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 その日の業務後、エリックは強引にウォレンに付き合わされた。先日の何か賭事で随分と勝ったらしく、それで酒を奢るというのだ。酒はそれほど飲む方では無いが、上機嫌なウォレンに断れるはずもなく。ウォレンが行き着けにしているというバーへと連行される事となった。
「おら、この店で一番高い酒だぞ。ありがたく飲めよ」
 ウォレンの指定席らしいカウンターの右端の席に並んで座り、エリックはウォレンから無理矢理注がれる酒を飲む。とにかく今夜のウォレンは上機嫌で、やたら良く笑い絡んで来る。そんなに賭事で勝った事が嬉しいのだろう。けれど、ここまで大の大人が騒ぐ程なのかと、内心苦笑いもしていた。
「やーねー、ウォレンちゃんってば。あんまり無理に飲ませるもんじゃないよお」
 カウンターの中からお店のマスターが、にこやかな表情でウォレンを窘める。
「いいんだよ、俺の奢りなんだ。文句は言わせねえよ。お前もこれ好きだろ? な?」
「あ、はあ。そうですね」
 正直なところ、ウォレンが素面なのか酔っているのか分からない。エリックは今更だが、こういうウォレンの扱いにはどうしても困ってしまう。
 ウォレンはそもそも子供っぽいのか、感情の浮き沈みが人より激しい。無言で何かに黙々と取り組んでいて話し掛けても無視される事もあれば、子供のように思った事を何でも口にしながら誰彼に絡みゲラゲラ笑う事もある。この両極端な変わり様に、いつも苦労するのだ。面倒な性格ならば、どちらか片方にして欲しいと日頃から思っている。
「しばらくは酒代に苦労しねえからな。ホント、あそこで大穴が連続で来た上、しっかりと当てちまったんだ。いやあ、我ながら恐ろしい博才だぜ」
「あらあ、あれのこと? ニュースになってたわよねえ。ウォレンちゃん、両方とも当てちゃったんだ。ああもう、私も今回だけは信じておくんだったわ」
「へっ、次回のレースだったら指南してやるぜ。格安でよ」
「もう、いけずなんだから」
 ウォレンとマスターは、同じ賭け仲間のようでもある。ただ、マスターの口振りからすると普段のウォレンはあまり勝てていないようだ。
「おう、エリック。明日もまた奢ってやるからな。少しは優しい先輩に感謝しろよ」
「あ、すみません。明日は予定があるんで。家族と出掛けるんです」
「家族だあ? 何処に行くってんだよ」
「ブラックナイトの公演です。知ってます? 今話題の」
「ああ知ってるわ! 若手天才マジシャン、セドリックでしょ! 一度行ってみたいと思ってたのよ。あの子、なかなか好みだしい」
 マスターの方は、このマジシャンの事を知っているようだった。セドリックは今年になって急に話題になったマジシャンである。女性受けする涼やかな風貌もさる事ながら、彼の舞台は非常に独創的で同業者や批評家からの評価も高い。エリック自身もただの付き合いではなく、一度彼の公演は観に行きたいと思っていたのだ。
「マジシャンねえ。お前、訳分かんねー事は仕事で物足りねーのかよ。マジシャンなんてな、実は半分くらいは本物なんだぜ」
「ちょ、ちょっと! 何を大声で!」
「あーら、いいのよ。私、ウォレンちゃんの仕事知ってるんだから。大丈夫、バーのマスターは口が堅いのよ」
 普段の調子で妙な事を口走ろうとするウォレン。エリックは慌ててそれ以上話させまいと声を上げるが、マスターは既に察したような口振りだった。だが、だから安心しろと言われた所で、納得出来るはずもない。国家機密の多い業務内容を、酒の肴にされるなんて恐ろしい事態である。
「まあ、とにかくそういう事ですから。よろしくお願いします」
「へえへえ。坊ちゃんはお忙しいようで」
 拗ねたように見せているが、やはり陽気な様子はそのままである。特にこれと言って気に留めてはいないようだが、変に感情が浮き沈みするウォレンの性質を考えるとあまり油断も出来ない。
「おっと。今日の分、飲み忘れてたなっと」
「あら、それじゃあお水持ってくるわね」
「いらねーよ。今は酒以外は飲みたくねー」
 唐突にウォレンが懐から取り出して酒と一緒に飲んだものは、何かの薬のようだった。それも幾つか種類を一度に飲んでいる。あれだけの薬を一度に飲んだのは、子供の頃に肺炎で寝込んだ時ぐらいだ。そうエリックは思った。
「もう、それ止めなさいよ。お酒で飲むなんて、体に悪いんだから」
「これ以上悪くなりようがねーよ」
 悪態をついて見せるウォレンだが、その表情は一層緩み不自然さを感じるほどだった。
 そう言えば。時折だが、ウォレンが薬を飲んでいる姿を執務室でも見たことがある。明らかな二日酔いで登庁して来る事もあるため、これまで特に気にはしていなかったが、あの薬は随分長い間飲み続けているようだ。
「あの、それって何の薬ですか? いつも飲んでますよね」
「ここだ、ここ」
 ウォレンは自分の頭を差してげらげらと笑う。何がおかしいのかはともかく、明らかにからかっているとしか思えない素振りだ。まともに答える気がないのか。エリックは自分の興味が一瞬で冷めるのを感じた。
「はいはい、そうですか。じゃあ、早く治るといいですね」
 呆れ顔をしながら、ウォレンを突き放し自分の酒を少しずつ飲むエリック。そんな不遜な態度をされたウォレンは、怒る所か機嫌良さそうにまた笑った。
「ほーら、この新入り。先輩相手にもなかなかの口利くだろ? こりゃ将来有望だなあ。うちもいい人材が揃って来たぜ」
「あんまりイジメないのよ。まったく、アンタは昔っからすぐ調子乗り過ぎるんだから」
 どこまでも軽口を叩くウォレンと、それを窘めるマスター。仕事とは言え、常に酔っ払っているようなウォレンを相手にしなければならない大変さは、あまり他人事には思えない。そうエリックは思った。