BACK

 あんな勢いで蹴られても、平然としていられるなんて。
 やはり、連続強盗犯のあの噂は本当なのだろうか。エリックは思わず震え出しそうになるのを必死でこらえた。自分が何の戦力にもならない事は自覚しているが、犯人と真っ向から対峙しているウォレンよりも先に逃げ出してはならないと、なけなしの理性がそう訴えるのだ。
「やっぱり、まだ続けてたのかよ。クソみてーなドラッグを」
「だから何だよ? おかげで人生楽しいぜ。欲しいものは全て奪い、気に入らねー奴は片っ端からぶっ飛ばしてさ。何も我慢しなくていいんだぜ?」
「変わっちまったな、本当によ。昔は、世話好きで面倒見のいい奴だったってのに。いや、それ自体がヤク漬けのせいで出来てたって事なのか」
「何も悪い事はねーだろ。命懸けの使いっ走りが、ちょっとくらい気持ち良い思いをしたってよ」
「ああ、そうだな。あそこは、ろくに娯楽も無かった。だが、物事の善し悪しが分かんねー歳でもねーだろ」
「何を偉そうに語ってんだ? テメーだって、未だにヤク漬けなんだろ? 噂で聞いてるぜ。未だに病院通いのせいで、他にまともな働き口が無いんだろ?」
「俺とテメエを、一緒にするんじゃねえ!」
「同じだろうがよ! お前だけまともなつもりか!?」
 そして、今度仕掛けて来たのはジェイクの方だった。ジェイクは手にしていた棒切れを振り上げながら、真っ正面からウォレンへと向かっていく。ウォレンとは違って鋭さの無い素人のような走り方だったが、何故か速さだけは異常なほどあった。そのちぐはぐさは、見ているだけのエリックですらぞっとさせられた。
 ウォレンは、極めて冷静にそれを迎え撃った。いつの間にか振り下ろされていた棒切れを内側へかわすと、ジェイクの顎をかち上げるように肘で打った。ジェイクは上を向かされたままその場に硬直する。ウォレンは更に、ジェイクの襟を掴んで頭突き、膝で腹を蹴り上げ、組んだ両手を後頭部へと振り下ろした。地面へしたたかに叩きつけられるジェイクだったが、ウォレンはすぐに間合いを取り、ジェイクも立ち上がってきた。ジェイクは鼻から尋常じゃないほど出血しているが、表情は全く平然としている。鼻は見る見るうちに腫れ上がり、恐らく鼻骨が折れているだろう。けれど、ジェイク自身は痛みも苦しさも感じてはいないようだった。
「無駄だぜ。幾らテメーに殴られようが、全然痛くねーよ。俺を止めたきゃ、マジで殺すしかないぜ?」
「殺しはしねー。お前がやった事は、きちんと法廷で裁いて貰う」
「あの狂犬が、随分と丸くなったもんだな。今の仕事をクビになんねーように必死なのか? それとも、まさか今更罪悪感でもあんのか?」
「テメエと無駄話はしねえ」
「ああ、そうだよな? 普通はまともじゃいられねえよな。あ、お前はとっくにまともじゃなかったな! まだアレ、聞こえてんのかあ?」
 げらげらと笑うジェイクは、どう考えても不必要なほどウォレンを煽っている。てっきり逃げる隙を窺っているのかと思っていたが、むしろジェイクには逃げる事が眼中には無いようにすら見受けられる。ウォレンをいたぶるのが目的なら、警察が来るまで時間を稼ぎたいウォレンには都合が良いだろう。ただ、ジェイクの言っている事は半分ほどしか分からないものの、いずれもウォレンにとっては穏やかではないことばかりのはずだ。果たしてウォレンは耐え抜く事が出来るのか、そればかりが気掛かりだ。
 再びジェイクが仕掛ける。げらげら笑いながら棒切れを拾い直し、技術のかけらも無い走り方でウォレンへと突っ込んでいく。振り下ろされた棒切れを、ウォレンは右手に構えていたナイフで受け止め、横へとそらす。そのまま流れるように膝を見舞うが、今度はジェイクはぴくりとも動かなかった。そのままウォレンの足を掴みにかかるが、ウォレンは咄嗟にその手をナイフで払い間合いを取る。ジェイクの両腕はナイフで裂かれ、どっと血が吹き出した。
「何だよ、ヒデーことするなあ」
 ジェイクは血が流れる自分の腕を見ながらも、なおもニタニタと不気味な笑みを浮かべている。痛みを感じていない上に、この程度の出血なら何とも思っていないのだ。
 ジェイクの鼻と腕からの出血は未だ止まっていない。やはり、傷口が塞がったと言っていた特務調査室の意見は誤りだった事が分かる。おそらく、精神の昂揚と痛覚の麻痺がそんな風に錯覚させたのだろう。
 無くならない戦意と感じない痛み。それはまるで、無敵の兵士のように思えた。セディアランドの軍部は、本当にこんな研究をしていたのではないか。ウォレンやジェイクの話す情報の断片を繋ぎ合わせると、そんな想像が出来てしまった。
 こんな相手に勝ち目はあるのか。少なくとも、殺すしか方法はないのではないか。きっとウォレンもそんな事を思っていて、あまり積極的には攻撃をしないのだ。そうエリックは思った。
「俺もそろそろ逃げねえとなあ。ウォレン、いい加減にやられてくれや。俺はお前の事がそんな好きじゃなかったが、今日は気分がいいから、半殺しで見逃してやるぜ」
「気が合うな。ただ俺は、別に気分は良くないがな」
「なあに痩せ我慢してんだ? 薬の時間だってんなら、飲むまで待ってやっても―――」
 突然、ジェイクの顔色が変わった。見て分かるほどに急激に青ざめると、顔だけでなく全身からどっと汗が噴き出す。余裕の笑みは消え失せ、息苦しそうに喉を鳴らしながら胸の辺りをかきむしるように押さえる。
 一体、何がどうなっているのか。まさか、薬の効果でも切れて反動が襲ってきたという事なのだろうか。
「あ……クソッ、下らね……え」
 そうこうしている内に、ジェイクはその場にがくりと膝から崩れ落ち、そのままぴくりとも動かなくなった。本当にあっという間の出来事に、エリックは唖然としていた。だがその一方で、まるで初めからこうなる事が分かっていたかのように、ウォレンは倒れるジェイクの姿を妙に冷ややかに見下ろしていた。