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 サハン外務相の執務室は、客室からも離れた船底に近い層にあった。元々、何かの倉庫だったものを執務室に改装したものらしく、部屋の周囲の雰囲気が通常の執務室とは明らかに異なっていた。恐らく、今回の政府事業に際して保守派からの脅迫や殺害予告が相次いだから、部外者が忍び込み難い場所へ執務室を移したのだろう。けれど、これでは逆に逃げ場を自ら塞いだ事にもなる。それに、窓もない船底の部屋では、酷く憂鬱な心境にさせられるだろう。
「それでは、デリング様は此処まででお願いいたします」
 執務室の傍までやって来ると、政務官がおもむろにデリングを制止する。デリングは一礼して素直に応じ、周辺を警備する屈強な警備兵達の視線を物ともせず、さも自分の持ち場であるかのように廊下の一角に立った。仕事のためとは言え、ここまで身を粉に出来るのはある意味感心する。
 扉の前に立つと、俺と政務官は念入りにボディチェックをされた。武器になるからとベルトを預けさせられ、それでようやく執務室への入室が認められた。
「失礼します、秘書官のサイファー様をお連れいたしました」
 執務室の中には、サハン外務相と屈強な護衛役が三名、そして応接テーブルを挟んでアーリンが席に着いていた。サハン外務相の両隣とアーリンの背後に護衛がそれぞれ付いている。例え女子供であろうと、部外者に警戒は怠らないのだろう。ホテルでの会談の時も同じ厳重な警備体制で、随分大袈裟だと思っていたが、今となってはそれも当然の事と思えた。犯人が外資流入阻止を目的とするならば、その旗振り役であるサハン外務相を仕留めれば、それは確実となるからだ。
「お忙しい中、夜分に面会を許可して下さった事を感謝いたします。このような状況下で、さぞ御苦労されているでしょうが、我がセディアランドは決して閣下の御厚意に背こうという訳ではありません。まず、それだけは何としても御理解して頂きたく存じます」
 ともかく、アーリンの不始末を心から謝罪する事。それしか俺の頭にはなかった。俺はサハン外務相の姿を見るや否や、兎にも角にも本題から切り出していった。すると、
「はっはっは、そう畏まらずとも宜しい。君が非常に堅い人間である事は聞いている。だが、ここは非公式の場だ。もっと気楽に、打ち解けた話しがしたいものだ」
 サハン外務相は、想像よりもずっと機嫌良く軽快な口調でそう話し、俺にアーリンの隣の席を勧めてきた。頭ごなしに怒鳴られる事も覚悟していただけに、思っていたよりも友好的なその態度には思わず面食らってしまった。とにかく、俺はサハン外務相の勧めるがままに席へ腰を下ろした。
「実は今、アーリン殿と例の件について意見交換をしていてな。いや、実に有意義な内容だったよ。まだ若いというのに、実に理知的で聡明である。セディアランドとの国交が樹立した際には、彼女のような外交官に大使をやって頂きたいものだ」
 またしても、意外な言葉が飛び出して困惑する。
 大使までは、流石に世辞だろう。だが、アーリンの不躾な推参に対して一つも気を悪くしていない事がかえって不気味に感じた。
 一体これはどういう状況なのか。答えを求め、そっと傍らのアーリンへ視線を送ると、アーリンはさも勝ち誇るような優越の眼差しでそれに応えて来た。
「閣下、大変申し訳ございませんが、私は今の状況が良く分かっておりません。一体、何があったのでしょうか?」
「おお、そうだったな。そこから説明せねばなるまい。まず、これはまだ公にはしていないのだが、夜会での事件の実行犯を我々は確保したのだよ」
「確保という事は、やはりこの船に潜伏していたのですね」
「いや、違う。どういう訳か、向こうから名乗り出て来たのだよ。名簿と一致せず、凶器も所持していたし、まず間違いないだろうという事で船底に拘束している訳だ」
 クワストラが犯人を拘束したという話は、デリングから聞いている。アーリンを焚きつけるための出任せとも思われたが、外務相の口から聞かされるという事は、どうやら事実で間違いないようである。しかし、自首してきたとは一体どういう事だろうか。今回の新規事業の政府関係者の殺害が目的で、殺されたゾハル政務官以外にも標的がいるから逃亡を図ったのだと思われたのだが。
「当然だが、こちらの尋問に対しても一切答えようとしない。ただ、クワストラ人以外を連れて来いの一点張りでな。明日の入札会については、ひとまずは開催は可能ではあるのだが、万が一共犯者がいないとも限らない。せめてそれだけでも確認しておきたい所だったのだよ」
「まさか、そこに当国のアーリンを?」
「そういう事だ。犯人への聴取を代理して頂こうと考えている。なに、見返りと言ってはなんだが、多少の便宜は図るつもりだ。君達にタダ働きをさせようというつもりはないから、安心したまえ」
「……しかし、それは」
「そちらも、何か別の目的があるのだろう? 詳しくは訊ねんよ。何事も持ちつ持たれつ、だからね」