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 翌日、エリックは執務室にてヨハネスについての調査レポートをまとめていた。昨日話し合った三人の結論としては、やはりヨハネスは予知能力者であるというものに落ち着いた。しかしそれは、前例があるからというウォレンとルーシーの一方的な主張によるものであり、エリックにとってみれば不本意な結論でもあった。
 時刻が始業を迎えるが、相変わらずウォレンとルーシーは登庁して来ない。いつもの事であるため、エリックはさほど気に留めずに不本意な文書の作成を続ける。そうしている内、始業からさほど時間も経たずに室長が執務室へとやってきた。普段なら大抵本庁へ直行するか、既に執務室へいるかのどちらかであるため、こういった時間に現れるのは非常に珍しい事だった。
「あら、エリック君。昨日の視察はどうだった?」
「ええ、まあ。刑務所なんて、一生行く機会は無いでしょうから、非常に良い経験が出来ましたよ」
「そうねえ。普通なら、行く機会は無い方が良いものね。でもうちは業務上必要な事が時々あるから、徐々に慣れていってね」
 ウォレンは刑務所の裏口でも、武装した門兵相手にも非常に堂々としていた。むしろ、普段とまるで変わりない態度だったに近いだろう。あれが慣れるという事なら、自分には一生無理だろう。そういった度胸は持ち合わせていない。そんな事をエリックは思う。
「あの、ヨハネスの事なのですが。やはり予知能力者だった、という結論になりました」
「やっぱりそうなのね。あそこから脱獄するなんて、そうでもなければ不可能だもの」
「その、それでちょっと疑問なのですが。予知能力者なんて、本当に存在するのでしょうか? 僕には、単に頭の回転が良いか、よほど幸運なだけのようにしか思えなくて」
 結論は下されているものの、エリック自身は未だ予知能力というものを信じていなかった。優れた分析力や判断力を持った人間が、単純に未来が見えているように錯覚しているだけではないのか。そんな疑いが強いのだ。
「うーん、やっぱり予知能力なんて存在しないって思うのかしら?」
「はい、そうです。どうしても信じ難くて。本物の予知能力なら、自分が捕まる事だって前もって分かるはずじゃないですか」
「もしかして、それが疑問だったの?」
「そうですね。どちらかと言うと、脱獄方法よりそっちの方が」
 警備体制や構造が完璧でも、人間まで完璧とは言えない。そもそもヨハネスは巨額の詐欺で捕まった男だ。刑務官を一人二人なびかせる金など、幾らでも持っているはずである。即ち、予知能力など無くとも脱獄は十分可能だったのだ。
「実はね、ヨハネスはそもそも自首してきたのよ」
「自首ですか? 自ら出頭して来て? 確かに、それなら捕まりますが……」
「もっとも、理由はあるんだけどね。ヨハネスはちょっとたちの悪い組織とも付き合いがあって、そこのお金に手を付けちゃったの。そのせいで命を狙われ続けるから、逃げ隠れし続ける生活に疲れて出頭して来たのよ。刑務所の中、それも全房が独房の中央刑務所なら、絶対に安全ですもの」
 つまり、わざと収監されて身の安全を図っていた、そういう事である。刑務所をボディガード代わりにしていたのだ。それならば多少納得はいく話である。幾ら先の事が分かっても、ひっきりなしに命の危険に晒されれば、神経はどんどん磨り減っていくのだから。
「では脱獄したという事は、もうほとぼりは冷めたから安全、という事なんでしょうか?」
「そういう事になるわね。脱獄した事なんてとても世間には公表されないし、彼らにしてもヨハネスはまだまだ塀の中だと思っているだろうから」
 予知能力の存在はさておき。なんて身勝手な人間が居るものだと、エリックは腹立たしく思う。少なくともヨハネスは、人並み外れた知識や観察力などの能力を持っている。にも拘わらず、それを何ら社会貢献に使わず私利私欲のためだけに使っているのだ。自分さえ良ければ、幾らでも他人を振り回す。あまりに身勝手で横暴、唯我独尊的である。そんな人間は一生収監されているべきだが、簡単に脱獄すらされているのだ。政府はヨハネスに対し、鎖を付ける事が出来ないのか。そう思うと、自分達官吏の無力さが込み上げて来る。
 ヨハネスの事で非常不快な心境になったエリック。けれど室長は、ヨハネスに対してこんな事を続けた。
「大丈夫よ、エリック君。過去にも予知能力者はいたって、前に話したでしょう? もうヨハネスへの対策は打ってあるのよ」
「え、対策ですか? それは一体」
「ま、近い内に分かるわよ、だから、安心してね」
 そう微笑む室長。刑務所をセーフルーム代わりにするような知能犯相手に、一体どんな手を打ったのだろうか。他の二人と違って室長の言う事を疑いはしないのだが、過去の予知能力者の件もあり、エリックは興味と訝しさが半々の複雑な心境だった。