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 定時が見えてきた夕刻の執務室。ガルマンを財務省の担当者へ引き渡して戻ってきた三人は、帰宅までの時間を思い思いに過ごしていた。エリックは業務報告書の作成を、ウォレンはまた新聞を何紙も並べて食い入るように見比べ、ルーシーはお菓子とお茶を楽しんでいる。室長はまた仕事で外出中であるため、執務室の中は真面目に仕事をしているのはエリック一人という状態だった。
「見えた!」
 突然、ウォレンがそんな奇声を上げて勢い良く立ち上がる。その様をエリックは冷ややかに見つめ、ルーシーに至っては一瞥すらしない。
「見えたぞ、週末のレースが! おい、エリック。ちょっくら金貸してくれ!」
「何ですか急に。嫌ですよ、そんなの」
「大丈夫、大丈夫。必ず倍にして返してやっからさ!」
「倍にしてって……まさか、ギャンブルじゃないでしょうね?」
「勝てる勝負は、ギャンブルって言わねーんだよ。一か八かだからギャンブルって言うんだ」
 ウォレンの熱弁を余所に、エリックはウォレンが広げていた紙面に目を向ける。そこは案の定、競馬記事の欄だった。
「ギャンブルに使う人には、例え親兄弟であろうとお金は貸しません。ウォレンさんは、もうちょっと堅実に生きたらどうですか。人生、いつ大金が必要となる事が来るのか分からないんです。大病してしまった時とか、老後の蓄えとか、今からでもすべき事は沢山ありますよ」
「ケッ、何だよ年よりみてーなこと言いやがって。俺は、そういうつまんねー生き方はしたくねーんだよ」
 今度は本物の悪態をつくウォレンを、エリックは少なからず心配に思っていた。ウォレンはあまり自分の私生活を口にはしないが、こういった所から滲むのは必ず酒やギャンブルといった、度が過ぎれば簡単に身を持ち崩すものばかりなのだ。現状仕事に影響はしていないにしろ、いずれ破滅してしまわぬよう少しずつ矯正すべきだと考える。どのような言葉を使えばウォレンは考え方を変えてくれるのか。今のエリックには何も答えが思い浮かばなかった。
「ところで、話は変わりますけど。あのガルマンという人、これからどうなるのでしょうか?」
「ああ、あいつか。チッ、先にあいつに借りときゃ良かったな」
「冗談でも、そういう事を言うのは止めて下さい。収賄を疑われかねませんよ」
「へいへい、相変わらずお堅い事で。それで、ガルマンだったな。その前にだ。お前、どうして金を作り出す事がマズい事か分かるか?」
「実際、そんな事が出来るかどうかはさておき……。金は貴金属、換金出来る価値があります。それが、想定されている流通量を超過すると、想定と実態の価値に隔たりが生じ、不況や混乱を招きかねないからでしょう」
「ウダウダ言ってるが、まあ要するに経済が混乱するって事だな。金は全世界共通の価値があるから、偽金作るよりたちが悪い。だから、厳重に取り締まらないといけない訳だ。で、だ。そんな事をやる奴を、政府がただで済ませると思うか?」
 一瞬、ウォレンの視線が鋭く光る。エリックはその迫力に思わず息を飲んだ。
「え……? だって、財務省の方々は自分らの管理下に置くだけだと」
「そんな訳ねえだろ。百害あって一利なしの存在だぞ? 万が一を防ぐためにも、この世から消してしまった方が確実だろ」
 つまり、政府が国民一人を秘密裏に殺してしまう、そういう事だ。経済を混乱させる以外に用途が無い以上は、そうするのが最も確実で経済的である。しかし、そんな事がセディアランドにおいて行われているとはとても思いたくない。
 すると、今までの会話を聞いていたのか、ルーシーが徐に口を挟んで来た。
「そんな事する訳ないじゃないですか。確かに殺した方が手っ取り早いでしょうし、首相もそう指示するでしょうけど。鉄くずを金に変える技術ですよ? 他に取り替えの利かない技術です。少なくとも、ノウハウは搾れるだけ搾り取るでしょ。それで、搾れる間は生かしますよ」
 自信たっぷりに答えるルーシーに、ウォレンは露骨に表情をしかめる。
「はあ? そんな技術、何か役に立つのかよ。金に困ったクズが飛び付くだけだろ」
「自覚は無いようですけど、良く分かってるじゃないですか。そもそも、金が欲しいって人はどれくらい居ると思います? むしろ、要らない人の方が少ないでしょ。だったら、バカ正直に上の命令に従わないでしょ」
「財務省が、自分らの懐を温めるために、そういう真似をするってのかよ」
「組織ぐるみなのか、ごく一部の派閥かは分からないですけどねー。どんなに清廉潔白な事言ったって、目の前に大金を積まれてまともでいられる人はどれだけいるやら。セディアランドでの殺人事件の動機は、半分以上がお金なんですよ? お金は人を簡単に変えるんですよー」
 金には人を狂わす魔力がある。魔力などという定義の曖昧な言葉は好きではないが、人を狂わせたと呼べそうなケースが存在するのは確かだ。けれどそれは、その人間が元々清廉である前提の話である。大金を前にして、生来持ち合わせていた執着心が表面化しただけというのが大方の理由だ。それを認めたくなくて金に狂わされた、と言い訳しているに過ぎない。エリックはセディアランド人らしく現実的でドライな観点を、金銭に対しても持とうとする。しかしここまで分析していても、金の魔力を振り払えるという確固たる自信は、到底持ち合わせられなかった。
「二人とも、ちょっと待って下さい。今話していた事って、ただの憶測ですよね? 噂話とかそんなレベルで、事実に基づいていたり証拠があったりする訳でもないじゃないですか」