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 その日の特務監査室は、珍しく朝から全員が揃っていた。普段とは違う物々しい雰囲気にエリックは、今日はきちんとした仕事があるのだと内心喜び、急いで皆の集まる室長のデスクへ向かう。
「じゃあ、全員揃ったから始めましょうか」
 そう言って室長は、幾つかの資料をデスクの上へ並べる。まず目についたのは、入庁して以来目にするようになった特殊な様式の履歴書だった。それは主に政府機関が調べた個人情報が記述される、いわゆる訳有りの人物を対象とした履歴書である。
「彼の名前は、マラカイ。宗教団体の癒しの言葉の幹部で、組織ではナンバーツーとされる人物です。ここ数年は所在が分かっていないのですが、彼の派閥の活動が続いている以上は未だこの聖都へ潜伏していると思って間違いありません。皆さんにはこの彼の行方を捜索し、身柄を押さえて戴きます」
「宗教団体ねえ。こいつ、何かしたのかよ?」
「実はこの癒しの言葉では、長年続いていた内部抗争が表面化し始めて来ているの。まだ表立って報道はされていないけれど、最近でもその関係と見られる傷害事件が幾つか起こっているわ。ただ、マラカイを筆頭とする保守派の方が劣勢になってきているの。それで保護が必要だと、国家安全局が判断したのよ」
「まさか、政府が派閥争いに肩入れするんですか?」
「違うわ。一旦劣勢になると、状況を一気に打開しようと過激な手段に出るかも知れないでしょう? そうなる前に、頭を押さえておく事で自然消滅を狙うのよ。元々営利目的の宗教団体だけど、保守派には熱心な信者が少なくないの。だからマラカイを押さえた上で、彼に部下達を説得させるんでしょうね」
 何処の組織でも、大小問わず派閥争いなどの内部抗争は存在する。当然宗教団体にもそれは存在するのだが、そもそもの成り立ちが精神的な満足感を目的とした組織だけに、即物的ではない行動へ出る可能性がある。公益に結びつくならば問題は無いのだが、不特定多数へ危害を及ぼすようなケースも可能性としては存在する。それを未然に防ぐ事は、治安上非常に重要である。
「ぶー、こういうのって安全局の仕事じゃないんですか。なんでうちらが手伝わなきゃならないんですう?」
「あちらもあちらで、人手不足で忙しいのよ。うち以上に、簡単に増員出来るような部署じゃないから。あそこは権限も強いしコネも広いから、恩を売っておくという意味でね? みんな、お願いね」
「まあ、しゃーねーな。うちも暇じゃねえけど。つっても、ただ探すにしても行方知れずで三年以上が相手ってなあ。どうやって証跡辿れってんだか。人探しは専門外だぜ」
 そう愚痴っぽくのたまうウォレンを尻目に、エリックはデスクの上から他の資料を手に取って見る。そこにはマラカイという人物の経歴の他、癒しの言葉についての様々な情報が記載されている。特に近年の動向については非常に細やかに記されている。彼らの内部抗争が苛烈化した要因やその手段などがレポートされており、それを読む限り対立の原因は法人格認定の是非についてのもののようだ。おそらく、公益路線と利益拡大路線とで対立したのだろう。宗教団体とは言っても、やはり金の問題は簡単には切り離せないようである。
「そうそう。これがマラカイの人相書きだから。この一枚しか無いから、持ち出す時は特に慎重に扱ってね」
 室長が更にデスクへ資料を追加する。早速その人相書きを目にした直後、エリックは驚きで心臓がどくんと大きく高鳴った。
「こ、これ! 僕、知ってますよこの人!」
 慌てるあまり裏返った声を挙げるエリックに、その場の全員の視線が一気に向けられる。
「は? おい、その話本当かよ」
「間違いありません。昨日の帰りに立ち寄った店で、たまたま隣の席に座ってた人です。なんか変な話で絡まれたので良く覚えてます」
「変な話だ?」
「なんでも、自分は死んだ人間の言葉が聞こえるとかで。僕も見てもらいましたし」
 死んだ人間の言葉を聞く。その言葉に室長が、ぽんと自らの手を打った。
「あら、じゃあ間違いないわね。癒しの言葉って、死んだ人間と対話する事が教義にあるもの」
 室長の確信を得られるなり、エリックは今度はウォレンに持ち上げられる。
「でかしたぞエリック! お前もたまには役に立つな!」
「……随分な言い草ですけど、褒め言葉と受け取っておきますよ」
 ウォレンの言葉はさておき。とんでもない偶然もあったものだ。そうエリックは驚きを隠せなかった。
 確かにあの男は、言葉の節々に胡散臭さが非常に多かった。死者と話せるなどとんでもない世迷い事だと思っていたが、その経歴ならば納得が出来る。もしかすると自分は、彼の部下に引きこもうとされていたのかも知れない。ならば、昨夜の出来事は不運でも何でもなく、むしろ幸運である。何年も行方をくらませていた人物の足取りを巡る、これ以上に無い手掛かりとなったのだから。
「よし、じゃあその店に聞き込みに行くか。それとも張り込みか?」
「なんだか楽しそうですね、ウォレンさん」
「ああ、そうさ。なんせ今日は調子がいいからな!」
 普段なら、二言目には面倒だと言って雑務を押し付けてくるウォレンだが、今朝はいつになくはつらつとしている。普段は調子が悪いようにも思えないのだが、誰にでも意味もなく目覚めの良い朝というものがある。おそらく今日はたまたまウォレンがそうだったのだろう。ならば、尚更好都合とも言える。何事も初動が重要なのだから。いきなりサボられては士気にかかわる上に、解決できる事件も解決出来ない。