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 再び特務監察室へ戻って来たのは、丁度昼前の事だった。
「あら、お帰りなさい。お疲れ様でした」
 部屋の一番奥の机に座っている女性が、にこやかに労いの言葉をかける。室長という肩書きの割におっとりとした様子で笑顔が絶えず、ウォレンとは対照的な人だとエリックは思った。
「あー、おかえりー先輩」
 そして、右手奥の応接スペースのソファーに、手をひらひら振るだけの何者かがいる。声からして女性だが、恐らく寝そべっているであろうソファーから体も起こさない無精ぶりから、随分と図太い神経だと思った。
「お帰りじゃねえぞ、てめえ。無断で遅刻とか、お前仕事舐めてんのか?」
 不機嫌そうに吐き捨てるウォレン。すると、ソファーから彼女は勢い良く顔を出し、逆にウォレンをキッと睨み付けてきた。
「それはこっちのセリフです。昨日、自分は飲みに行くからって、保管庫の台帳整理を私に丸投げしたの、何処の誰ですか。おかげで徹夜ですよ、私」
 ウォレンよりも更に不機嫌そうな顔で食ってかかる彼女、徹夜明けと言うだけあって目蓋が非常に重そうに見える。苛立ちもかなり露骨で隠す素振りが無い。疲れが溜まっているのは傍目からも明らかだ。
「な、何だよ、俺はそういうの苦手なんだよ」
「苦手だからやらないって、学生でも認められませんよ。ホント、筋肉だけの人はこれだから」
「チッ……てめーは本当に先輩を敬う気持ちが無えな」
「そのせいで、外務省追い出されましたから」
 外務省と言えば、財務省と法務省と並んで省庁の中でもエリートが集ま所だ。そこに在籍していたのなら彼女も優秀な人物なのかも知れないが、追い出されたというフレーズが強く引っ掛かる。
「で、そっちの子が例の新人ですか?」
「はい、エリックと言います。宜しくお願いします」
「私、ルーシーね。まあ、ここは色々と変な事ばっかりあるけど、慣れると案外楽しいから。頑張ってね」
 そうルーシーに言われ、エリックは今朝からの一連の事を思い出す。そして、仮に慣れる事はあってもそれを楽しいと思えるようにはならないだろう、そう確信する。
「ほれ、これが今日の成果だ。保管庫に入れとけ」
 ウォレンは手にしていた槍の穂先を、ひょいとルーシーへ放り投げる。ルーシーは慣れた手付きでそれを受け取り、また仕事かと言わんばかりに露骨な溜め息をついた。押収物の割に随分と雑な扱いだ、そうエリックは眉をひそめる。
「おお、そうだ。ルーシー、こいつにその槍のこと教えてやってくれ。俺はそういう説明は苦手なんだ」
「ハイハイ、先輩は脳筋ですからね。ま、ささーっと教えますよ」
 ルーシーはソファーに座り直すと、エリックに向かいのソファーへ座るよう指示する。エリックはおとなしくそれに従いソファーへとつく。そんな様子をウォレンは、コーヒーをいれながらのんびりと眺めていた。
「キミは妖刀とか魔剣とかは知ってる?」
「ええ、まあ。持ち主に祟って、人を殺したくなるとか。そういうやつの事ですよね?」
「そう、それ。これは、その槍バージョンって奴だよ」
 ルーシーの返答にエリックは、はあ、としか言葉が出て来なかった。自分はあくまでフィクション上での事を答えたまでだったが、それをそのまま答えられるとは思ってもいなかったのだ。
「いやいや、冗談ですよね。人に祟る槍だなんて、幾ら何でも」
 馬鹿馬鹿しい。何より、明確な科学的根拠が無い。無いものは、錯覚か何かでしかないのだ。しかし、ルーシーは真顔のまま否定をしなかった。
「え、本当だよ? 魔槍というのはね、今から一世紀も前の鍛冶職人が罪人百人の血を集めて鍛えたものなんだよ。当時の法務省に知り合いがいて、それでこっそり刑了後の死体からチョイチョイっとね。結構腕のいい鍛冶職人が、世の中に対する不満とかマイナス感情を打ち込んだ訳だから、自然と持った人がそうなるようになったんじゃないかな、なんて言われてるの」
 如何にも事実らしい言い草である。エリックは本当か嘘か自分では判断が出来なくなり、そっとウォレンや室長の方を見る。だが二人とも、その通りだと言わんばかりに平素の表情をしており、エリックは尚更不安感が増した。
「いやいや、仮に製造過程が事実だとしましょう。でも、血で焼き入れとかしたって、鉄の性質が変化しますか? 強い感情を込めたって、物にそれが宿りますか? どう考えても有り得ないでしょう。だって血液は、体外に出ればただの生ゴミなんですよ?」
「まー、確かに血はどうでもいいのかもね。よく魔術的な儀式には血が使われるし、昔から特別視されてはいるみたいだけど、だからってのもね」
「ほら、そうでしょう。やっぱり迷信なんですよ」
 見えない力で人の心を惑わす道具など、存在する訳がない。あるとしたら、それは薬物だとかそういった科学的根拠があるものだけだ。要するに、所詮呪いなどはハッタリでしかなく、実際は何かしらのトリックが隠れているものなのだ。それはエリックの持論ではなく、大抵のセディアランド人が答える一般的な意見だ。
 すると、ルーシーはふと、やや神妙な面持ちになって話し始めた。
「これは私の仮説だけど、これって形状がそうさせるんじゃないかなって思うのよね」
「え? 形状?」
「誰だって、鋭い物を見たら少なからず緊張するでしょ? 手に持ったら尚更。自分を傷付けないようにって心理の働きだけど、それって逆に言えば視覚情報で人の心理は操れるって事なのよ。それで、頭おかしくなった鍛冶職人が、偶然人をおかしくさせる形状に槍を打った。そう思うと有り得る話でしょ」
「そんなの推論じゃないですか。それに、だったら見た人みんな変貌するでしょう?」
「まあ、人の心理も千差万別だからねえ。相性、いわゆる波長が合ったってのがあるんじゃない?」
「前提として、形が人の心理に影響を及ぼす事が証明されてないじゃないですか」
「私はマジだと思ってるよ。だってこれ、レプリカだもん」
「は?」