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 驚き、再びエリックはウォレンの方を見る。ウォレンはコーヒーを片手に、菓子を頬張っていた。
「おう、マジだぞ。今年でも魔槍は三本目だからな」
 魔槍の出自が事実として、せっかく押収した槍がそれではないなんて。しかし、実際にあの青年は常軌を逸していて。エリックは俄かに混乱しそうになった。
「なんでレプリカなんてあるんですか!?」
「そりゃ、世の中悪趣味なコレクターはいるもの。曰く付きの物ならレプリカでも大金積むのがわんさか。法律でレプリカの製造禁止なんて、とても出来ないしねえ」
「一応、厳重注意はするんだけどな。あの会社、去年の時で懲りていやがらねえ」
 深刻さが微塵も感じられないウォレンとルーシーの言い草に、エリックはただただ呆気に取られるしかなかった。
「ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあ、さっき押収した槍は、その曰く付きの槍とは全く縁もゆかりもないものだけど、同じように人間を錯乱させるって事ですか?」
「そういうこと。本物じゃなくても効果があるんだもの。じゃあ後は、形を疑うのが自然でしょ」
 エリックは何の反論も出来なかった。常識では有り得ないと分かっているのだが、事実はその通りではない。常識と事実で、より真実に近いのが事実である以上は、それがどれだけ非常識な事でも認めざるを得ないのだ。
「エリック君、やっぱり混乱しているわよね」
 ふと声をかけて来たのは、にこやかな表情の室長だった。
「確かに、今まであるはずが無いと思ってきた事を受け入れるのは、とても簡単な事じゃないわ。だけど、だからこそこれはこういうものだと、ありのまま受け止めようとする気持ちが大事だと思うの」
「ありのまま、ですか」
「そう。そうじゃないと、いちいち混乱して大変よ? 何でも説明をつけられなきゃって思っちゃうと、ずっと固執しちゃうもの。これはこういうものだ、と割り切らないとね」
 確かに、人を混乱させる造形の理屈など、到底誰かが説明出来るような代物とは思えない。理由は分からないが、とにかく世の中にはそういうものが確実に存在するものなのだと、そう割り切らなければいつまで経っても前進出来ないだろう。けれど、生理的な未消化感は考え方だけではどうにもならない。
「分かりました……。なるべく善処します」
「頑張ってねえ。そうそう、それじゃあエリック君には室章を支給します」
 室長からウォレンに、それからエリックへ渡されたのは、丁度手のひらに収まるくらいのバッジだった。バッジには三日月のシンボルに何本かの斜線が引かれている。斜線が現すのは雨だろうか。
「それはうちの身分証みたいなものよ。現場でそれを見せると、まあ分かる人は分かってくれる程度だけど、協力してくれるかもよ」
「何だか、えらく頼りないですね……。ところで、このモチーフの由来は何ですか?」
「これは、雨夜の月。ほら、雨の夜って月は見えないでしょ? でも、絶対に見えない訳でもないし、無くなっちゃった訳でもない。私達が相手にするのは、そういう物達なのよ」
 普通は見えないもの。そんな曖昧な物を相手にする仕事。エリックは改めてこの特務監察室が特殊な部署だと感じた。曖昧なものに税金など使う訳がない。それはつまり、政府は今回のような奇怪な存在を暗に認めているのだ。
 けれど、その物達はどれだけの規模で、どれだけ頻繁するものなのか。エリックにとって特務監察室が設置される妥当性は、まだまだ懐疑的だった。
「あ、ちょっと待って下さい。僕は経理担当ですよね。それでも現場に行かないといけないんですか?」
 ふと思い出したように、エリックは室長へ主張する。すると彼女は、不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げた。
「あら? うちはそんなに大きい所じゃないから、わざわざ経理担当の補充なんてしないわよ。経理は私が兼任で処理しているもの。現場担当の人員を補充したいって、首相には頼んでいたんだけれど」
「……え? どういう事です?」
 特務監察室では、経理の補充は申請していない。しかし自分は、特務室への配属が決まっている。これは一体どういう事なのか。
「人員の種類、間違ったんじゃねーの? 首相の坊ちゃんも、最近忙しいみたいだしなあ」
「あー、言えてるー」
 エリックは我が耳を疑う言葉に、その場に愕然と立ち尽くした。みるみる自分の血の気が引いていくのを感じる。
「念のため、首相には私から確認しますけど……あまり期待しないでね? こう言うのもなんだけど、エリック君はもう国家機密を知っちゃった訳だから……」
「いいじゃねーか、今更。ここはお堅い部署じゃねえから、現場でものんびりやれるぞ」
「経理も現場もどうせ大差ないから、気にしない気にしない。慣れればどっちも一緒だって」
「ちょっと! 他人事だと思って! 僕はそもそも、インドア派なんです! いつもあんな風に奔走してたら、すぐに倒れちゃいますよ!」
「慣れだって、慣れ慣れ。大丈夫、何とかなるって」
「くっ……この……!」
 いい加減な返答しかせず、まともに取り合わないウォレンやルーシーには怒りを通り越し殺意すら覚えるエリック。けれど、室長の申し訳なさそうな表情を見ると、それ以上の言葉を口には出来なかった。
「ま、手が足りてないってのは本当だしな。これからも頼むぜ」
「本当に足りてないんですか? 今日のを見た限りでは、ウォレンさんだけでも十分な気もしますけど」
「別に俺は、いつも槍の事だけやってる訳じゃないんだぞ。これでも、いつも何かしら起こってるんだぜ」
「だったら、もっと大人数を補充できるように掛け合えばいいのに」
「掛け合って、それで来たのがお前なんだよ。第一、うちみたいな所には予算なんてそんなの降りないんだ」
 予算が降りない。エリックはそれが疑問に思った。今回の魔槍みたいに、市民が直接的に被害に遭うような事件を専門的に扱う部署なら、普通はもっと予算があてがわれても良いはずだと考えるからだ。
「どうして予算が付かないんですか?」
「例えばだ。この魔槍、年間どれくらいの人間が関わって死んでると思う?」
「えーと……千人とか?」
「正解は、全死亡者の一パーセントの、そのまた一パーセント未満だ。俺らの管轄分、全部でだぞ? 要するに、俺らの相手にしているものってのは、異様で奇怪なんで社会不安を招く恐れがあるから放っておけはしないんだが、人的な被害そのものは流行りの感冒より遥かに少ない。だから政府にしてみれば、最低限の混乱さえ起こらなければそれでいいんだよ」
 それはつまり、数の理屈だ。誰がどう死のうと、記録上である程度の水準値以下なら問題にしない、そういう考え方である。それは為政者として正しい合理的な考え方ではある。ただ、エリックにとってはいささか引っ掛かる所もあった。
「なんだか……市民の視線で考えれば、あまり面白くない考え方ですね。解決手段があるのに、それをケチってるみたいで」
「だろ? だから俺らが頑張ってるんだよ」
 そう笑うウォレン。エリックよりも深刻には考えていないようだが、逆にある種の達観すら感じられる。かつてのウォレンも、今のエリックのような心境だったのだろうか。
「まあ、そういう訳で。うちは予算も少ないし、目立ちもしないし、人には仕事の事も話せない職場だけど。えーと、取り敢えず刺激的ではあるから、これから頑張ってね」
 室長の申し訳程度の励ましに、エリックは苦笑いしながら仕方無しに頷く。ただの窓際部署にも見えるが、何の意味もないそれとはまた違う、とにかく何もかも常識の通用しない所だ。そこにはまだ不安しかない。
 彼ら三人は、こういった市民目線の立場で物事を考えてここに在籍している。だけど、本当にそれだけでこんな仕事をするのだろうか。何かしら個々に私情が挟まっているから、ここにこだわるのではないのか。そうエリックは、密やかに思った。