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 俺は壇上の脇に掲げられた、これまでの落札者の記録を再度見返してみた。運輸全般や鉱脈の採掘権といった予想落札価格が高額なものは資金力の豊富な大企業が、加工や小売りなどは中小各社が落札しており、ぱっと見た印象としてはそれほど意外な結果ではない。しかし、よくよく確かめてみると、ある一つの違和感に俺は気付いた。
 ここまで掛けられた鉱脈の採掘権は、必ずレイモンド商会かスタインベック社のどちらかが落札している。同規模の資金力を持っている筈のサザンカ商会は、未だ一つの採掘権も手に入れていない。そればかりか、事業の主幹となる流通や港の運営権までもがことごとく失敗している。
 今回の入札は、各企業間で不公平が出ない事と、全体的な落札価格の引き下げのため、事前に各企業間で入札企業と金額を談合している。だから、明らかに入札に失敗した企業は出ない筈なのである。サザンカ商会が一体どのような協議をしたのかは分からないが、自分だけ鉱脈の一つも手に入れられない事に不公平感は無いのだろうか。いや、あるからこそ、サザンカ商会の様子がおかしいのだ。
「南部鉄鉱山の採掘及び運営権は、スタインベック社が落札いたしました」
 進行役の政務官が高々と宣言する。クワストラ国の鉄鉱山は、埋蔵量が世界有数で期待出来ると各国の専門家の間で噂の物件である。各先進国の鉄鉱は採掘し尽くしている現状、これは資金さえあればどこの企業も欲しがるようなものである。
 これを受けてサザンカ商会は、営業の男が血相を変えて隣の男と何か話し込み始める。あの営業の男はイトー、そして隣の男は確かシャルダーカ国外務相のクレバヤシだったか。共にこの事態に困惑しているようで、端から見ても落ち着きがない事が良く分かった。急遽対応方針を話し合っているようだが、場を見る余裕も無い状態でまともな案も出ないだろう、青ざめた表情でおたおたするばかりだった。
 そんな彼らを余所に、入札会は当初の予定時間を前倒しにするほど順調に進んでいく。大型の案件はレイモンド商会かスタインベック社が落札する流れは変えられず、結局サザンカ商会は一つも落とせないまま、午前中のプログラムを終えてしまった。どんな事情があるにせよ、予定していた案件が落札出来ないなら中規模以下のものに急遽変更するのも一つの手段だと思ったが、サザンカ商会にはそういった選択は無かったようである。既に決定済みの事をひっくり返して、他社から恨みを買いたくないのか、そもそもそういった発想に至らないのか。何にせよ、素人目にも悲惨だと分かるほど、サザンカ商会の結果は散々なものだった。
「それでは、これより一時間半の休憩に入ります。午後の部の開始三十分前まで、この会場は封鎖させて頂きますので、御了承下さい。昼食は主会場にて御用意して御座います」
 午前の部の閉会を、進行役の政務官が告げる。予定通り好調だった内容に、各々が晴れ晴れとした表情でまばらに会場から出て行く。クワストラ政府側も晴れやかな表情をしているのを見る限り、現状の落札総額は彼らの国庫を満たすのに充分な価格だったようである。対して、苦虫を噛み潰したような表情でそそくさと出て行ったサザンカ商会の二人、そして俺の隣で俯いたまま一言も発さないアーリンは、非常に対照的に映った。
「アーリン、昼食の時間だが。一旦戻るぞ」
 その呼び掛けに、アーリンはただ俯き続け一言も発しなかった。やはり、誰にも共感されなかった事のショックが大きかったのだろう。
 アーリンは、自分が正しいと思った事を貫いた。しかし、世の中はそんな二元論で渡り合えるほど単純な仕組みではない。かつて監部に居た時の俺も、まさに今のアーリンと同じだった。正しい事をすれば、それは世間に正当に評価される。間違っている事は必ず是正すべきだ。そう義憤に駆られたのだ。そして、その結果は散々なものだった。そんなかつての自分と重なったからこそ、本当はアーリンには此処まで首を突っ込んでは欲しく無かった。俺は、必ず痛い目を見る事が分かっていたのだ。けれど、それで納得するとも思っていなかったのも事実だ。かつての自分がそうだったように。
 会場の人間がまばらになり始めた頃、ふとアーリンはまるで今思い出したように、ぽつりと消え入りそうな小さな声で答えた。
「いえ、私は自室へ戻ります」
 ゆっくりと席を立つと、弱々しい足取りで会場を後にする。俺もその後にぴったりとついていったが、アーリンが自室へ入るまでの間、互いに一言も発しなかった。今は談笑するような気分でもなく、気遣うような会話はむしろ互いに苦痛だと配慮したからかも知れない。
 アーリンが自室へ入るのを見届け、俺はひとまず会場の方へ向かう事にした。この経緯を、念のためヤーディアー大使へ報告する必要があると思ったからだ。
 会場へ入ると、そこは驚くほど気の抜けた雰囲気が漂っていた。早くも祝杯を上げている者までおり、そこかしこから酒の匂いが漂ってくる。午前中で主だった事業の入札が終わっているため、午後の入札会には参加しない者も居るのだろう。だからと言ってこんなに簡単に気を抜くのは、普段からよほど抑圧されているからなのだろうか。
 朝よりも人が増えたせいか、ヤーディアー大使達の姿がなかなか見つけられない。そもそも彼らは入札会そのものには関係の無い立場だから、今日はいちいち行動を周囲に合わせる必要性もなく、自室へ戻っていてもおかしくはない。こちらも別段急ぎではないが、念のため会場を軽く回ってみる事にする。
 人波に気を使いながら、分け入るように会場を歩いて回る。実際歩いてみると気付くのだが、酒を酌み交わし談笑に花を咲かせている者達が、外から見た以上にそこかしこに溢れている。彼らは今後、クワストラ国の新規開発事業の恩恵を受け、経済的にも満たされるのだろう。そういった未来への喜びに満ち溢れている。もっとも、いささか羽目を外し過ぎてはいないだろうか、そんな印象も受ける。
 この調子では、午後の入札会はほとんど人は集まらないだろう。残る案件は、末端の本当に小さなものばかりだ、それらをかき集めるのは政治的な影響力も無い一部の零細企業だけになる。既に大部分の者にとって、今回の入札会は終わったという認識なのだ。
 やがて俺は、ヤーディアー大使の姿が見つからないばかりか充満する熱気と酒気に当てられ、いささか目眩がしてきた。これ以上粘った所で仕方がない。俺は一旦此処を出て、ひとまず自室に戻る事にする。
 入った時と同じように、人波に気を使いながら、何とか会場の出入り口へと辿り着く。外から入ってくる涼しい風に、ようやく人心地ついた心境になり、大きく深呼吸をする。
「サイファーさん、こちらでしたか」
 丁度その時だった。突然背後から呼びかけられ、俺は半分伸びをしたまま振り返る。そこに立っていたのは、ホルン商会のデリングだった。
「ああ、昨日は」
「此方こそ失礼いたしました。どうです、此処では落ち着いて話も出来ませんから、甲板のラウンジでコーヒーでも」
 デリングには、俺の方からも用事があった。これは好都合とばかりに、俺はすぐ誘いに応じる。
 しかし、デリングから誘いをかけられるとは、また何か企んでいるのだろうか。既に彼がただ入札に来ただけではない事は感づいているため、ほんの少し警戒心を持つ事は怠らなかった。