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 祖母の葬式が無事滞りなく終えられたエリックは、祖母が他界した悲しみよりも単純な疲労感で頭が一杯だった。祖母の死は前々から覚悟していた事もあるが、参列者が想像より遥かに多かったため、悲しむ暇があるなら文字通り手を動かさなければならない程だったのである。参列者の数は、故人の人徳の目安でもある。喜ぶべき事なのだろうが、多忙さの中では素直に喜ぶ事など出来なかった。
 こうして終えてみれば、家族の誰もが葬式の経過などろくに憶えていない有り様だった。そして明日からは、また元の生活へと戻る。家族の死というものは、もっと自分の中にぽっかりと穴を空けるものだと思っていたから、この切り替えの速さには自分の事ながら戸惑いを覚えた。
 翌日、やや疲れは残っていたものの、今まで通りの時間に登庁する。執務室には珍しく室長の姿があって、朝から何やら書類の処理を行っていた。
「おはよう、エリック君。もう大丈夫かしら?」
「はい、おかげさまで。祖母宛ての供物、ありがとうございました」
「何だか疲れてるようだけど、もう一日くらい休んでも良かったのよ?」
「いえ、大丈夫です。それに、あまり休むと仕事の勘が鈍りますから」
 そしてエリックは自席につき、何時ものように朝の整理から始める。
 仕事の勘が鈍る。ここへ配属された当初は、まるで想像もつかなかった言葉である。間もなく一年が経とうとするが、すっかり特務監察室にも慣れてしまった。訳の分からない事件、非科学的な事象、そんなものばかりで混乱してばかりいたが、今ではある程度あるがままに受け入れられるようになったと思う。まだ忌避感や疑念もありはするが、少なくとも頭から否定的になったり拒絶するようにはならなくなった。それは曖昧なものを許容するというよりは、単純に見識が広がったからだ。そうエリックは解釈している。
「おはよー。あ、もう式は終わったんだ?」
「はい、昨日で恙無く。色々と差し入れて戴いてありがとうございました」
「いーのよ。私は、優しい先輩ですもの」
 遅れて登庁してきたルーシーは、相変わらず普段通りのテンポだった。初めはこのいい加減さにイライラしたものだが、今では扱い方を覚え程良い距離感で接する事が出来るようになった。
「おーす……。おう、戻ったか坊主」
「おはようございます。またお酒ですか? いい加減、ほどほどにして下さいね」
 更に遅れてやってきたウォレンは、如何にも二日酔いだという顔をしていた。何度注意しても直す気配は見られず、もはやこのやり取り自体が挨拶のようになってきている。このやり取りも久し振りだ、そうエリックは思った。
 午後になり、室長はまた本庁へと出掛けていき、執務室内には三人だけが残る。ルーシーは相変わらず間食をしながら雑誌を読み、二日酔いが覚めたウォレンは新聞の賭博欄を熱心に読みふけっている。仕事の勘が鈍る、とは言ったものの、この状況に勘も何もあったものではない。そうエリックは半ば自嘲気味に思った。
 たまには自分も市井の動向に目を向けるべきか。そう思い、スクラップ目的で購読している大手紙を手に取って一面を広げる。そこには、世紀の偉業、という仰々しい文字が躍っていた。
「ウォルター氏が黒赤病の特効薬の開発に成功する、か。皆さん、これ知ってます?」
「俺は風邪とは縁がねえな」
「ま、先輩はねー。私は知ってますよ。この人、今までも幾つか功績を挙げてるんだけど、今回のは群を抜いて凄いって話ですよねえ」
 黒赤病とは、風邪に似た症状の病である。しかし高熱と下痢が続き、成人男性でも死亡率は五割という非常に重篤なものだ。末期は肌が黒と赤の斑模様に変色するのが名前の由来だ。これまでは患者の体力頼りの対処療法しか出来なかったが、このウォルター博士は病気のメカニズムを解明し、確実に効く特効薬を作り出した。臨床試験でも治癒率は九割を超えており、後は政府の認可を経て量産体勢に入るという。
「明るいニュースはいいものですね。うちの仕事とは無関係ですし」
「人聞き悪いこと言ってんなよ。まるでおれらが、人の不幸でメシ食ってるみたいじゃねえか」
「流石にひねくれ過ぎですって、それは」
「ひねくれるって言えば、この人って変な噂があるんですよー」
「変な噂?」
「ぶっちゃけた話、このウォルター博士って人は博士号が取れた事が奇跡的なくらい、能力的には大した事無いんですよ。それがどうしてこうなったかと言うと、時々天才的な業績を出すからなの。だから、実はゴーストライターならぬゴースト博士が居て、これまでの業績はみんなその人のおかげなんじゃないかって事なんですよー」
 ゴーストライターなんてのはたまに耳にするが、あれは別にオカルトでも何でもなく、単なる代筆にしか過ぎない。ただ、医学博士のゴーストライターなんてのは、これまで聞いた事がない。普通なら、医学博士になれるだけの実力があるなら自分で活動するものだ。わざわざ誰かのゴーストに徹する理由が無い。
「ま、あくまでゴシップ程度ですけどねー。頭の片隅にでも、ありがたくしまっておきなさい」
「分かりましたよ。それにしても、それが本当なら確かに変な話ですよね。何か裏事情でもあるのか、ってそれこそゴシップか」
「とは言っても、そういう情報にもちゃんと目を配らすんですよ? 世の中、何が嘘で何が真実なのか分からない事は、流石にもう覚えたでしょうし」
 真偽はさておき、確かにルーシーの言う通り情報は多岐に渡って集めておいた方がいいだろう。情報は質よりも数、そしてその分析である。例え嘘だとしても、その情報が生まれた事について分析する余地があるのだ。
 ただ、一つ。今一つ腑に落ちないのは、情報の収集も蓄積も分析も全て、特務監察室において自分に割り当てられた作業だという事だ。