう。
 何にせよ、まずは読んでみなければ始まらない。俺はグラスをテーブルへ置き、いよいよ本の内容へ没入した。