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 今朝の新聞の見出しでは、例の黒赤病特効薬の最終的な認可が秒読みに入ったと報じられていた。これにより、年間数万単位の人間が助かるであろうと見込まれ、各所から非常に強い関心が向けられているとされている。
 エリックは、ウォレンとルーシーを交えて報告書の打ち合わせをしていた。ハリーが諸所へ訴えかけていたため、この件による調査結果を首相へ提出するのに、その内容はよくよく吟味した上で慎重にしなければならないからだ。
「で、だ。調査結果ってのは、そもそも明確な結論から入らにゃならねえ。そこをどうするかなんだが」
「ウォルター博士は取り憑かれてた可能性有り、でいいんじゃないんですか? ハリーが言ってましたよね。あの首、以前に黒赤病の研究中に変死した研究者だって。何とかって、色んな薬医学の凄い権威だったらしいじゃない。要するに、その人がウォルター博士に取り憑いて自分の研究を完成させたって事でしょ?」
「まあ、そういう事になるんだが。肝心の研究結果についてはどうする? 医学的に問題無きゃ大丈夫って事でいいのか?」
「いいんじゃないですか。別に、とち狂った博士が作った訳じゃないんですから。ちゃんとした方の博士が、死後もこの世に残って研究を完成させたんです。むしろ、給料払わなくてラッキーってとこじゃないですか」
 二人の話している内容を書き留めながら、エリックは頭が痛くなってくるような心境だった。要するに、ウォルター博士は気が狂っている訳ではなく、妖精に魅入られて成果を挙げていた訳でもなく、志半ばで倒れた研究者に取り憑かれていたという事だ。だからあの研究成果は、その亡くなった彼の功績であり、医学的な検証で問題が無ければそのまま世に出しても問題はないという事だ。
 こんな会話を平然とされ、それをそのまま受け止めている自分にも困惑する。エリックは、随分と自分はこの異常な部署に馴染んでしまったものだと痛感した。そして何よりも、この報告書を読むのが首相ジェレマイアだという事実だ。もし自分が首相の立場なら、こんな物を平然と提出してくる部署など即刻取り潰してしまうだろう。国の安定のためには、こんな部署も必要となる。それは果たしてセディアランド人の国民性である、合理性に伴うものなのか。エリックには常々それが疑問だ。
 程なくレポート案もまとまり、いつも通りエリックがそれを清書して室長へ提出する。室長は内容を確認し、幾つか質問した後に正式に受理、そしてそれを持って本庁へと向かう。特務監察室のレポートは、室長の次はすぐに首相である。あれがすぐに首相の目に触れるのかと想像すると、エリックは時にいたたまれない気分になる。
「そうそう。ねえ、先輩。妖精って、どうやったら来てくれるのか知りません? うまく使えば、一攫千金玉の輿のチャンスだと思うんですよねー」
 一仕事が終わり、いつものだらけきった空気が漂い始める執務室。そこでルーシーが、ふとそんな事を問い掛けた。
「ああん? 俺は知らねえな。俺はあの件でしか妖精なんてもんは関わってねえし。おう、エリック。お前、過去の記録とか読んでたよな? 何か傾向とか無いのかよ」
「……特には。年齢や性別、職業や出身に資産、いずれも共通点はありません。まあ、強いて挙げれば」
「挙げれば?」
「妖精が出た年は、自然災害が例年に比べて少ない、という所でしょうか。あくまで、そんな傾向が無くもないって程度ですけど」
「要するに、いつもは妖精さんが嵐の後片付けをしてくれてて、それが暇になったら人間社会に遊びに来てるってことかよ? 俺らは妖精さんの暇潰しかあ」
「解釈は人それぞれかと」
「ふーん。何だか、童話みたい。エリック君、意外とそっち向いてるんじゃない?」
「はあ、そうですか」
 そもそも妖精が出たなどと、大の大人が本気で口にする時点でどうかしているのだ。けれど、実際そんな不可解な事が起きてしまうのだから始末におけない。実際今回にしても、妖精の方がまだマシだったと本気で嘆いてしまった自分がいる。
「ま、俺のとこにも妖精が来て欲しいもんだな」
「また賭け事の予想か何かですか? 邪念があるところには妖精なんて寄り付かなさそうですけど」
「俺は実際、そんなの妖精の気まぐれだと思うぜ。来る所には来る、来ない所には来ない。そういうもんだ」
「どうしてそう思うんです?」
「本気で必要な奴の所に、いつまで経っても来ないからさ」
 突然と真顔で口にするウォレン。エリックはどきりと心臓が高鳴り、肩がぶるっと震えた。この不安感は、時折ウォレンに対して抱くそれである。ウォレンの厭世的な振る舞いや言動に、何か取り返しの付かない事を起こすのではないのかと要らぬ想像をさせられるのだ。
「さて、と。俺は早退させて貰うぜ。今日は見舞いに行かなきゃなんねえ。見舞いってのは大事なんだぜ? こういう気遣いが回復を促すんだ」
 唐突に立ち上がったウォレンは、上着を羽織りさっさと執務室から出て行く。ウォレンが勤務時間を守らない事はしょっちゅうだが、流石にこうも堂々とされると怒る気すら湧かない。
 見舞いと聞いて、ふとエリックは以前にたまたま出くわした病院での事を思い出した。だがあそこは、助かる見込みのない人間の入る所である。ウォレンの身内にそういった人間がいるのだろうか。
「先輩も、いい加減現実見ないとね」
 そんな事を思っていると、急にルーシーは珍しくきつい口調で吐き捨てた。
「どういう事ですか?」
「見舞いに行ってるって相手、もうとっくに死んでるの。だからいつも、小一時間も病院の中を探し回って、諦めてすごすご帰ってくるのよ。前に一緒に行って酷い目に遭ったわ。アレの戦地での話、聞いた? その人に婚約者がいて、ショックで毒を飲んだの。それですぐ死ねなかった上に、頭までおかしくなっちゃって。先輩、その事をいつまでも引き摺ってんのよ」
 以前にウォレンは、自分は前線で味方を自分の盾にしてしまい死なせた事を話してくれたが、その人に婚約者が居たというのは初耳である。
「……でも、人間そう簡単に割り切れませんよ。もう死んだからって、すぐに自分の中から切り捨てられません」
「それが出来ないと、ああなるのよ。エリック君は自覚してる? キミはそういう切り分けが出来てるから、お婆ちゃんが死んで居なくなった生活を当たり前に送れてるのよ。普通はみんなそう。順応に多少の早い遅いはあるけど、先輩は駄目ね。もう何年もああだもん。その内本気で壊れるだろうから、キミも今から覚悟しててね」
 あまりに冷たいルーシーの言い草に、エリックは思わずいきり立って反論をしようとする。しかし、そんな辛辣な口を利くルーシーの表情があまりに悲しげに見え、矛を収めそれに同調する他なかった。
 まさか、そのための増員だったのだろうか?
 そう考えると、手違いで財務省へ行った本来ここへ配属されるはずだった男の事を、ますます意識してしまった。