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 東六地区の管轄となっている東六分署には、あのバッジを提示する事で簡単に入る事が出来た。あの事件で押収された証拠品は未だここで保管されており、その閲覧に関しても特別名申請すら必要なかった。エリックは、胡散臭さすら感じている特務監察室の影響力はこれほどのものなのかと、驚きを隠せずにいた。
 幾つもの棚が区画で整理された保管庫、その中央にある閲覧用のテーブルスペースに、事件で押収して来た証拠物件が一通り並べられる。中でも否が応でも目を引いてしまうのは、やはり子供程もある大きな人形だった。
「これが例の人形ですか?」
「ああ、そうだ。見た目もあんまりからくり人形っぽくないだろ? さっき聞いた話だと、同業者の評価でも製作者はかなりの技量の持ち主らしいぜ」
 ウォレンは白い布手袋をつけながら、何時になく真剣な眼差しを人形へと向ける。手袋は押収物の保護のためにつけるのだが、まるで刑事のような仕草だとエリックは思った。
 人形は一見すると三歳程度の人間の男の子のように見えた。服装も街中を普通に歩いているのと何ら違和感がなく、遠目からそうと知らずに見れば本物の子供だと勘違いするかも知れない。とにかく外観上の精度は驚くほどである。
「ほら、ここ見てみろ。引っ掻き傷が出来てるだろ? ほら、ここにも」
「うわあ、何だか生々しくてグロテスクですねえ」
 そっと人形を持ち上げながら話す傍らで、エリックは人形の関節が異様に柔らかい事に気が付いた。それはまるで本物の人間のような可動域があるのではないか、そんな事を思う。もしも中に歩行するような機構でも組み込まれていれば、それこそ人間そっくりな様相になるだろう。
「で、背中を開けるとだな。ほら、すげえだろ。何だか良く分かんねえけど」
「わ、本当。何だか良く分かんないですけど」
 服の背部を捲り上げると、そこにはびっしりと細々とした機械部品が組み込まれていた。それらが動力からの力をあちこちへ伝えているのだろう。外観は人間そっくりではあったが、やはりこういった非人間的な部分もあり、それを見るとこれは本当に作り物なのだと感心させられる。
「えーと、手は普通の子供サイズですね。これがギリギリとガイシャの首に食い込んだ訳ですか。そりゃ首なんてひとたまりもないですねえ。返り血がべっとり」
「それだけの握力を生む仕組みがあるのかもそうだが、何よりも問題なのは、その手が正確にターゲットの首を掴めるかどうかだな」
「そんなの無理に決まってるでしょう。偶然ですよ、偶然。体のどこかを引きちぎってやれればそれでいい、という感じで仕込んだんじゃないんですか?」
「なるほど、鋭いなエリック君。俺も丁度今そう思っていた所だ」
 如何にもそれらしく頷いて見せるウォレン。やはり真面目に取り組んでいないなと、エリックは半ば呆れの溜め息をついた。誰よりもこの部課から離れたがっている自分が、一番真面目に取り組んでいるかのようなこの状況に、エリックは自嘲し拗ねてしまいたい衝動にすら駆られる。
 その感情は一旦脇に置き、エリックは自分も手袋をつけて人形の検分を行う。少し離れて見る分には人間そっくりな造形だったが、流石に間近で見ると明らかに作り物である事が分かる。しかし手の込んだものである事に変わりはなく、製作者の執念のようなものすら窺える。おそらく価格も、その執念に比例したものなのだろう。
 服の間から露出した肌の部分は、あちこちに被害者が爪で引っ掻いたと思われる筋状の傷が何本も走っている。塗料が捲れ木製らしい土台が覗いているのだが、その幾つかには赤茶けた血の跡もこびり付いていた。爪が剥がれるほど強く引っ掻いたせいなのかも知れない。その様から、襲われた被害者の壮絶な最後が想像出来る。
 そして、背部に見えるからくりの部分。それは明らかに、専門家でなければ何がどう作用しているのか想像もつかない構造である。素人が幾ら見ようと得られるものなど無く、時間の無駄と言えるだろう。
「あの、人形はこれくらいにして、製作者の方を当たりませんか? それと、被害者へ人形が渡った経緯も気になりますし」
 そう提案すると、二人は不思議そうな表情で首を傾げた。
「製作者はいいが、なんで渡った経緯が気になるんだ?」
「初めから製作者は、被害者を多かれ少なかれ害する目的で仕掛けを施した訳ですよね。でしたら、この人形を確実に被害者に手に入れさせる必要がある訳で。こういった品は一般的には仲介業があるのではありませんか? となると、仲介した人間は共犯者かも知れませんよ。あくまで推測ですけれど」
「なるほど! エリック君は冴えてますねえ。先輩、これが頭を使うって事ですよ?」
「うるせえ、それぐらい俺だって分かってたっての。よし、じゃあちょっと仲介者の情報でも貰って来るかな」
 そう言ってウォレンは保管庫を意気揚々と出て行った。素人に言われてようやく気付くなんて、非科学的な現象を専門に扱うという部署の割になんて頼りないのだろう。そうエリックは思った。むしろ、自分が来る前はこんな調子でどうやって解決していたのだろうか、不思議にすら思えてくる。
 あんなに嫌がっていたはずの業務ではあったが。エリックはほんの少しだけ、自分の意見を通せる雰囲気とそうせざるを得ないような頼りなさから、やり甲斐のような充実感を覚えてしまった。慌てて否定するものの、気持ちの問題は理屈ではなく、そう簡単には消しようがない。