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 ファルス市が成立したのは、今から四十年ほど前に遡る。当時、既に現ファルス号のような大型豪華客船の建造計画が立ち上がっていたが、建造場所の策定に困窮していた。そこで持ち上がったのが、建造場所そのものを新たに作ってしまおうという計画である。まだ当時のクワストラ国は、貴金属の輸出などで非常に財政が潤っており、国威も勢いがあったため、今では考えられないような大規模な公共事業も可能だったのだ。
 造船所の建設場所に白羽の矢が立ったのは、当時はまだ地図上では地名の無い、この湖に面した一帯だった。そこにまずは船大工達のための街を作り、そして造船所が建てられた。造船所では後のファルス号が建設され、街もそのまま発展を続け今日のファルス市となった。ファルス号の進水式は大々的に行われ、諸外国からも大勢の来賓客が招かれた。セディアランドからも、当時の宰相が出席している。国交の無い国への公式訪問は、当時でも異例中の異例だったそうだ。
「これが、クワストラ国の最も華やかだった時代、という訳ですね」
 と、いつの間にか傍らに居たアーリンが、本を見ながらそうしみじみと語った。
「新興国には良く見られる現象ですね。発展の途中に訪れたにわか景気を実力と勘違いしちゃって、そのまま身の丈に合わない事業や開発計画を打ち出し、間もなく手痛い打撃を受けてしまう。大昔のセディアランドにもあったそうですよ」
「クワストラ国も、今まさにその歴史をなぞっている最中という事か」
 国の成り立ちにはセオリーというものがあり、どの国も一通り経験する事がある。フェルナン大使が以前にそんな事を口にしていた。それが真実かどうかはさておき、クワストラ国はかつては空前の好景気で、今は真逆の不景気に苦しんでいる、それだけ押さえれば十分だ。
「ですが、これだけだと大した手掛かりにはなりませんね。何かこの事件と結び付いている事柄があれば良かったのですが」
「そううまくはいかないと言うことだな」
 ファルス市の成り立ちが、今回の事件の発端になっているのではないか。そんな推論があったのだが、これでは根拠足り得ない。もっと具体的な何かがなければならない。果たしてそんなものが存在するかは別として。
「ただいま戻りました」
 それからしばらくした後、サーブラウ達が戻ってきた。途中走ってきたのか、後に続くニコライはやや息を切らせていた。サーブラウとは違って、あくまで仕事目的での情報収集に出た彼だったが、何か良い収穫があったのだろう、額に汗を浮かべながらも表情は随分と明るくなっている。
「状況はどうでしたか?」
「いえ、それが予想以上に良くありません」
 そう頭を振ったサーブラウ、溜め息をつきながら椅子へ腰を下ろす。続いてニコライも腰を下ろしたが、こちらは対照的に表情は明るい。どちらも収穫があった訳だが、事情は大分異なるようだ。
「誰の判断なのか分かりませんが、政務官やクワストラ兵の中で、一部の部族出身者を船底に隔離していました。今後、一人一人聴取若しくは尋問した上で、引き続き隔離するか否か決定するのかも知れません」
「部族出身者?」
 その耳慣れない言葉に、俺はサーブラウへ問い返す。
「クワストラは、いわゆる多部族国家です。元々この大陸には大小無数の部族が存在していて、それぞれが異なる言語や風習を持っていました。やがてそれが緩やかに集合する事で、今日のクワストラ国の基盤が生まれたと言われています。ですからクワストラ人の帰属意識は、国や政府よりも、自らの出身地や部族の方へある訳です」
「そういった部族の中でも、特定の部族の出身者だけを隔離している訳ですか。しかし、それはどうしてでしょう? この事件について何か、特定の部族に関係する証拠物でも出て来たとか?」
「それならば、まだ良いのですが。実はクワストラの部族には、やはり明確な序列が存在するのです。表面上は過去の陋習として廃れた事にしているようですが、現在でも職務上の階級より優先されるなどといった事があるようです。今回が正に良い例ですね」
「序列の低い部族から疑っていく、という訳ですか」
 今の時代、セディアランドを始めほとんどの国は階級制は撤廃、もしくは形骸化しており、基本的な市民権に上下や序列をつける国はほとんどない。だが、クワストラ国には階級差別のような習慣が未だに根強く残っているという事なのだろう。国際社会ではとても出せるようなものではないが、クワストラ国はほとんど正式な国交を結んでいる国が無く、それらの陋習を世界に晒すような機会がない。そのせいで今まで改められなかった、とも考えることが出来る。
「この本には、部族差別の件については書かれていませんでしたね。マイナーなことなのでしょうか」
「取材する際に制約を書かされるか、鼻薬でも嗅がされるのか。ともかく、醜聞は表沙汰にならないようにしているのでしょう。そうするという事はつまり、多少なりとも後ろめたさがあるのかも知れません」
 本当に悪い事だと思っていなければ、わざわざ隠すような事もしないう。多少は国際社会の目を気にはしているのだろうが、それが新規開発事業に向けた各国の不興を買わないため、ではなくて人間らしい良心に由来するものだと思いたい。
「それで、ニコライさんは如何でしたか?」
 続いて、同じく聞き込みへ出たニコライに話を向ける。するとニコライは、ようやく落ち着いたとばかりに呼吸を整えつつ、額の汗をハンカチで拭いながら口を開いた。
「実は、幾つか各企業の方々へ聴き込んできたのですが。どうも、明日の入札会は荒れるかも知れませんよ」
「荒れる?」
「ええ。やはり、この事件によって受けた衝撃は何処も看過できるものではなかったようで。それで後ほど、内々の調整を行う集会を開くつもりでいます。いやはや、危うく我が社も出遅れる所でしたよ」
 どうやら企業間での集まりがあるらしく、ニコライはそれに乗り遅れずに済んだと喜んでいたようである。
 しかし、俺は思わず眉をひそめてしまった。何の調整会かは知らないが、入札会の事での集会をこの状況下で開くという事は、彼らは明日の入札会が予定通り行われる事だけでは飽きたらず、この事に付け入って更に利益を得ようとしているのである。