BACK

 クワストラ政府の悪行が知られれば、各企業も何かしら動きが出るだろう。こと商売人というものは自らの風評について、ある意味政治家よりも気にする傾向にある。法律的若しくは道義的に後ろ暗い相手との取引が取り沙汰された場合、その企業までもが同一の存在と見なされかねないのだ。そういった汚いイメージは、必ず消費者の足を遠退かせる。
 クワストラ政府の悪行が公になれば、もしかすると入札会の参加を取り止める企業が出るかも知れない。それがラサの狙いだろう。だが俺は、恐らくそうはならないと考える。経済界の考え方は、そう単純な二元論ではないのだ。
「第三者の目から見て、ラサさんのやり方では必ず遺恨が残ります。長い目で見れば、殴り返すようなやり方は得策とは言えませんよ」
「だからと言って、じっと耐えねばならない理由はない。奪われたら取り返す、それだけの話だ」
「それでは、今住んでいる人はどうなるのです? 彼は、クワストラ政府の悪行も知らないのに、その報いを受ける事になります」
「同じ報いなら、我々の同胞は既に受けた。ならば、次はそっちの番だろう」
「あなたは、何が何でも戦わなければ納得しないのですね」
 だからこそ、彼は一族を裏切ったという政務官を誅殺したのだ。そしてこの先も、彼だけでなく彼の仲間もまた同じように、一族以外のクワストラ人を躊躇い無く殺めるだろう。
 まずい状況である。入札会を止めなければ人が死に、その入札会は人が多少死んだくらいでは止まらない。負の連鎖が起きかねない状況だ。
「あなたは先日、ファルス号の船体に落書きをしたそうですね。あれは、あなたの一族の抗議表明ですか?」
「そうだ。我々の存在が忘れ去られぬよう、我々の古い言語で描いた。そうすることで、失意に陥った同胞も勇気付けられるだろう」
 しかし、あれは出航前にあらかた除去されてしまっている。恐らく、あの船大工達以外の目には触れていないだろう。
「ちなみに、何と描いたのですか?」
「我らのカダを返せ、だ」
「カダ?」
「あの土地の、本来の名前だ。クワストラ政府はそれを奪い、あのような屈辱的な名前を付けた。我々の言語を知ってか知らずか、な」
 ファルスという名前は、彼ら一族の言語では何か別の意味を持つのだろう。クワストラの共用語では対した意味はない言葉だったと思うが、意図的なものか偶然かはともかく、土地を奪われた彼ら一族にとっては追い討ちをかけるようなものだったのだろう。
「お話は理解いたしました。事情は何にせよ、私は聴取を請け負った立場ですから、今のお話は全て外務相へ報告させて頂く事に変わりはありません」
「それで一向に構わない。お前が、あのクワストラの金に群がる連中にも同様に伝えてくれるのであれば。人として、良識ある行動を期待する」
 牽制するようなラサの言葉に、アーリンは無言のままだった。しかし、それはまるでラサには従わないと返答しているようにも見える。無言の意思表示というのは、端からは息苦しく居心地が悪い。部屋の狭さも手伝って、俺は妙な息苦しさを感じた。
「それでは、失礼いたします」
 最後に不自然に恭しく一礼し、牢を後にする。俺とデリングはすぐその後へ続いた。牢の戸を閉め、閂をかけ直す。そして最後に、覗き窓から中の様子を窺う。ラサは、まるで力尽きたかのように、鎖に吊られるがまま、体を前方へ投げ出すような姿勢でがっくりとうなだれている。
「それでは、戻りましょうか」
 そう言ってアーリンは、元来た道を戻り始める。俺はランタンを構えて足早にアーリンを追い抜いた後、最前列で暗い足元を照らす役に戻った。
「アーリン、あの男だが君を利用しようとしているだけだぞ」
「分かっていますよ。その上、私を舐めきっている事も」
 意外なアーリンの返答に、俺は小首を傾げる。
「舐めきっている?」
「ええ。私なら、良心をつついてやれば、それだけで何の益もない行動へ突っ走る。そんな期待が見え透いていました」
 意外な反応だ。そう俺は、アーリンの反応にむしろ胸を撫で下ろした。アーリンはどこか犯人一味に対して同情的な部分があっただけに、早々に自ら見限ってくれるのは手間が省けて有り難いものだ。
「なら、話は早いな。あいつの言った事など、やるだけ無駄だ。結果は目に見えているからな」
「そうかも知れませんね。ちなみにサイファーさんは、仮にそれをやったとして、どうなると思いますか?」
「まず、ほとんどの企業はこの事を問題視しない。知っての通りクワストラは、ほとんどの国と正式な国交がない。それはつまり、ほとんどの国がクワストラという国や、その内情について知識がないと言う事だ。仮にこの件を世界中の人間が知った所で、政府に噛み付く左派組織ぐらいにしか思わない。無慈悲な言い方だが、誰も彼らに同情などしないな」
「でも、此処に集まった企業人や名士の方々は、みんなクワストラの事情に詳しいじゃありませんか。彼らの理解さえ得られれば、入札会の中止は現実的ではありませんか?」
「いや、不可能だな。はっきり言って、後ろ暗い付き合いなど、何処の企業にも一つや二つはある。基本的に彼らは、利益率の良し悪しで物事を判断する。利になると判断すれば、その程度の事など簡単に目を瞑る。むしろ、これ以上延焼しないように注力するだけだ」
 入札会の中止は、サハン外務相が予定を覆さない限り、まず有り得ない。各企業も、わざわざこんな僻地へ遊びに来た訳ではない。少数部族の前世代の土地の問題など、言ってしまえば幾らの得にもならないのだ、食指が伸びるはずもない。
「なら、その不可能を可能にして見せましょう」
「は?」
 突然、アーリンは全く予想外の事を口にした。飛び出したのは、俺の思惑とはまるで正反対の言葉である。
 ちょっと待て。たった今、あのラサという男とは決裂したと言ったではないか?
「どういう意味だ? 君はあの男への肩入れはしないつもりなのだろう?」
「私の思考と判断は、いつも中立ですよ。サハン外務相にも御報告しますし、各企業の方々にも説明します」
「それでは、クワストラから不興を買う。君は、何のために此処へ来たのか忘れたのか?」
「大丈夫ですよ。だから、前もって言質を取るんです」
 いつもの様に平然と答えるアーリンに、俺は俄かに頭痛のするような心境に陥った。