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 自分は今、実に貴重な体験をしている。そう何度も言い聞かせる事で、エリックは辛うじて冷静さを保っていた。
 エリックはウォレンと共に、留置場の一室へ二人揃って押し込められていた。原因は三つ、ジェイクが起こした強盗事件の共犯者と勘違いされた事、特務監察室の身分証がこの地区の警察には通じなかった事、そして事件についての詳細を話す事を拒否したからだ。特務監察室の仕事は、知らない者には迂闊に話す事は出来ない。そのため、身分証を知らない相手にはこうする他無いのだ。かと言って、エリックには様々な不安が脳裏にひしめき合っていて、この選択に全く後悔が無い訳ではなかった。家族に知られやしないか、賞罰欄に前科がつきやしないか、そういったものだ。
「あんま気にすんなよ。どうせすぐ出られるから、この状況を楽しんだらいい」
 ウォレンはのん気に話し掛けて来た。壁に背をもたれながら座り、まるでこんな事は過去に何度も経験したと言わんばかりである。
「そんな保証、あるんですか?」
「お前、うちの室長のこと甘く見んなよ。あれでいてすげえ切れ者で有名な上、コネも半端無いんだぞ。マジな話、軽い傷害くらいなら即行でもみ消せるくらいの力はある。いざという時は、すがっちまえばいい」
「そんなこと頼みませんよ、僕は。それより、室長がどうにかしてくれるって言うなら、大人しくそれを待ちますよ」
 ウォレンの言うことはあまり当てにはならないが、室長が実際年齢以上の能力を持ち顔も広い事は知っている。そこだけに望みを託す他ないだろう。
「ところで、ウォレンさん。あのジェイクって人、どうなったんでしょうか?」
「さあな。生きてるのか、死んでるのか。どっちみち薬漬けで、死んでるのと変わんねーだろ。二度と娑婆の土は踏めねーだろうがな」
「でも、何だか可哀相ですよね。好きで薬なんかに手を出した訳じゃないのに」
「好きで出したんだよ。前線の生活が辛いなら、転属なり除隊なり願い出りゃいい。軍法会議と投薬実験の取引を持ちかけられても、素直に軍法会議を受けりゃいい。あいつは、数ある選択肢からわざわざ薬を選んだんだよ。誰の強制でもなく、自分の自由意思だ。それであのザマだ。同情の余地なんかねえよ」
「でも……だからって、軍部が知らん振りというのは」
「お前、同じ事を遺族の前で言えるか? あいつの強盗事件で、今まで何人死んだか知ってるのか? アイツはもう人間じゃない。痛みも麻痺してモラルも欠落した、獣以下の存在だ。本心で否定するのは構わんが、そうしておかないと気持ちが持たねーぞ」
 エリックは答える事が出来ず、そのまま黙り込んでしまった。
 そう、強盗事件は紛れもなくジェイクの選択なのだ。その行動の罪は、今更疑問視するまでも無い。けれど、やはりエリックは納得がいかなかった。人間誰しも、常に強い気持ちを持ち続けられるはずが無い。選択を誤る事だってある。そうさせた環境や周囲の人間は、果たして全くの無罪で良いのだろうか。
「ウォレンさんみたいに、みんながみんな強い訳じゃありませんから。正しい選択を出来る人って、心が冷静でしっかりしているからなんです。常にそれを保てる強さなんて、みんなが持ってる訳じゃありませんから」
「強さ、ね。お前、俺が強く見えるか?」
「そりゃそうですよ。さっきの僕なんて、何も出来ず棒立ちでしたし。ウォレンさんみたいに、体を張ってでも止めて被害の拡大を防ぐ事が、官吏として最も正しい選択だと思います」
「俺は、ああいう事しか能が無いだけだ。それに俺だって、いつも冷静って訳じゃない。むしろ、何でも力業でどうにかしようとしない、お前の方が強いかもな」
 そう言いながら、ウォレンはおもむろに上着の中からいつもの薬を取り出した。多分、そろそろ薬を飲まなければならない決められた時間なのだろう。
「そこの水を持ってきてくれるか」
「はい、分かりました」
 エリックは、格子の出入り口に無造作に置かれたやかんとコップをウォレンへ持って行ってやる。ウォレンはやかんの水で薬を一気に飲み干すと、大きく深い溜め息をついた。急に体から力が抜けたように見え、エリックは焦りを感じた。
「大丈夫ですか? それ、何か病気の薬なんですよね」
「いつも言ってるだろ。ここの薬だって」
 ウォレンは自分の頭を指差し、視線をそらすようにうなだれる。
「だから、そういう冗談は止めて……」
 ふとエリックは、ウォレンがいつもの小馬鹿にするような表情を見せていない事に気がついた。いつもはげらげらと笑いながら話すため、単にからかっているだけだとばかり思っていた。しかし、今のウォレンの態度はそれとはまるで異なる真摯なものだ。
「まさか……本当だったんですか?」
 恐る恐る確かめるように訊ねるエリック。するとウォレンは、微かに自虐の色を覗かせた弱々しい笑みを浮かべた。
「除隊する少し前からな、しょっちゅう声が聞こえるんだよ。俺への恨み言がさ。それが原因で辞めざるを得なかった。兵士としてやっていけなくなったんだよ」
「恨み言……誰か知っている方の声ですか?」
「ああ、俺が殺した奴だ。交戦中、咄嗟に盾にしちまった、味方の兵士だよ」
 つまりウォレンは、その事でずっと気を病んでいた、そういう事なのだ。
 ウォレンのそんな表情を見たのは初めての事で、エリックは強い衝撃を受けた。むしろ、見てはいけないものを見てしまったかのような心境にさえさせられた。ウォレンの身勝手な態度と奔放な振る舞いには、普段は辟易してばかりだった。けれど、その真逆のような今の姿は見たくはなかった。ウォレンはむしろ、辟易させられてこそではないか。そんな事をエリックは思った。
「アイツも言ってたよな。アイツはヤク漬けだが、俺も安定剤を手放せない似た者同士だ。アイツと俺とで、どう違うんだろうな」
 全く違う。ジェイクは犯罪者だが、ウォレンはむしろ聖都の平和のために働いている。この差はあまりに大きい。そう言ってやりたかったが、ウォレンの哀愁漂う表情の前にそんな安易なセリフを吐くのは躊躇われた。自分のような人生経験の薄い人間が、易々と語っていいものではないように思えるのだ。