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 翌日の早朝、三人はレッドアロー峡谷へ短期出張という形で向かった。レッドアロー峡谷は、聖都から馬車で半日とちょっとという距離で、日帰りにはいささか難しい距離である。そして、政府の管理地で観光地でもあるのだが、特筆すべき点が無い事と自殺の名所というネームバリューのせいで、訪れる人は皆無に等しい。巡回の管理員を除けば、自殺志願者と興味本位の者ぐらいだろう。
 レッドアロー峡谷から程近い小さな村に宿を確保し、日が暮れる前に早速件の崖へと向かう。日が落ちてからの峡谷は、流石に危険過ぎるためだ。
 村を出て程なく、レッドアロー峡谷へと入る。そこは一帯が赤色の岩で形成されていて、深く広い谷が東西へ延々と続いている。特徴的なのは、谷には一切の傾斜やうねりがなく、ひたすら真っ直ぐ続いていることだ。まるで人の手で故意に削ったような形状をしていて、その真っ直ぐな様からレッドアローと呼ばれるようになったのだろう。
「さて、ちょっくら見てみるとするか」
 三人は馬車を降りて渓谷の様子を直に確かめる。そこは風も強く、崖の縁にでも立てばうっかりと落ちかねない恐ろしさがある。周囲を見渡せば、木々もなければ大きな岩のような遮蔽物も無し、ただただ荒野が続くばかりで何の見所もない。確かに、こんな所へ観光へ来る人間などまずは居ないだろう。
「まあ、思った通りのとこですねえ。でも、どうしてこんな所で自殺したがるんですかね? やっぱ、霊が引き寄せるとかそういうヤツですかね」
「ハッ、どうだろうな。死にたい奴はどうやったって死ぬ訳だし、そうでもない奴に理解を求めろってのが無理な話だ。他の人が成功してるから自分もそうする。そんな程度の事だろ」
 そこでエリックは、昨日の聴取をした男性の言葉を思い出した。嫌だった。彼はそう確かに言った。彼は別に此処へ自殺をしに来た訳ではなかったのかも知れない。そうすると、案外ルーシーの言っている非常識な説も有り得なくもないとなってしまう。しかし、死んだ人間に生きている人間をどうこう出来る力などあるはずがない。やはり何かもっと別な理由があって、此処を自殺の名所たらしめているはずだ。
「今回は公務って事で簡略化してますけど。ここって、本当は入るのに色々手続きが必要なんですってねえ」
「ああ、そうだ。もっとも、こんだけ広くちゃ検問も建てられねえし、形骸化してるだろうな」
 それでも、聖都の人間が此処まで足を運ぶには相当な苦労がある。定期便が潤沢にある訳でもないため、足を確保するだけでも手間がかかるのだ。果たしてその手間を、生きる気力を失った人が惜しまないものだろうか。生きる事に前向きになれない心境は理解出来るが、死ぬ事に前向きになる心境というものは理解がし難い。
「あの、ちょっと考えてみたんですけど」
「お? なんだ、エリック。今日は勘が冴え渡ってるのか?」
「そんなんじゃないですよ。ここがどうして自殺の名所なのかって事ですけど、もしかすると以前のあの槍の件と同じ理由じゃないでしょうか? 人をおかしくする形状があるように、人を死にたくさせる風景なのかも。それも誰彼に効く訳じゃなくて、こう精神的に弱まっている人には効くような程度の」
 忘れもしない、エリックの初登庁の日だ。あの時に回収したのは、人の心を狂気に走らせる槍。形状で人を狂わせる物が現に存在するのだから、自然界に同様の物が発生しても不思議ではない。
「あー、それなんか分かる気がする! なんか高い所に登ったりするとさ、ここから落ちたらどうなるんだろって変な想像しちゃうよね」
「ええ、そういう物の延長じゃないかなと思うんです」
 その破滅的な好奇心には、殆ど人は屈したりはしない。少なくとも死ぬことは確定的で、そこには何の意味も無いのは考えるまでもなく分かる事だからだ。だからこそ、死が日常的に脳裏をちらついている人は、その好奇心にうっかりと負けてしまうに違いない。
「なるほど、死にたい奴は此処の噂に敏感に反応するし、実際来て見たことで最後の一押しになるって訳か。うん、俺もそうじゃないかと思っていたぞ」
 ウォレンはそれらしくうんうんと頷いてみせる。
 本当に思っていたかどうかはさておき。エリックは、この道の先達である二人を納得させられた事に満足感を覚えた。少し前までの自分だったら鼻で笑うであろう推論ではあるが、形状が人の心を左右する事例を目の当たりにしているのだ、それから考えてみればかなり現実的な推論であり真実性が高いと自負出来る。
 なる程、こういう事がやり甲斐に繋がるのか。
 エリックは、この特務監察室に来て以来初めてこの業務に満足感を得られたように思った。いささか自分の価値観がオカルト寄りになった気もするが、例えどれだけ自分の常識にそぐわなくとも現実をそのまま受け入れるように強くなったのだと解釈する。
「さて、結論も出たならそろそろ宿に戻るか。今夜はゆっくり酒でも飲んで、明日はダラダラ帰ろうぜ。どうせ直帰扱いだ」
「賛成。あ、エリック君は報告書よろしくね。それと、例の遺族用のレポートも。今の方向性で書いとけば、まあ納得するっしょ」
 そして、やはり面倒事は自分に押し付けて来るのか。そう溜め息をついたエリックだったが、心なしか普段よりも憂鬱さはずっと少なかった。