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 特にこれと言った挨拶やスピーチもなく、自然と朝食会は始まった。今日はいよいよ入札会という事もあり、いずれの企業の代表者も意欲に満ちた精悍な表情をしている。昨夜も遅くまで調整などの業務に追われていたはずだが、そういった疲れは微塵も表にしていない。
 そんな彼らに混じるアーリンは、うまく溶け込めているのか、和やかに談笑している。レイモンド商会のニコライは元より、ほぼ初対面であるサザンカ商会やスタインベック社とも当たり前のように会話出来ている事は意外だった。その辺り、きちんと予習を行っていたのだろう。
「この後、早速入札会を行いますが。皆さんも、準備は宜しいかな? 非常にタイトなスケジュールだ、あまり無理はされぬよう」
「ええ、問題ありませんよ、閣下」
「なに、まだまだ介護を必要とする歳ではありません」
 サハン外務相との会話も、時折冗談を交えながら和やかに進んでいく。この雰囲気だけ見て取れば、きっと入札会もつつがなく終わるだろうと予測が出来る。しかし、水面下では大きな火種がくすぶっている。だからこそ、俺にはサハン外務相の態度が、早く入札会を終わらせてしまいたいようにしか見えなかった。
「ところで、閣下。昨夜の事なのですが」
 場も盛り上がってきた頃、おもむろに夜会の件を切り出して来た。果敢にもそれを断行したのは、サザンカ商会のイトーという営業担当だった。彼とはヤーディアー大使の紹介を受けて、顔と名前程度は知っている。
 このタイミングで、その話題を切り出すのか。いや、今が最も切り出しやすいのか。どちらにせよ、それは同席者達に一定の緊張を走らせ、談笑のざわめきが幾分かおとなしくなった。
「おお、言われてみればそうだった。まだ皆さんにお伝えしていない事があった」
 サハン外務相は特に動揺する事もなく、余裕たっぷりの振る舞いでそれに応じる。
「昨日の夜会では、皆さんに不快な思いをさせたばかりか、こちらの連絡態勢の不備で不安にさせた事は、深く陳謝したい。だが、安心して頂きたい。既に犯人の身柄は押さえてある。これまで発表を遅らせたのは、共犯者の有無を確認するためだったのだ」
「では、こうして発表されたということは、既に問題は無くなったと?」
「その通りだ。共犯者はいない。奴一人による犯行だったようだ」
 同時に、安堵の溜め息が場を包む。犯人の犯行動機が入札会に対するものであることは歴然で、いつ自分達に矛先が向けられるか気が気ではなかったはずだ。それだけに、喜びもひとしおだろう。
「サイファーさん、これは……」
「いえ、今はこのままで」
 ミハイルが訝しげに小声で俺に訊ねる。視線をニコライへ向けてみると、彼もまた同じように訝しみを押し隠した表情を浮かべている。
 我々は、この事件には共犯者が多数いる事を知っている。そして、容疑をかけられたクワストラ兵が何人も船底に拘束された事もだ。この安全宣言は即ち、入札会から辞退させないための嘘でしかない。だが、それを大声で指摘する訳にもいかない。そんな事をしたところで、セディアランドに対するクワストラの心証を損なうだけだ。
 多額の金が動く入札会において、ひときわ大きな金額を動かす彼らにとって、犯人一味の件は最後の懸念材料だったのだろう。ニコライを除く面々は、安堵の表情と共にこれ見よがしに入札会に対する積極的な態度をサハン外務相へアピールする。入札会と直接関係はしないが、それでも閣僚の人間には少しでも良く思われておきたいのだろう。
 やがて話題は入札会から、クワストラの名物へと移っていく。クワストラは荒野や砂丘の多い国土だが、この環境でしか育たないスパイスや香木など、土産物として押さえておきたい物の情報がにわかに飛び交う。懸念材料が払拭されたとあって、後はこの機会に交流を深めておこうというのだろう。
 そんな中、俺はしきりにアーリンの動向をチェックしていた。そろそろ例の件を切り出すかと思っていたが、アーリンはなかなか動きを見せず、その姿に俺は内心じれていた。アーリンはこの状況で緊張して動けなくなるような、可愛い神経の持ち主ではない。機会を窺っているだけなのだろうが、一体それはどんな機会なのか。とても気が気ではない。
 やがて、朝食会も終盤に差し掛かろうという時だった。皆が食後の紅茶を楽しみ始めると、おもむろにサハン外務相は席から立ち上がった。
「さて、申し訳ないが私は一足先に失礼させて頂く。実はまだ、若干やり残した仕事があるのだ」
 そう説明し、最後に同席者一人一人に挨拶をすると、警備兵を連れて会場を後にした。仕事ならば仕方がないと、それを引き留める者もいなかった。これだけ大規模な事業なら、当日の直前に残務整理があっても不思議ではないと思ったのだろう。だが俺には、何処か後付けの理由のように思えてならなかった。
 まさか。
 俺が直感するのとほぼ同時に、まるでこれを待ち望んでいたかのように、アーリンは颯爽と席を立つと、先程までサハン外務相が座っていた席のすぐ隣に立った。
 唐突な行動に、自然と一同の視線が集まる。アーリンはそれが集まりきるのを悠然と待った後、恐ろしく落ち着いた態度で話し始めた。
「実は皆さんに、聞いて頂きたい事と、一つお願いがあります」