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 部屋をぐるりと取り囲むように並ぶ棚、普通の窓は無く天井に採光用の大きな天窓が一つあるだけ、そんな薄暗い中に陳列される大小様々な人形の数々、こんな光景をしばらく眺めているだけでエリックは頭がくらくらしそうになる。
「さーて、この薄暗い殺人現場でさっさと仕事を始めるぞ。おい、新入り。まずは事件の概要を読み上げろ」
「はい、ちょっと待って下さい」
 エリックは字を読むのに十分な光の位置を探すと、そこで早速持ってきた捜査資料を読み上げ始めた。
「被害者の名前は、ロレンツ。金融関係の会社を幾つか所有していますが、基本的に経営は任せきりだったようです。代わりに、趣味の古物商の真似事をしながら日々を過ごしていました」
「それはガイシャのプロフィールだろ。でも、事件の背景より先に知らないといけない事だな。うん、いいぞ!」
「真面目に聞いて下さいよ。それで事件についてですが、発覚したのは一週間前の朝、契約していたメイド達が屋敷の清掃にやってきた際にこの部屋で死んでいるのを発見しました。四階担当の者が順に掃除をしていって、それでこの部屋の番の時に、といった様相ですね。元々、彼女達もあまり被害者本人とは顔を合わせる事もなかったので、屋敷に入った時も特に異変には気付かなかったようです」
「で、遺体のあった場所はっと……あ、ここですね」
 ルーシーが屈み込んでまじまじと見詰めるそこには、殺人課が引いたらしい白い線と生々しい血痕があった。殺人事件の現場など生まれて初めて経験するエリックは、思わずその血痕から目をそらしてしまった。
「遺体はその場所で、仰向けの姿勢で発見されました。死因は頸部圧迫による窒息死のようですが、首の骨や頸椎までも損壊していて、かなりの力で首を絞められたようですね。血痕は、吐血によるものと思われます。死亡推定時刻は、その前日の夕方から深夜にかけてと推定されています」
「絞殺って事は、まあ十中八九怨恨の線でしょうねえ。もっとも、私ならナイフでさっくりやりますけど」
「ルーシーさんも、そういう不謹慎な事は止めて下さい。それで遺体発見時の状況ですが、他にもう一点。遺体のすぐ側に、からくり人形が落ちていたそうです」
「からくり人形? ああ、スイッチ押すとあらかじめ決められた動作をする人形ですよね」
「ええ。おそらく、被害者はその人形の手入れをしていた所を襲われたのでしょう」
「なるほどなあ。ま、そういう事にしたいって普通思うよな」
 そうウォレンが一人納得したように言った。
「何が、なるほど、なのですか?」
「いや、な。その資料には書いてないんだろうが。ガイシャの首には、手の跡がくっきりと残ってたんだよ」
「絞殺なら、別におかしくはないのでは?」
「その跡はな、正面からの向きでついてたんだよ。おかしいと思わないか? なんでわざわざ、正面に回って首を絞めるんだ?」
「被害者の顔見知りの犯行だったとか。口論になって、ついカッとなって勢いでやってしまったと」
「それもあるんだが……もう一つ。ガイシャの爪なんだが、そこからは繊維と塗料しか見つかってないんだよ。普通誰かに首を絞められたら、それこそ必死で抵抗するだろ? だったら、相手の腕なんかを引っ掻いてついた皮膚や血がついているもんなんだよ」
 確かにウォレンの言う通り、事実なら不自然な話ではある。しかし、捜査資料を読む以外に何も分からないエリックにしてみると、そんな後出しの情報を聞かされた所でただ曖昧に頷くしかなかった。
「何ですか、思わせ振りな事ばっかり言って。何か知ってて言ってるんでしょ? 大物ぶってないで、さっさと結論だけ言って下さいよ」
 すると、ルーシーがたまりかねた様子でそうウォレンに言った。いつもの通り、ストレートな物言いである。
「ああ、それもそうだが、キミは酷いね。で、そもそもこの事件をうちに回した理由ってのがな、そこに落ちていたっていう例のからくり人形なんだよ」
「人形がどうかしたんですか?」
「あちこちにびっしりとついてたんだよ、引っ掻き傷が。まるでガイシャが、人形に首を絞められたかみてえにな。それで殺人課は、犯人はこの人形じゃないのかって思い始めてるってこったな」
 人形が首を絞めた?
 真剣に話すウォレンに対し、エリックは思わず鼻で笑いそうになった。人形には人間のように意識など存在しない。ましてや、相手を認識して殺意を抱くなど以ての外だ。仮に、本当に人形が犯人だったとしても、それは予め悪意のある人物が何らかの仕掛けを施しただけに過ぎない。ならば犯人は、仕掛けを施した人物だ。
「じゃあ、その人形を調べましょうよ。それと、人形の作者も見付けて事情聴取すれば済む話じゃないですか。きっと、持ち主を殺す時限的なからくりが仕込まれてたんですよ」
「おお、流石に冴えてるな。俺も丁度そう思ってた所だ」
「んじゃ、取り敢えず警察署に行きましょうか。多分本庁の方だと思うけど」
「よし、行くぞお前ら。もたもたすんなよ」
 張り切って部屋を出て行くウォレンとルーシー。その後ろ姿をエリックは、どこか気乗りしない風な顔で見ていた。自分でもっともらしく現実的な推測をしてはみたが、流石に時限式で人を殺すからくりなど無理があるのではないか、そう思ったからだ。しかし、何にしてもその人形を調べなければ捜査は進まない。事件の捜査という仕事は不本意だが、今はそれでもやるしかないのだ。
 本当に、人形が人を殺す事なんてあり得るのだろうか?
 これがオカルト事件ではないようにとしきりに願う自分に、エリック自身が気がついていた。それはまるで、どこかでこれが超自然的な事象ではないのかと信じ始めている、裏返しの心理であるかのようだった。