BACK

 自分達の世代は、波乱に巡り会う年に生まれた。それがエリックの持論だった。事実、彼が小学校へ入学すると同時に、聖都では当時の首相辞任を巡って大規模な暴動が起きた。中学に入った時は空前の不景気で老舗企業が幾つも潰れ、高校を卒業する日には隣国キセラムと開戦直前までの争乱が起こった。そして丁度大学を卒業する年には、当時の財務相による政治的なクーデターによって内閣は一新、関係閣僚は瞬く間に起訴され今でも檻の中だ。そういう人生の節目に必ず社会情勢が混乱するのを目の当たりにすることで、エリックが将来の職業に官吏を選択したのは自然な成り行きだった。それが最も割を食わない存在である事を、子供の頃からずっと見ていて知ったのだ。
 新人研修も終わり、いよいよ配属先が決まって辞令が下りたのが昨日のこと。今日が初登庁とあって、朝からエリックは足取りも軽く上機嫌だった。向かう先は本庁と呼ばれる聖都の中心、そこはあらゆる政府機関や省庁と繋がる重要な機関で、国会が開かれたり平時の大統領が詰めているのもここである。エリックに渡された辞令の勤務先は、中央庁内閣特務室。昨年の政治劇で史上最年少の首相となり、未だ国民の支持も厚いジェレマイア直轄の機関だ。
 本庁の正門から優美な外観を見上げ、それから職員用の通用門へ向かう。通用門は東西南北四つの他、通常の案内図には記載されていない通用門が存在する。エリックへ送られてきた今日の案内にはそれが記載されていて、朝の混雑とは無縁な通用門を通る事に優越感を覚えた。
 案内によると、通用門を抜けた先の階段を上った二階、廊下の最も奥にある部屋が配属先の課とある。経理を志望しているエリックにとって、静かな環境というのは非常に魅力的である。立地も素晴らしい、そう思いながら部屋のドアの前に立った。
「特務監察室……?」
 ドアの横にかけられた表札を、何となしに口にする。
 監察室、それは主に省庁に在籍する職員の不正を、時には内偵してまで暴き処罰する部署だ。しかし特務室は首相直轄の組織であり、監部は他に存在するため、業務内容が重なっているのではないだろうか。
 セディアランドほどの国ならば、そんな事もあるだろう。エリックはあまり疑問には思わず、ドアをノックする。その直後、中からの返答よりも先に、突然とドアが勢い良く開けられた。咄嗟にエリックはその場から一歩退く。
「待ってられねえだろ、そんなの。とにかく、俺はもう行くぞ」
 部屋の中へ顔を向けながら、体を半歩外へ出しながら大声を張る男。背はエリックよりも一回りは高く、身も厚くがっちりした体格をしている。胸元まで開いたシャツと黒いスラックスのみというラフな格好は、軽薄さよりもフットワークの軽さを窺わせた。
「新人さんはともかく、ルーシーちゃんくらい待っててあげなさいよ」
「どうせまた寝坊か何かだろ。いいんだよ、放っておけば」
 部屋の中からは、男とは対照的にのんびりとした女性の声が聞こえてくる。男を窘めているようだったが、いかんせんあまりに声に迫力が無い。
 エリックは二人のやり取りを唖然としながら眺めていた。特務室の業務を詳しく知っている訳ではなかったが、首相直轄の組織という割に何もかもがあまりに軽挙に映ったからだ。
「俺一人でも余裕だっての。じゃあな、もう行く―――」
 そこでようやく廊下側を向いた男と、その場に立ち尽くしていたエリックは視線が合った。
「あ、あの……」
「お前、もしかしてうちの新人か?」
「は、はい。エリックと申します。よろしくお願いします」
 すると男は、突然とエリックの襟首を掴んだ。
「おう、室長! 丁度新入りが来たぞ! これからコイツ連れてっから!」
「はい? え、どこに」
 しかし男は、エリックを手荷物のように持ったまま見向きもしない。
「でも、いきなりでしょう。大丈夫?」
「いいんだよ、うちは実践主義なんだから。ついでに実地訓練だ。じゃあな!」
 そう言うや否や、男は強引にエリックを引っ張り、庁舎の外へと向かった。今話していた室長とは言葉を交わすどころか顔すら合わせられなかった性急さに、エリックはただただ絶句するばかりだった。しかし、流石にいつまでも戸惑ってばかりではいられない。自分を荷物のように持つ襟首の手を押さえ、抗議の意味も含めて男へ声を飛ばす。
「あの、ちょっと待って下さい! いきなりで色々と言いたい事もありますが、取り敢えずあなたは誰ですか!? 手は離して下さい、自分で歩けます!」
「ん? おう、それもそうだな」
 そう笑いながら、なに悪びれる事もなく手を離す男。エリックは服の乱れを直しつつ、男の横へぴったりとつく。歩幅のせいで併走するのは大変だが、それでも今は怒りの方が上回っていた。
「俺はウォレンだ。よろしくな。特務監察室は、まあ色々だが、慣れれば楽しいぞ。気楽にやろうや」
 およそ官吏とは思えない、軽薄でいい加減な態度。そんなウォレンにエリックは、これが自分の先輩になるのかと頭が痛くなる思いだった。
「ところで、これから何処へ向かうのですか? 実地訓練と仰っていましたが、経理課が別にあるのですか?」
「経理課? うちにそんな物はねえぞ。そんな大所帯じゃないからな。行くのは現場だよ、現場」
「現場? いえ、それより今、うちに経理課は無いって」
 ウォレンとの会話の噛み合わなさに、エリックは更なる不安感を覚えた。何か状況がおかしい、致命的な手違いが発生している、そんな危機感が直ちに行動せよと警鐘を鳴らしている。しかし、ウォレンはそんなものを一蹴するかのように、笑顔でエリックの背中を叩いた。
「大丈夫、何とかなるって」
 こちらを元気付けようとしているのだろうが、この何も考えていない脳天気さが余計に不安にさせる。そうエリックは、まともな返答も出来ずただただ苦笑いするばかりだった。