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 正面からぶつかり合う、ウォレンと槍の青年。初めこそエリックは武器を持った取っ組み合いを想像したが、実際のそれは大きく異なっていた。見た目からは想像もつかない怪力でひたすら槍を振り回す青年に対し、ウォレンはナイフ一つで巧みにそれを捌きながらつかず離れずの間合いを絶妙に保っている。これだけ激しくぶつかり合っているというのに、お互い未だ傷一つついていないのが信じられなかった。しかし、そうは言ってもウォレンの狙い、この状況の着地点が一向に見えてこない。やはり、緊急避難という事で青年をナイフで攻撃し無力化を図るのだろうか。そうなると、大分血腥い現場になることを覚悟しなくてはいけないが。
「ウオオオッ!」
「はいはい、そうわめくなって。騒ぎが大きくなるだろ」
 ウォレンはごく冷静に、青年の猛攻を正面から受けきっている。これだけ余裕があるのだから、この状況も予定通りなのだろう。けれど、あまり良い状況とはとても見えない。
 だから、自分が何かしなくては。
 そうエリックは考え、その何かの手がかりを求め周囲を見回す。何かあの青年の気を一瞬でも引く事が出来れば、ウォレンが勝負を決めてくれるはずなのだが。
 取り敢えず、石か何かでもぶつけてみよう。そう思いついたエリックは、早速足元に飛び散る戸の破片から手頃な大きさのものを見繕って拾い上げた。当然だが、今まで人に目掛けて物を投げつけた事もなければ、肩やコントロールに自信がある訳でもない。だが、これはあくまで気を散らせられれば良く、正確に当てる必要は無い。足元にでもぶつかれば良い、そう思うとかなり気は楽になった。
「えいッ!」
 掛け声と共に投げつけた破片は、緩やかな弧を描きながら低く狙った地点へと飛んでいく。しかし、
「痛ッてえ!?」
 命中したのは、寄りによってウォレンの足だった。
「おい、何すんだ!」
「す、すみません! 狙いが誤ってしまって」
「おとなしく見てろって言っただろ! もうすぐ終わる所だ!」
 ウォレンの怒鳴り声に、エリックはおやと小首を傾げた。ウォレンははっきり言い切ったが、エリックにはそこまで戦況が好転しているようにはとても見えなかったのだ。むしろ、青年は益々勢いづいている。とても投降するようには思えないのだが。そう言っている内に、青年は尚も激しく槍でウォレンを攻め立ててくる。もはやウォレンは防戦一方だ。
「全然元気じゃないですか!」
「それもすぐに静まる!」
「やっぱり、援護しますよ!」
「それだけはやめろ! 危ねえだろ!」
 上から振り下ろされ、正面から突き込まれ、下段から払われ、青年は異常に興奮している割には槍を巧みに扱いウォレンを攻め立ててくる。それを捌いているウォレンも達人ではあるのだが、攻めない以上は勝ち目はない。一体、これのどこに勝算があるのか。
 エリックがそんな不安感を募らせていた、正にその瞬間だった。青年はいよいよウォレンを叩き伏せようと、槍を大きく振りかぶってウォレンの頭目掛けて振り下ろした。
 すると、
「貰った!」
 そうウォレンが叫ぶや否や、頭上にナイフを寝かせて構え、左手を刀身を支えるように添える。そこへ槍が振り下ろされ、大きな破裂音が響いた。交差したナイフと槍の穂先がギリギリと音を立てて削り合う。遂にウォレンが追い詰められた、そうエリックが青ざめた直後、ウォレンは姿勢をわざと崩してその場に屈むと、すかさず今度は大きく上へ飛び上がるように身体を伸ばし、その勢いで垂直にナイフを振り抜いた。
「がっ!?」
 途端に青年は肩でしていた荒い息が止まり、その場に硬直した。そして、まるで置物が倒れるかのように、体を硬直させたまま横にごろりと転がる。手足などの格好は立っていた時のままで、本当に彫像か何かに変わってしまったのではないかと思うほど不自然な姿勢だ。
「ふう、終わったぜ」
 そしてウォレンは、信じられないほど呑気な口調で伸びをする。殺すか殺されるかのような緊張のやり取りを、たった今まで繰り広げていたとは思えない振る舞いだ。その手には、いつの間にか槍の穂先の姿があった。槍を折った、もしくは穂先だけを奪い取ったのか。
「え……終わり、ですか? いや、早く身柄確保をしましょうよ」
「いいんだよ。どうせ、当分はまともに足腰立たねえよ。んじゃ、後片付けは任せて帰るとするぞ」
 ウォレンは奪い取った穂先をくるくると回しながら、エリックに帰還を指示する。しかしエリックには何もかもが納得いかなかった。これだけ暴れた青年をもう放ったらかしにし、何事も無かったかのようにあっさりと現場を離れようとするとは。これだけ御膳立てして貰いながら聴取も取らない事が、どうにも官吏として信じ難い行動である。
「すみません、全く状況が分からないんですけど」
「ああ? 何でだよ、一目瞭然だろ」
「そりゃ先輩にはそうでしょうけど、僕は今日着任したばかりですよ」
「確かにそうだが……あー、面倒くさえなあ。俺はそういう細かい説明は苦手なんだよなあ」
 舌打ちしながらばりばりと後頭部を掻くウォレン。いきなり実地訓練などと言い出したのは、現場での実践主義だからと思っていたのだが。どうやら単に説明が下手なだけなのだと、エリックは内心思った。
「まあ、要するにだ。この槍、あるだろ? これは魔槍って俺らの間では呼んでてな。いわゆる呪いの一種だ。そんで、こういうのを回収して、然るべき場所で保管しようという訳だ」
「呪い? それは、どういう意味ですか?」
「呪いは呪いに決まってるだろ。正気を失わせ、凶行に走らせる。そういう類の奴だよ」
 この人は本気で言っているのだろうか?
 エリックが真っ先に抱いた感想は、まさにそういった大きな疑いの念だった。呪いがどうとだの、良い歳をした大人が真顔で話す事ではない。そもそもセディアランド人は、極めて現実主義的な思考を持ち、非科学的な事柄は受け付けない国民性である。ごく普通の感性を持つエリックにとっては、ウォレンの言っている事はどう好意的に受け取っても単なる冗談の類にしか聞こえないのだ。
「ほら、さっさと戻るぞ。詳しい説明は、ルーシーにさせてやっからよ」
 そう言って馬車へ向かうウォレンの後を、エリックは露骨に納得のいかない表情をしながら追っていった。