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「それは、確かなのですか?」
 俄かに色めき立ったアーリンは、一応声は潜めるものの、自らデリングへ詰め寄っていく。
「ええ、間違いありません。直接見た訳ではありませんが、何名かのクワストラ兵と政務官に聞きましたから」
「情報が嘘という事はありませんか?」
「まず、大丈夫だと思います。昔から、クワストラ人には鼻薬が良く効くと言われているくらいですから」
 賄賂を使った上で、複数の人間がそう明かしたという事は、その話はかなり信憑性が高いと見て良いだろう。だが、今度はまた別の疑問が持ち上がって来る。何故クワストラ側は、その事をすぐにでも発表しないのだろうか。そうすれば、一応事件の決着は宣言出来るし、会場の不安も一掃出来る筈なのだが。
「あの、その方と面会する事は出来ませんか?」
「えっ?」
 唐突に飛び出したアーリンの言葉に、デリングはよほど驚いたのか、目を丸くして問い返した。
「失礼、今のは気になさらないで下さい。単なる戯言ですから」
 すぐに俺は横から口を挟んだ。ヤーディアー大使の部屋でも同じような事を言っていたが、そんな危険な事をおいそれと許可する訳にはいかない。クワストラ政府から抗議を受けるだけでなく、何よりホルン商会に借りを作ってしまう事にもなるのだ。
「いえ……申し訳ありませんが、流石にそれは私の手には余ります。実際、犯人を監視しているような兵は、おそらく賄賂も効かないような手合いでしょうから」
 そうデリングは苦笑いを浮かべながら、丁寧に申し出を断る。本当に手段が無いのかどうかはともかく、おいそれと引き受けるつもりは無い様子である。メリットとデメリットを天秤に掛けたのだろう、流石に彼も利にならない事には手は出さないようだ。
「そうですか……いえ、御無理を言いまして、申し訳ありません」
 しおらしい態度を見せるアーリンは、大人しく引き下がった。デリングに無理強いをしてはいけないと考えたのだろう。
「ところでアーリン様は、容疑者と面会し、どのような事をなさるおつもりなのですか? 失礼ですが、若い女性が首を突っ込んでも面白いものではありませんし、何より外交官の本文から外れているのではありませんか?」
「ええ、それは重々承知しております。ただ私は、どうにもその方がさしたる理由も無く人を殺めるような、非道の人は思えないのです。それで、何故あのような事をしなければならなかったのか、それをお聞きしたいと思います」
「理由、ですか。それは、クワストラ国の内紛では? 御存知の通り、外国人排斥主義の過激派があちこちに居るそうですし。クワストラ人でありながら外国人の味方をしたのが、許せなかったからではないかと思いますよ」
「そうかも知れません。ですが、外交官は憶測で動かず現場の声に耳を傾けよ、というのが父の教えですから」
 そんな殊勝な事を、フェルナン閣下は言っていただろうか。大方、その場しのぎの方便だろう、そんな穿った見方をする。
「なるほど、フェルナン閣下の教えなのですね。私としても、何とかお力添え出来れば良いのですが……。そうだ、一つ可能性がある方法がありますよ」
「何でしょう?」
「アーリン様は、サハン外務相と御面識がありましたよね。私では無理ですが、アーリン様から直接頼めばあるいは」
 サハン外務相とは、先日にファルス市のホテルの一室で面会をしたばかりだ。確かに、お互い全く知らない間柄という訳ではないが、果たしてそんな申し出など受けてくれるだろうか。それよりも、あの日のサハン外務相は暗殺や襲撃の危険に備えて、ホテルの出入りにも気を使っていた筈である。デリングは一体、何処でその話を嗅ぎ付けたのだろうか。
「それなら、確かに可能性があるかも知れませんね。ありがとうございます、その線で頑張ってみます」
 そう嬉々として意気込むアーリンだったが、俺はそこでしっかりと釘を刺した。
「君は、自分の立場が分かっているのか?」
 するとアーリンは、一度ぎくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り向く。そして、如何にも見せつけるように溜め息をついて見せた。
「言われなくとも分かっています。外交官としての本文から、外れるような事はしませんよ」
「フェルナン閣下は、君に外交官の本文を全うさせようとは思っていない。この事件は、この国の問題だ。部外者が、興味本位や功名心に駆られて首を突っ込むべきではない」
 そして、デリングの方へも意識して鋭い視線をぶつける。余計な煽りをするな、そういうこちらの意図を察したのだろう、すぐにデリングは申し訳なさそうに一礼する。
「この状況だ、外務相閣下も多忙の筈だ。余計な仕事を増やすべきではない。下手に不興を買うよりも、大人しく動向を見守るように」
「そうは言いますけど、これは」
「君一人で済む問題ではないのだ。立場を弁えろ」
「そんな……! 私は、ただ」
「アーリン様、あちらにいらっしゃるのは在ラングリス大使のヤーディアー閣下でしょうか?」
 突然、デリングは会話に割って入るように問い掛けて来た。
「え、ええ、そうですが」
「丁度良かった。私の事を紹介して頂けないでしょうか? 一度、御挨拶をしておきたかったのです」
「構いませんが……」
「よろしくお願いします。それでは、失礼」
 デリングは物腰こそ柔らかではあったが、強引にアーリンを連れ、ヤーディアー大使の方へと向かってしまった。しかし、俺は内心ホッとしていた。これ以上口論が続けば、もっときつく激しい言葉を使ってしまいそうだったからだ。
 デリングがうまく機転を利かせてくれたのだろう。そう安堵するのも束の間、彼がレイモンド商会とは競合関係にある事を思い出し、はっと息を飲む。
 もしかして、ヤーディアー大使との繋がりを作るために、うまく担がれたか? そんな勘ぐりが、否めなかった。