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 特務監査室へ戻ると、そこには室長が複雑な表情で待っていた。それはおそらく、単に無駄足を踏ませたというだけでなく、依頼そのものが今朝来たばかりだというのに即日収束してしまった事に対する申し訳なさからくるものだろう。別段その事について、室長の落ち度は全く無い事はみんな分かっているのだが。
「お疲れ様。話は聞いていると思いますが、そういう事ですから。この件について、安全局からも内々にですが謝罪がありました。ですから皆さんも、そういう事で納得して下さいね」
 エリックは元より、ウォレンやルーシーもまた多少愚痴はこぼすものの憤りを感じる程の事でもないと捉えている。こんな程度の事案など、いちいち数えるのも煩わしいほど経験してきているからだ。
「今回かかった費用は、安全局の方で持つそうです。領収書の処理は明日で構いません」
「じゃあ、今日はタダで御飯食べただけですねえ。ま、それならそれでいいですけど」
 にこやかなルーシーは、軽い足取りで店の領収書を取り出す。そこにはウォレンと二人分の飲食代が記載されているが、あの短時間の割にはそれなりの額になっている。あの場にマラカイが居たはずなのに、そこまで暢気に食事をしていたのか。そうエリックは内心呆れた。
「では、本日はこれで上がって下さい。お疲れ様でした」
 そう室長が言い終わるかどうかの所で、ルーシーは足早に帰宅していった。別段予定がある訳でもないはずだが、ルーシーは帰宅時はいつもああである。
「あの、室長。今回のマラカイの事なんですけど。結局の所はどうなったのでしょうか? もう少し詳細を知りたいのですが」
 エリックの訴えに、室長は手元の資料へ視線を移し説明を始めた。
「ええと、安全局からの説明ですと。元々マラカイの補佐役だった人物を、長期間に渡って調査していたそうです。補佐役も一人二人ではなかったので、複数のチームで動いていたようです。それで今回、その中の一つが補佐役の一人と接触、そこから何かしらの交渉の末にマラカイが死亡済みである事を聞き出したそうです」
「死亡、済み? でもそれって……」
「死体も既に発見されたそうよ。蜂の巣海岸に遺棄されていたのが、たまたま海流に乗って打ち上げられていたみたいなの。検死結果から、間違いなくマラカイ本人だと断定されているわ。死後二年から三年だから、補佐役の証言に矛盾はないみたいね」
 エリックはその報告が俄かには信じ難かった。自分は確かにあの人相書きの人物と接触していたのだ。その言動も、癒やしの言葉の教義のそれだったから間違いはない。にもかかわらず、それが既に死亡していたなんて。どう考えても、何らかの誤解が生まれているとしか思えなかった。
「遺棄したってことは、身内にでも裏切られたかよ?」
「何でも急死だったらしいわよ。詳しい事は分からないけど、元々心臓に持病があったそうだから。ただ、その補佐役が相手方と通じていたのは確かみたい。下手に不審死されると信者達に神格化されて厄介だから、行方不明になるように工作したのね」
「けっ、下らねー。死んだ人間に神格もクソもあるかよ」
 ウォレンはマラカイが遺棄された理由を忌々しく感じているようだった。死体の扱い方に対してというよりも、理由そのものが許せない、若しくは嫌悪感を覚えているように見える。それはまるで、過去に何か前例があって嫌な思いをしたかのようだ。
「あの、室長。報告するべきかどうか分からないんですが……。それでも一応、これは言っておきたいんです」
「何かしら?」
「実は、今日の張り込みでの事なんですけど。僕はこのマラカイと接触しました。間違いありません。ちゃんと会話もして、その事を覚えています」
 エリックの唐突な訴えに、室長は肯定も否定もなくただただいつもの穏やかな表情をしている。しかしその僅かな沈黙は、室長が返答に困窮しているとエリックへ思わせるのに十分な間だった。そしてエリックはただそれだけの事に耐えきれず、思わず自ら妙な事を口走ってしまったと謝罪した。
「すみません……今日はもう帰ります。報告書は明日に。それでは」
 エリックは手早く帰宅の準備を済ませると、逃げるように執務室を飛び出した。
 自分でもおかしな事を口走ってしまった自覚はあった。幽霊なんてものは存在しない。死んだ人間は、ただただ無となるだけ。セディアランド人の大半は、死後の世界を語る宗教を信じつつも、死はただの終わりであると考えている。神も魂も死後の世界も、あくまで知識として持っているだけで、存在を証明出来ないものには否定的なのだ。自分もそんなセディアランド人の一人だと思っていただけに、エリックは酷く混乱していた。幽霊の存在など微塵も信じてはいない。けれど、自分が実際に接触したあれは間違いなくあの時あの場に存在していたものなのだ。
 あれは一体なんだったのだろうか。ストレスから来る幻覚の類なのだろうか。しかし、それなら人相書きと一致するはずがない。いや、あの男を目にしたのが自分だけなのだから、本当に一致したのかなんて証明は出来ない。単に自分だけがそうと思い込んでいる可能性だってある。それが状況を説明するのに最も合理的だが、そうなると自分は精神的に相当参っているという事になる。
 果たして自分は正気なのだろうか?
 特務監査室は、存在するはずが無いものを扱う非常に特殊な部署だ。けれどその業務は、自分のような典型的なセディアランド人には、何よりも精神的に過酷なものである。エリックは、改めてその事を自覚させられた。