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 エリックの実家から程近い場所にある、小さな区立病院。そこにはエリックの祖母が入院しており、エリックは時折見舞いに訪れていた。
 途中で買った見舞いの菓子を携え、エリックは一人病院へ入る。午前中の病院の中は人もまばらで、どちらかと言えば閑散としている。普通なら病院は午前中が一番混み合うものだが、この病院に限って言えば年中こんな調子である。理由は明確で、この病院はほとんど外来患者は無く、また入院患者も助かる見込みのない者ばかりだからだ。
 エリックはこの病院へ来るたび、いつも憂鬱な気分にさせられた。ここがどういう病院なのか知っている事もあるが、院内に漠然と漂う諦めに似た空気が、自分から生きる活力を奪おうとしているように錯覚するからだ。長く居れば、それだけその色に自分が染まる。そんな恐れが、自然と足取りを早めさせる。
 祖母の居る病室へ入る。個室で眠る祖母はいつもの通りで、辛うじて呼吸をしている事から生きている事が窺える状態だった。やせ細った体に艶の無い肌と髪、寝ているだけでも苦しそうな弱々しい呼吸は、本当に今にも止まりそうだとすら思える。
 祖母はいつ亡くなってもおかしくはない状態だった。原因は、昨年に大病を患った事と単純な高齢に寄るものだ。既にセディアランド人の平均寿命を上回る年齢なのだから、決して嘆くような事でも無い。入院費や遺産の事など、そういった現実的な問題もあるのだが、やはり苦しげな本人を前にすると、どうしても元気になって欲しいという気持ちが込み上げて来る。
 エリックは祖母を起こさぬよう静かにドアを閉め、棚に買ってきた土産を置く。そしてベッド脇の小さな椅子に座り込んだ。そのまま、何をするでもなく、言葉も発さず、ただただ苦しげな祖母の呼吸を聞き、様子だけを眺める。もう祖母にしてやれる事は無く、ただ死を待つばかりである。この病院は、そういった患者ばかりが収容されている施設だった。漠然と漂う諦めの空気は、家族と院内スタッフが発しているものだろう。そしてエリックは、自分も同様に祖母に対して諦めの気持ちを抱いている事を自覚している。
 しばらくそうしていたエリックは、偶然窓の外を鳥の影が横切ったのを機に、椅子から立ち上がった。見舞いに来るたび、いつも無言で終わっている。眠っている時間の方が長い祖母と会話出来る事は稀で、それも初めから期待はしていない。いずれ、父が自宅療養へ切り替えるだろう。そうなれば、機会は訪れるのかも知れない。
 院内スタッフに簡単に挨拶をした後、エリックはすぐそばにある停留所で乗り合いの馬車が来るのをぼんやり待った。酷く疲れた。そう思い、ベンチに腰を下ろして溜め息をつく。気疲れがここまでくれば、見舞いもちょっとした運動と変わらない。今日は帰ったらすぐに寝てしまおう。そんな事をぼんやり考えながら、馬車を待った。
 そんな時だった。何するでもなく眺めていた病院から、ふと見覚えのある人影が出て来るのに気付いた。誰だったか、見覚えがある。そう思っていると、突然と正体に気付き、途端にエリックはベンチから飛び上がった。
「ウォレン……さん?」
 エリックの唐突な行動は、ウォレンからも目立ったのだろう。ウォレンの方もエリックに気付き、歩み寄って来た。
「おう、何だお前。こんな所で何してる?」
「えと、ここには僕の祖母が入院していますので。もうじき、退院しますけれど」
「そうか……まあ、それがいいさ」
 ウォレンの口調は、喜びではなく同情のそれだった。ウォレンもこの病院がどういう場所か知っていて、退院が何を差すのかも分かっているのだ。
「ウォレンさんも、御家族の方が入院されているのですか?」
「いや……。ただ、友人……と今も言って差し支えないのか、そんな奴が入ってる」
「何かあったんですか?」
「昔、俺がまだ兵士で前線に居た頃に、ちょっとな」
 ウォレンは、特務監察室へ来る以前は軍に所属している兵士だった。あまりその頃の事を話さないため、エリックは何か良くない思い出でもあるのかと日頃は避けていた話題だ。
 軍属時代の友人、いわゆる戦友という関係なのだろうが、ウォレンはその言葉を口にするのは躊躇っているように思える。一体、何があったのだろうか。疑問ではあるが、エリックはあえて訊ねない事にした。
「家に戻すって事は、後は痛み止めだけか。あれを始めると、ろくに会話も出来なくなる。話したい事があるなら、今の内にしておけよ」
「もう既に、それもままなりませんから。だから家族みんな、覚悟している状態なんです」
「そうか……ま、覚悟が出来る時間があるのは、幸せな事だろうな」
 自分には、その覚悟を決める時間が無かった。そう言いたげな口調である。好奇心はあるものの、そんな浮ついた理由ではとても訊ねられそうにはなかった。少なくとも逆の立場であっても、自分の事情をそんな風に軽々しくは訊かれたくない。
 お互い探り合うような言葉ばかりで話の弾まない中、やがて通りの向こう側から待っていた乗り合い馬車がやって来るのが見えた。するとウォレンは、一言だけぽつりと残して踵を返し、この場を去ろうとする。
「乗らないんですか?」
「少し飲んでから帰る。この辺にな、あいつと良く行ってた店があるんだ」
 そう言ってウォレンは、馬車が止まる前にその場を後にしてしまった。別段止める理由は無かったものの、エリックは去り際に見せたウォレンの微笑が何故か無性に気にかかってならなかった。