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 訳も分からないまま、エリックはウォレンに連れられるがまま職員専用の馬車へと乗り込む。すぐさま走り出した馬車は、普通よりも遥かに速度が出ていて運転も荒かった。車内は、普通なら確実にクレームを出すほどに揺れていたが、ウォレンは平然とした表情で乗っている。
「それで、結局これはどういう事なのですか? これから何処へ向かうのです?」
「ああ、そうだったな。お前、グラスグリスって会社は知ってるか?」
「ええ、一応は。家具類の会社ですよね。剥製とかの調度品も扱っている」
「今向かっているのがそこだ。まさに事件の真っ最中でな、丁度懇意の警察に現場を封鎖して貰ってる」
 警察が現場を封鎖する事件。その言葉にエリックは、真っ先に殺人事件を思い浮かべた。別段殺人でなければ現場を封鎖しない訳ではないが、一番有り得るのがそれでもあるのだ。
「そんな所に行って、一体どうしろと」
「まあな。得物持って暴れてるのが、単なるノータリンかジャンキーなら、別にどうだっていい。俺達に要請がかかるって事は、表沙汰に出来ない原因で暴れてるって事だ。人の口に門戸は
立てられない。だったら、初めから制限するのが利口ってもんだ」
「はあ、そうですか……。って、ちょっと待って下さい。暴れてるって、現在進行形ですか!?」
「そうだぜ? いやあ、今回はラッキーだったぜ。あの会社、初めっからヤバいって分かってて持ってやがったからな。おかげで余計な所に情報が拡散しなくて済んだぜ」
 からからと笑うウォレンに、エリックは更に不安感を募らせる。話から察するに、朝も早くから頭のおかしい人間が暴れていて、その会社が身内の不祥事が知れ渡らないよう封鎖している、そこまでは分かる。問題は、何故自分達がそんな危険な現場を担当しているかだ。
「あの、これは特務監察室の仕事ですよね?」
「おお、そうだぜ。記念すべき、お前の初仕事だ。良かったな、最初は簡単なヤマで」
 全くもって訳が分からない。自分は確か、特務室の経理担当として配属されたはずだ。荒事を片付けるのが仕事では断じて無い。そう困惑するエリックを後目に、程なく馬車は目的地へと到着してしまった。
 颯爽と飛び降りるウォレンに続き、愛用の鞄を抱えながら恐る恐る降りるエリック。馬車の外は既に会社の敷地内で、目の前には新旧の建物が二つ、四方は高い壁で囲まれている。モザイクの石畳に石像や植木が並び、中庭の景観は強く意識されているように感じた。社長の趣味かも知れないが、さほどセンスが悪いという印象もない。
「よし、じゃあ後は俺らが片付ける。そっちはこれまで通り、ここを封鎖しておけ」
 何名かの帯刀した警官にそう指示するウォレン。特務室がどうして警察に指示出来るのか、とエリックは更に混乱を深める。
「おい、エリック。そろそろ行くぞ」
「え? 行くって、何処にですか?」
「決まってんだろ。とっつかまえに行くんだよ」
 つまり、例の暴れているおかしい奴を確保しに行くという事だ。やはりウォレンは本気でそんな奴の所へ行こうと言うのだ、それを考えただけでも背筋が震え上がる。
 ウォレンは、体格も良く鍛え上げられているだろうから、まだ大丈夫だろう。しかし自分は、本当に最低限の武術をギリギリの単位で通った程度の人間だ。エリックは、自分はウォレンに大きな誤解をされているのだと、ここに来てようやくその答えに辿り着いた。
「ぼ、僕は見るだけですよ!」
「何だよ、それじゃあ俺が後輩の手柄を横取りする嫌な上司みたいだろ」
「手柄じゃありませんよ! とにかく、僕には無理です!」
「まあ、そう言うなよ。誰だって最初は緊張するもんだ。でも、今日の相手はただの人間だ。実際見てみれば、意外と大したことないって分かるぜ」
 それには一理ある、と思いたい所だが、エリックには単なるウォレンの偏見としか聞こえなかった。
 何か反論をしなければ、このまま済し崩しで危険な橋を渡らされる。いつしか困惑が具体的な焦りに変わり始めた、その時だった。
「うらああああッ!」
 突然の叫び声と共に、金属を引き裂く耳障りな音が周囲に響き渡る。丁度新旧の社屋の間程にある、やや背の低い古い建物。倉庫として使っているのか、社屋と比べあまり外観に手が入っていない。その建物の正面にある大きな開き戸に、巨大なバツ印が描かれていた。いや、良く見ればそれは塗料ではなく、戸そのものの裂傷だった。かなり厚い金属製のそれを、何かしらの器具を使って切り裂いたのだ。
「おっと、出て来るぞ。本当にいいのか?」
「いいですってば!」
 こういう時、自分の勘は非常に当てになる。そうエリックは確信している。直感だが、金属戸をバツ印に切り裂いたのは人間であり、今の叫び声の主がそれである、そうエリックは思った。そしてそんな事が出来る人間など、まず相手にするべきではない。
 何者かは、倉庫の中から金属戸をガンガンと力任せに蹴りつけている。そしてあろう事か、その戸は少しずつひしゃげていった。とても人間の力とは思えない、エリックは戦慄する。
 更に戸は突然と内側から切りつけられ、八つ以上の破片になってその場に飛び散った。舞い散る砂埃と共に、倉庫の中から人影が飛び出す。現れたのは、中肉中背の極普通の青年だった。青年は歯を剥き出し、目を血走らせ、型で息をするほど興奮している。そしてその右手には、丁度彼の背丈ほどの槍が携えられていた。だが、立派な装飾の穂先とは裏腹に、柄はどこからか拾ってきたような粗末な鉄棒だった。無理やり穂先を括り付けて、槍の体裁を作ったように見える。
「おいでなすったか、魔槍め」
 見るからに危険人物の青年を前にそう言ったウォレンは、どこか嬉しそうな表情を浮かべたように見えた。右手はゆっくりと自身の腰へ回る。そこには、厚く長い刀身を持ったナイフがあった。
「ま、先輩の仕事を見るのも勉強だな。おい、エリック。取り憑かれた人間はどう対処するものなのか、ちゃんと見ていろよ」
 取り憑かれた人間?
 それは何が何に対しての意味なのか。エリックがそれを問おうとすると、それよりも先にウォレンの方から青年へと仕掛けていった。