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 今朝のウォレンは、目に見えて挙動がおかしかった。別段不機嫌そうには見えないのだが、口数が少なく神妙な表情をしたままボーッとしがちである。大好きな新聞の賭博欄も開いたままで、眺める事すらしていない。
 昨夜、ジェイクというウォレンの旧知と偶然会ったのだが、やはりそれが関係しているのだろうか。思いつく範囲ではそれしか心当たりはないのだが、かと言ってそれがこうなる理由までは分からない。やはり、何か過去に因縁があったからだろう。
「ねえ、ちょっと。アレ、何かあったの? なんか鬱陶しいんだけど」
 普段はそういった事に無関心のルーシーが、流石に見かねたのか怪訝な表情でエリックに問い掛ける。エリックは取り敢えずの心当たりとして昨夜の事の話すと、ルーシーは更に怪訝な表情になってしまった。
「何それ? 絶対何かあったに決まってるじゃない。どうして訊かないの?」
「いや、幾ら何でもそれは無理でしょ」
「ったく、この後輩は相変わらずコミュニケーション下手なんですから。ねえ、ちょっと先輩。ジェイクって奴と何かあったんですか?」
 突然と軽い口調でストレートに問い掛けるルーシー、エリックはあまりに不躾なその訊ね方に背筋が凍り付く思いだった。
「ああ……? まあ、その、何だ。ちょっと色々あってな」
 流石に怒り出すかと思われたが、ウォレンは意外なほど穏やかに遠慮がちに答えた。たまにある、気分の落ち込み時期に差し掛かっているのだろうか。随分と声に覇気が無い。しかしルーシーは、それでもなお遠慮がなかった。
「色々って何です? 昔の友達なら、色々話す事もあるでしょ普通は。それがどうして朝っぱらからへこむ事になるんです? 普通じゃないでしょ、どう考えても。因縁でもあれば、教えて下さいよ。何か面白そうだし」
「面白そうって、お前な……」
「どうせ他人事ですもん」
 遠慮も無ければ、当たり前のように不躾に喋る。それがルーシーの性格であり、以前に在籍していた外務省を追い出された理由である事はエリックも知っていた。元々そういう人間だからと諦めているせいもあるのか、ウォレンは僅かに苦笑いするだけで怒りを見せる事をしなかった。
「ジェイクってのはな、元々俺と一緒に北西地方の駐留軍で同じ第三分隊にいた同期だ。まあ、俺の方が先に除隊したんだがな」
「北西の駐留軍って、かなり情勢不安な所ですよね。未だに内戦が続いてるとかで」
「そうだな。駐留軍って言っても、要するに最前線さ。それも、セディアランドには大して影響の無いような所だ」
 北西地方は未だ内戦が続き、独立政府も国境線も曖昧な所が大半である。わざわざ遠く離れたセディアランドが従軍するのは、先進国同士の同盟国間による世界平和維持という協定に拠るものだ。セディアランドにメリットは無いが、いざという時に世界平和の名目で進軍する、政治的手段に矛盾を持たせないために必要な事なのだ。
「俺は早々に嫌気が差して、自分で除隊したんだが。あいつはその後もずっとそこに居たそうだ。仕事も真面目で面倒見も良く、駐留軍将校からの評判もすこぶる良かった。そういった長年による無形の功績が積み重なって、名誉除隊出来るのではなんて言われるほどだったんだがな」
「何かあったんですか?」
「あの馬鹿、よりによって現地の過激派組織から麻薬を買ってたんだ。麻薬でストレスを解消出来るから、いつでも良い人でいられたってワケだ。普通なら軍法会議ものだが、麻薬は周囲に広めず自分しか使ってない事とこれまでの貢献もあって、大幅に減刑されて除籍処分で済んだのさ。名誉除隊出来りゃ、官吏になれば出世コース、民間企業じゃ引く手数多だってのによ。ま、檻の中に行かないだけマシって事だな」
 それほどの功績を棒に振った、麻薬。医療目的で限定的にしか認められていないセディアランドでは、特に重い罪の一つだ。実刑で無かっただけでなく不名誉除隊でもないのだから、むしろ相当に軽い処分だったのだろう。そんな事があったのなら、ウォレンが話したがらないのも頷ける。
「で? 先輩は、何でその人のこと嫌ってたの?」
「そうじゃねーよ。ただ、昔の事を思い出すから、顔を見たくねーだけだ」
「やっぱり、軍部の前線って辛いんだ?」
「二度と行きたかねーな」
 自分よりも荒事に慣れていて肝も据わっているウォレンがそこまで言うのなら、前線はそれほど過酷な場所なのだろう。思い出すだけでも辛い事、ウォレンの軍歴もまたその手のものなのかも知れない。
「麻薬、ですか。確か強い痛み止めもそれでしたよね」
「間違っても、手ェ出すんじゃねえぞ。ろくな事にならねえからな」
「いえ、入院中の祖母が時折痛みを訴えてた事を思い出して。どうせ治らないならせめて、って考える事があるんです」
 終末病院でも、麻薬系の強い痛み止めの使用はあまり処方されない。治療のためという大前提がある以上、助かる見込みのない患者へ処方するのは目的から外れるためだ。そのため、見かねた家族が密かに入手して、といった事例も少なくない。中には、病院そのものが黙認しているなんて矛盾した場合もあるそうだ。
「なんか大昔は、どんな病気も治る万能薬だって思われてたらしいですねえ。実際は万病の元なのに」
「脳を麻痺させて、痛みを感じなくさせるだけさ。死ぬ寸前までな。もっとも、そうと分かってて使う馬鹿が世の中にいるってのもな。狂った話だぜ」
「痛みが消えると、万能感を味わえるらしいですからね。相当普段は抑圧されてるのかも知れません」