BACK

 翌日、エリック達三人は馬車で聖都中央刑務所へと向かった。脱走した囚人の人ヨハネスの件で、現場検証などを行うためである。
「しかし、予知能力者なんて本当に居るんですか?」
 車中でエリックは、そんな素直な疑問をウォレンとルーシーへ投げかけた。室長同様に二人も過去の予知能力者の件については詳しいようではあったが、エリックには今一つ信じ難い事なのだ。
「まったく、この後輩ときたら。未だにこんな石頭なんだから」
「そんなこと言われても。第一、これから起こる事が前もって分かるなんて、どんな理屈なんですか」
「一流の軍師は、先んじて兵を動かし相手の裏を突くだろ。天気予報だって立派な予知能力だぜ」
「そういうのは、沢山の情報から導き出した予測じゃないですか。そのいわゆる予知能力とはまた別物でしょう?」
「似たようなもんだって。要するに、先の事を読んでうまいこと立ち回れるかどうかだって話だ」
 それはあくまで個人の技術や知識であって、別段不可解な事でも何でもない。脱獄にしても、それは同じ事である。そうエリックは考えていた。けれど室長は予知能力者と即断し、過去にも類似したケースがあったと言う。本当は刑務官のミスを庇うために、人間にはどうにもならないような予知能力なんて与太話を持ち出したのではないだろうか。
 やがて馬車は聖都中央刑務所の裏門へ着いた。正門とは違い勝手口と見紛うような小さな入り口が一つあるだけだったが、そこには槍を携えた門兵が二人常駐しており、早くも所内が厳戒態勢である事を窺わせる。
「特務監査室だ。入るぞ」
 少しでも不審な動きを見せればたちまち穂先を向けられそうな雰囲気だったが、ウォレンはまるで我が家に入るが如く身分証をさっと出しただけで中へ入っていく。特務監査室の事は予め話が通っているため、別段止められる事もなく入る事は出来た。だが、厳密な確認も無しに通す方も通す方ではあるが、何より武装した門兵を前に堂々と通ろうとするウォレンもウォレンである。武器を向けられるかも知れない状況に慣れているのか、もしくは向けられても構わないと思っているのか。
 裏門から刑務所の敷地内へと入る。刑務所の裏口はこの裏庭を真っ直ぐ通り抜けた目の前である。そこまでの距離は目測でおよそ二百メートル。見張り台には弓を持った監視役もいるため、仮に囚人が刑務所から抜け出せたところで、裏門へ辿り着く二百メートルの間に必ず射抜かれるだろう。
「流石に厳重ですね。例の囚人は、あの弓矢をどうやってかわしたんでしょうか。やはり、闇夜に紛れてこっそり通ったんでしょうかね?」
「雨が降ってれば、このくらいの距離なら突っ切れるさ」
「そんな事できるんですか?」
「雨粒は、思ったよりも矢の軌道を曲げる。離れれば離れるほどな。それに、動く物へ当てるのはよほど集中していないとまず無理だ。脱獄なんてのは突然起こるもんだし、そんな集中状態を簡単には作れないもんさ。それが出来る達人もいることはいるがな」
「随分と詳しいですね、ウォレンさん」
「元兵士だからな」
 最近は忘れていたが、ウォレンは今の特務監査室へ入る前は前線で戦う兵士だったそうだ。セディアランドの軍縮に伴い、帰還後に退役したと聞いている。ならばこういった武器の事情にも詳しいのは当然だろう。
 裏口の前には、また別の門兵が二人、そして制服姿の刑務官が一人こちらを待っていた。どうやらいつの間にかに、裏門から中へ連絡が行っていたのだろう。
「お待ちしておりました。特務監査室の方々ですね」
「ああ、そうだ。警備の担当か?」
「はい。警備主任のスコットと申します。業務規則上、偽名を名乗らせて頂きますので御了承下さい」
 スコットという偽名を名乗った男は、恭しく一礼する。そんな何気ない仕草の中にも、素人でも分かるほど周囲を注意深く観察しているような用心深さが感じられ、この人物が一角の者である事が窺い知れた。
「まずはヨハネスの独房から御案内させて頂きます。中へどうぞ」
 スコットは自ら取り出した鍵で裏口を開錠し、一向を中へと促す。早速それに着いていく三人だったが、その最後尾をいつの間にか一人の刑務官がぴったりとついて来ていた。別段何を言う訳でもなかったが、明らかに勝手な行動を取らせないための監視役である。外部の人間は全て警戒するという用心深さから来るものだろう。
「ヨハネスは、この建物の五階にある独房から脱獄しました。推定される時刻は、二十一時の消灯から起床の翌六時の間。点呼に現れなかった事で発覚しました」
「要するに、全く気付かれない内に脱獄されたって事だろ。で、どういう経路で奴は逃げたんだ?」
「こちらの見解としてですが。おそらく、刑務官用の通路から堂々と脱出したのではないかと」
「刑務官になりすましたって事か?」
「いえ、支給されている制服や備品は全て確認済みです。また、該当する時間帯も刑務官は巡回等で行き来する上、見知らぬ顔の刑務官が居ればすぐに気付きます」
「じゃあ、何か? 奴は、ここの刑務官達の目をことごとく奇跡的にかいくぐって、堂々と抜け出したと。そういう訳か?」
「信じ難い事ですが。ただそれが唯一、確率がゼロではない経路なのです」