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「おや、こんばんわ」
 近付いて来るアーリンに最初に気付いたのは、やや語尾に訛のある青年だった。
「こんばんわ。こちら宜しいでしょうか?」
「どうぞどうぞ。歓迎いたしますよ」
 笑顔で迎え入れる彼らは、アーリンをすぐ傍の椅子へ促す。俺はその後ろへさり気なく立った。
「確か、レイモンド商会の方々と御同席されていましたね。御身内の方でしょうか?」
「いえ、私の父がアクアリアで大使をしておりまして、レイモンド商会とは懇意にさせて戴いているのです」
「ああ、なるほど。セディアランドの方でしたか。申し遅れましたが、私はサザンカ商会のイトーと申します」
 サザンカ商会とは、東部に本社を置く大企業である。あまり経済界には詳しくない俺でも、その名前は監察官時代から耳にしているほどの大規模企業だ。レイモンド社と同じく、様々な分野に進出している複合企業で、レイモンド社とは競合関係にあると言っていい。
 まあ、こうなるだろうとは思っていた。この船に居る大企業の者は、必然的にレイモンド社の競合企業になる。それを知っていてアーリンは接近したのだろうか。
 イトーと名乗った青年は、レイモンドの名を聞いても一つも慌てる事が無い辺り、流石に大企業の代表だけあって肝が据わっていると感じた。それだけに、アーリンが何か失態を犯さないか、不安が込み上げて来る。
「私は、在アクアリア大使フェルナンの娘、アーリンです。宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします。ところでアーリン様、良いイヤリングをされていますね。大粒の見事なエメラルドだ」
「ええ、これは此処へ来る途中にバラクーダで買いましたの。緑はクワストラの国色だそうですから、親クワストラのアピールも兼ねようと思いまして」
 あれは、バラクーダでレイモンド社の宝石店で購入したものだ。ルイへお土産を買っていけと、散々言われた事を思い出す。エメラルドをわざわざ探して買っていたが、単なる彼女の趣味だと思っていた。どうやら、きちんと目的や理由があって選んでいたようである。
「なるほど。確かに、エメラルドは良いですね。クワストラの鉱脈は、金や銀ばかりに目が行きがちですが、昔はエメラルドも盛んに採れていたんですよ。今回の事業には、新しい鉱脈もあるそうですし」
「もしかして、サザンカ商会が既に内定しているのでしょうか?」
「私共も、そろそろ新たなエメラルドの鉱脈が欲しい所ですからね」
 肯定も否定もしない、如何にも企業人らしい言い回しである。物事をきっちり明確化したがる俺には、今ひとつ腑に落ちない表現だ。
「ところで、夜会中の事件ですけれど」
「ああ、あれには私も驚きましたよ。正直なところ、人が殺される光景なんて、これまで一度も遭遇した事などありませんでしたから。まだ少しばかり震えが止まらなくて、酒で誤魔化している最中です」
 そう笑うイトーだが、そこまで小心そうには見えない。おそらく、震えているというのは謙遜だろう。かと言って、人が死ぬ光景を見たのが初めてではないという訳でもなさそうである。これは経験則からの勘だが、人の生き死にに日常的に身を置いている人間は、独特の雰囲気を醸しているものだ。
「ほう、何やら楽しそうな事になっているね」
 そう言いながらおもむろに現れたのは、三名の屈強な男を引き連れた中年くらいの男だった。連れの男達は、明らかに雰囲気が一般のそれとは異なっている。おそらく、かなり訓練された護衛役だろう。
「御紹介いたします。こちらは、シャルダーカ国の外務相、クレバヤシ閣下です」
「初めまして、閣下。在アクアリアのセディアランド大使、フェルナンの娘のアーリンと申します」
 俺もまた、出しゃばらない程度にアーリンに続いて一礼する。
「ほほう、セディアランドの外交官ですか。いやいや、去年は一度外遊へ出ましたが、あそこは良い国でした。温暖で食べ物も美味く、人も知的で優しい」
 そう笑いながらありがちな社交辞令を口にし、クレバヤシ外相は椅子へ腰を下ろした。
 シャルダーカ国と言えば、サザンカ商会が発祥した国である。どうやら彼らは、フェルナン大使とレイモンド商会と似た関係のようである。
「しかし、大変な事になったものだ。まさか、このような事件に巻き込まれるとはね。一応、非公式訪問という扱いだから、本国と連絡が途絶えるのは特にまずい」
「バラクーダまで戻る事が出来れば、後は我々が帰国の手配をするのですが。まずは、この船から降りる事が出来なければ」
「入札会が終われば、帰港するのではありませんか?」
「どうも、そういう事情では無いようなのです。何でも、まだ犯人一味が船内に潜んでいるらしくて。クワストラ側は、それらを捕縛するまでは帰港しないつもりらしいのです」
 まだこのファルス号に、実行犯及び共犯者が潜んでいる。それは、聞きたかったが、出来れば知りたくない事実だ。潜んでいるという事は、まだ暗殺しようとしている標的が残っているという事である。標的はクワストラ政府の関係者だろうが、いつ巻き添えになったり、矛先が変わらないとも限らない。
「当分は安心出来ない訳ですね」
「そういう事だよ。まったく、シャルダーカの大臣を拘束するとは、不届き極まりない。帰国後は厳重に抗議せねば」
「閣下、お気持ちは分かりますが、これはあくまでビジネスの事ですから……」
 クレバヤシ外務相は、抑えてはいるものの、この状況に対してかなり不快感を抱いているようである。やはり国の代表ともなる人物なのだから、扱いも相応でなくてはならないという考えがあるのだろう。国体を考えれば、頷ける話ではある。
 これで、多少は現在置かれている状況が分かった。クワストラ側は、ファルス号に犯人一味が未だ潜伏していると考えていること。それを確保するまでは、我々は帰港出来ない可能性が高いということ。そして犯人一味は、次の犯行に及ぶ可能性もあるということ。
 サーブラウが言っていたように、クワストラ兵の中に共犯者が複数人居るのだとしたら。これは、確実に何処かで状況の進展が膠着し、泥沼状態に陥る。
 果たして、この入札会は無事に終える事は出来るのだろうか。打ち合わせに白熱する企業人達の姿を見ていると、一層自分の気持ちが冷え込んでいくような気がした。